虚空の眼
原題:Eye in the Sky
著者:フィリップ・K・ディック(Philip Kindred Dick)
訳者:大瀧啓祐(おおたき・けいすけ)
出版:創元推理文庫
装丁:カバーイラスト 藤野一友「レダのアレルギー」
初刊:1957
定価:583円+税
ISBN4−488−69608−2
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[あらすじ]
 カリフォルニアに建造された巨大な陽子ビーム偏向装置が作動中に暴走事故を起こし、その場にいた八人の男女が巻き添えとなった。
 その中の一人であるジャック・ハミルトンはほどなく病院で意識を取り戻す。しかし、何かがおかしい。そこは彼が知っている現実世界ではなく、奇怪な宗教に支配されている世界だったのだ。八人は元の世界に帰る方法を探し始めるが……。


[CAUTION! ネタバレ注意!]

 陽子ビーム偏向装置の故障によって、八人はそれまで生活してきた世界とは別の世界に飛ばされてしまいます。その世界の正体は、ずばり八人の中の一人の夢の世界です。現実世界の八人の肉体は病院のベッドで意識不明の状態にあります。
 主人公たちは、夢の世界から脱出するために、その世界が誰の夢かを探り出し、その夢の世界を崩壊させなければなりません。夢の世界からの脱出というモチーフは、日本では『映画うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー[→Wikipedia]』を想起された方も多いことでしょうが、実際そんな感じですよね。内に内に、陰に陰にと潜ってしまうことが多いディックの作品の中にあって、夢の世界を舞台にこれだけ快活な手に汗握るアクションが展開されるのも珍しくって、とても新鮮でした。
 夢と現実がごちゃ混ぜになってしまったSFとして他に、趣向はまったく違いますが、ル・グィンの『天のろくろ』などがオススメです。
 『ビューティフル・ドリーマー』と大きく違うのは、一つの夢の世界を脱出するとまた別の夢の世界に移動してしまう点です。最初に八人が飛ばされた世界は、第二バーブ教という理不尽宗教が蔓延した、科学によらずに奇跡によって人々が暮らしている摩訶不思議な世界でした。八人は、こんな世界はゴメンだ、ということで夢の主を見つけてその価値観をぐらつかせることでその世界から脱出します。もっとも、八人は、というのは嘘で、夢を見ている当の本人にしてみればそれはまさに理想の世界です。ですので、夢の主は抵抗するのですが、それでもどうにかこうにか夢の世界から脱出することができます。
 そうするとまた別の人間の夢の世界に飛ばされてしまいます。そこは前とは違う八人の内の誰かの夢の世界です。その世界は、前の世界での反省・失敗が考慮されているので、前のときより夢を崩すこと・夢から脱出することが困難になっています。その繰り返しで結局、都合4人分の夢の世界を彷徨うことになるわけですが、脱出のために主人公たちが悪戦苦闘する姿は娯楽性抜群でとても楽しいです。

 てなわけで、普通に読むだけでも十分に面白い作品ですが、本書の真価はそれのみにとどまりません。そもそも、物語の冒頭で主人公ジャック・ハミルトンは勤務先の研究所から解雇を言い渡されます。というのも、妻であるマーシャに共産党員・危険人物の疑いがあるという理由によってです。ここで本書が書かれた時代に注目しなければなりませんが、1957年でして、まさに赤狩り・マッカーシズム[→Wikipedia]を意識していることは明らかなわけです。
 マッカーシズムとは、共産主義という思想の排除・弾圧なわけですが、そうした社会的な動きが、SF的アイデアである”夢の世界”と巧みに結びついていることこそ、本書が傑作であるゆえんです。すなわち、夢の世界は、夢を見ている本人のみの世界観に基づいている世界です。このことは、価値観の多様性を否定するマッカーシズムとシンクロします。
 作中の夢の世界は主人公たちの行動・努力によって崩されていきますが、しかし、そのどれもが結局は夢そのものの矛盾・論理破綻、あるいは必然ともいえる自己崩壊によるものです。夢の世界は夢なわけですから、自分の都合の良いように世界を作り変えることができますが、その影響はどうしても夢を見ている本人に及んでしまいますし、切り離すことはできません。自分ルールによって自分が裁かれることを回避することができないのです。そのことは、マッカーシズムにおいても言えます。物語の後半において、共産主義者はマーシャではなく、実は共産主義者を見つけて告発する立場にあるマクファイフであったことが明らかになります。そして、夢の世界の崩壊原因はそのままマッカーシズムにも当てはまります。マッカーシズムの基準は共産主義者か否かですが、そうした思想という内面を基準にした差別は、根拠の乏しい証拠による弾圧を招きますし、さらには証拠の捏造にまで発展しかねません。さらにさらに、そうした無根拠な弾圧は当初の目的から乖離した弾圧・暴走になりかねませんし、ひいては自らが弾圧しようとしていたものに利用されることになってしまうのです。
 ちなみに、本書における見る者と見られている者との逆転の皮肉は、その体制不審という問題意識と共に『スキャナー・ダークリー』においてさらに発展して描かれています。
 夢の世界の場合、夢から脱出するためには夢を見ている者の目を覚ましてやる必要があります。では、マッカーシズムの場合は一体誰の夢でしょう。他人の夢でないのなら、自分自身の目を覚ますより他ありません。本書のハッピーエンドはそれを教えてくれているのです。

 巻末にある訳者の解説でも触れられていますが、本書の原題は”Eye in the Sky”で、Eyeに冠詞がつけられていないので、書名を耳にするとアイ、つまり”T”と”Eye”のダブルミーニングで”虚空の眼”とも”虚空の私”とも読めます。
 夢の世界からの脱出を図る主人公たちからすれば、夢の主の視点は”虚空の眼”ですが、夢を見ている当人の感覚としては”虚空の私”なのです。そして、虚空の空しさは夢に見られている者にも、夢を見ている者にも、平等に及ぶのです。それが本書のタイトルの意味するところでしょう。

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