週刊三軒茶屋 第66号 著作:アイヨシ 公開日:2006/04/30
ミステリー映画じゃなくて映画ミステリー

 ミステリーの映画化というのは、出版されてる小説の全体数で考えれば微々たるものですが、印象として結構行なわれてるように思いますし、「このミステリーを映画化するとしたら役者さんは誰がいいかなぁ?」てな雑談もファンの間ではたびたび交わされます。
 小説という形式・表現方法での傑作を映画化したからといって、その映画までもが傑作になる保証は全くないのですが、それでも行なわれるのは、ミステリーならではの”意外な結末”が重宝がられているからだと思います。そのくせ、いざ映画化されてみると原作のストーリーが台無しというのもまた良くあることで、なんのために映画化したのか理解に苦しみガッカリしてしまうことがほとんどです(当社比)。
 そんなわけで、ミステリー小説は映画化といったものに幻想を抱くべきではなく、むしろそれらをネタとして積極的に取り込むべきだと思います、と無理なく華麗に論理を展開したところで映画ミステリーに話を移します。
 ここでいう”映画ミステリー”というのは、単に映画の撮影現場が舞台になってるだけとか、映画監督・役者が登場人物になってるだけといったものは含みません。物語の内容そのものに映画が密接に関係しているもののみで考えます。そうすると、映画ミステリーは二つに大別することができます。

 一つは、映画が作中で発生する事件のトリック、証拠、伏線といったミステリーとしての論理を展開するためのギミックとして用いられているタイプです。

 このタイプの古典にして名作は、何と言ってもカーの『緑のカプセルの謎』(ディクスン・カー/創元推理文庫)でしょう。小さな村で発生した毒殺事件の真相を解明するための公開実験を行ない、その一部始終をカメラで撮影していたところ、実験中に毒殺事件が発生してしまうというものです。毒殺の現場はフィルムに収められているのですから事件は容易に解決するものと思いきや、そこに意外な展開と真相が待っています。人間の記憶・証言に比べればフィルムによる記録は相対的には客観的で信用できるものですが、信頼しすぎるとそこに心理的陥穽が生じてしまうわけで、実によく考えられたトリックだと思います。
 ただ、このトリックは映画のトリックというよりは、監視カメラを欺くような映像のトリックに近いものがあります。映画と映像の違いは何でしょう? それは、何かを表現しようとする意思・創意だと思います。その点、『密室の鍵貸します[→Amazon]』(東川篤哉/光文社文庫)は、似たようなトリックでありながら、映画の内容・出来映えが事件解決の鍵を握っているという実にユニークなものになっています。
 記録媒体やアリバイの証明といった事件にとって間接的に映画が関わっているものだけではありません。『魔術はささやく』(宮部みゆき/新潮文庫)では、いわゆるサブリミナル効果によって、見るものの深層心理に催眠的な作用を及ぼして直接的な殺人事件にまで発生させてしまってます。いわば、映画そのものが凶器となっているといえます。
 催眠術だとかサブリミナルだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてない、もっと恐ろしいものの片鱗が味わえるのが『リング[→Amazon]』(鈴木光司/角川ホラー文庫)です。映画化されて貞子がテレビから出てくる不気味な姿で有名になりましたが、呪いのビデオを見るだけで死んじゃうってんですから、もうどうしようもありません。映画版は完全にホラーだったのに対し、小説の方は『リング』以下、『らせん[→Amazon]』、『ループ[→Amazon]』、『バースデイ[→Amazon]』(いずれも角川ホラー文庫)の4部作となっていて、確かにホラーでもあるのですが、徐々にSF色を強めていきますし、そのストーリー展開はミステリーでもあります。貞子のインパクトが強すぎてどうしてもそればかり頭に浮かんでしまいますが(笑)、実は極めて多面的で壮大な物語です。

 もう一つのタイプは、作中作としての映画の謎を追いかけるものです。

 このタイプの代表作として真っ先に挙げなければならないのが『探偵映画[→fukkan.com]』(我孫子武丸/講談社文庫)です。ミステリー映画の撮影中に監督が突然失踪してしまい、残されたスタッフたちが収録済みのカットを頼りに映画の結末を推理し合うわけですが、現実の事件ではなく映画の中で起きた事件が推理の対象となっているため、たとえ論理的には完璧な答えが導き出されたとしても、エンターテイメントとして面白いものでなければなりません。それに、推理に論理的な欠陥があったとしても、多少は場面の撮り直しによってフォローすることができちゃいます。それに、映画の出演者たちは少しでも目立ちたいがために、自らが犯人となるような推理を次々と披露していきます。普通のミステリなら、自らは犯人ではないように頭を働かせるというのに、ここではその反対の議論が行なわれるわけで、読んでて実に楽しいです。メタ・ミステリですが小説としても一級品という優れた名作です。
 同じく作中作として未完成な映画の結末の提示が主題となるのが、『愚者のエンドロール[→Amazon]』(米澤穂信/角川文庫)です。こちらは高校の文化祭に出展する自主制作映画も問題となるのですが、結末の提示を依頼された主人公たちは映画を制作したクラスとは直接の関係はないので、『探偵映画』よりは論理性に主眼を置いた推理が展開されます。その推理の重ね合わせは著者自身があとがきで述べているように『毒入りチョコレート事件』(アントニイ・バークリー/創元推理文庫)を彷彿とさせますが(∵現実の事件ではないので絶対的な正解はない)、最終的に導き出される結論には独特の味があります。その過程における苦々しさは青春小説ならではのもので、とてもオススメです。
 乙一の短編『フィルムの中の少女』(短編集『さみしさの周波数[→Amazon]』[角川スニーカー文庫]所収)も、やはり作中の映画(8ミリフィルム)が問題になります。もっとも、この短編はすべて「私」のモノローグで語られるという不思議な手法が採られています。『こわい話』特集用に書かれた短編ということでホラーチックな話です。乙一は小説の書き方を映画から学んだということですので、この短編に限らず映画の影響を、詳しい方なら読み取ることが出来るかもしれませんね。

 最後に、映画ミステリーというテーマを語る上で必読書と思われるのが、『フリッカー、あるいは映画の魔[→Fukkan.com]』(セオドア・ローザック/文春文庫)です。
 1999年版『このミステリーがすごい!』海外編第1位に選ばれたこの物語は  サブリミナルやフリッカーといった映画撮影の技法について触れながら、なおかつ作中に登場する映画の謎についても解き明かしていくというストーリーで、上述した二つのタイプの両方に該当します。主人公の回想録で語られるこの物語は、あたかも映画を『フランケンシュタイン』に登場する”怪物”の如く位置づけています。
 撮影技法のみならず、アメリカにおける映画の歴史や、様々な視点に基づく映画批評の方法、観る者にとって映画にはどのような魅力があるのかなど、とにかく映画について徹底的に語っています。小説という形式で映画について可能な限り論じた”メタ映画”の傑作だと思います。

 ”映画ミステリー”とか言っておきながら、定義が適当でビデオやらフィルムやらまで取り上げちゃって、それならあの作品やこの作品だってそうだろ、って声もおありでしょうが何卒ご容赦下さい。いい加減ですいません(汗)。



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