殺人症候群
著者:貫井徳郎(ぬくい・とくろう)
出版:双葉文庫
初刊:2002
装丁:カバーデザイン 葛西薫
定価:952円+税
ISBN4−575−51014−9

[あらすじ]
 警視庁内には、表立って警察が動くことのできない事件を特別に捜査する特殊チームが存在していた。そのリーダーである環敬吾は、部下の原田、武藤、倉持に対して複数の殺人事件の調査を命じる。一見無関係に見えるそれらの事件は、被害者がいずれも過去に殺人を犯しながら少年法あるいは精神障害などで刑法上の刑に服していない事件ばかりであった。復讐を代行する”職業殺人者”の仕業なのか? しかし、倉持はその調査を拒否して独自に行動する。彼の真意は一体……? 『症候群三部作』堂々の完結!



 長門さんが読んでたことで知られる『症候群』シリーズ三部作の完結編です。
 ちなみにこのシリーズ、特殊チームの面々のそれぞれにスポットが当たっている(『失踪症候群』だと原田、『誘拐症候群』だと武藤)という意味でシリーズものではありますが、必ずしも順番どおりに読まなきゃならないとは思いません。テーマ・モチーフもバラバラですので、読み手の気分・お好きな順番で読まれるのが良いと思います。ま、私は順番通り読みましたけど。その上で、このシリーズ三冊の中では本書が一番の傑作だと思います。

 『慟哭』で知られる著者、貫井徳郎氏のサイトには、今はなくなってしまってとても残念ですが、以前は『必殺』シリーズのコーナーがありました。あったんですよー。そんなわけで著者が必殺ファンであることは広く知られています。ですから、『症候群』シリーズが貫井版『必殺』シリーズと称されるのも納得です。しかも、シリーズ前2作はそれぞれ、『失踪』、『誘拐』と必殺らしからぬ犯罪がテーマとなってて、それだけだと『必殺』って感じではないのですが、本書は『殺人』というまさに『必殺』なタイトルです。本書がシリーズの掉尾を飾り、かつ圧倒的な存在感を示しているからこそ、このシリーズが『必殺』シリーズと対比されるのが相応しいわけです。
 ただ、確かに『必殺』シリーズを髣髴とはさせますが、貫井版かつ現代版としてかなり大胆なアップ・トゥ・デイトがされてますので、すっきり爽快アクションものを事前に想像すると失敗するでしょう。
(そういうのが読みたい人には、藤吉晴美のクラス内で大流行した闇狩人がオススメです。)
 それでも、読み始めてしまえばそんな読者の思惑など吹き飛ばし、ページ数を忘れて(文庫版で702ページ)読みふけってしまうだけのリーダビリティが(鬱な展開にもかかわらず)あります。

 元祖『必殺』シリーズの舞台となっている江戸時代には、当然のことながら科学捜査なんて概念はありませんし、その捜査権限も今よりずっと弱いものでした。士農工商の身分制度により法の裁きを受けない者もいました。そこに仕事人たちの活躍の余地がありました。
 『必殺』シリーズは毎回毎回殺人が行なわれるシリーズですので、よく考えるとそんなのが気軽にお茶の間で観れちゃうのもおかしな話ですが、それは、仕事の背景にあるのが復讐という極めて基本的な動機だからでしょう。現行法における刑法の意義は決してひとつではありませんが、もっとも大きなものとして応報があることは間違いありませんから、未熟な法規範と当時の道徳観とを併せて考えると、存外現行の法秩序と矛盾した物語でもないわけです。
 しかし、時代は変わりました。もちろん現代の法制度にも様々な問題があるでしょうが、こと殺人という犯罪においては、発覚すれば間違いなく捜査は行なわれますし、犯人だってかなりの高確率で捕まり法の裁きを受けます。もちろん、迷宮入りの事件もありますが、その場合には警察以外の第三者にも犯人の特定はできないわけですから、かつての仕事人が存在する余地はありません。
 しかし、法制度の発展は別の問題も生じさせました。すなわち、責任能力の概念や少年法などによって刑法上の刑に服すことのない、被害者の応報感情をまったく充足させない(ときには逆なでする)加害者による”裁かれない犯罪”の存在です。その一方で、現行の法制度には犯罪の被害者に対する保護が不十分だという問題があります。最愛の人を殺されたにもかかわらず、その遺族たちは事件後さらに過酷な状態に陥ってしまうという現実があります。
 この二つの問題が相俟って、保護される加害者と報われない被害者という極めて理不尽で不公平な状態が法律によって保障されてしまっているわけです。ここに現代版の”仕事人”が入り込む余地があります。
 また、それとは別に、病気で心臓の移植が必要な我が子のために殺人を繰り返す母親・和子の姿も平行して描かれます。
 生きること・死ぬことの意義、正義とは何か? 悪とは何か? 難しいテーマを扱っているにもかかわらず、本書は皮肉なまでに読み易いです。

(注! 以下妄想気味のネタバレ伏字↓)
 刑法における責任能力の意義や現在の少年法による少年の保護のあり方については議論があるところですので、”仕事人”である渉たちの考え方そのものを全否定するつもりはありません。感情的にはむしろ共感します。
 ってゆーか、本書の主人公について私は、シリーズものとして登場する特殊チームの面々ではなく、実は渉だと個人的には思っています。と言うのも、本書にはちょっとしたトリックが使われています。一読すると読者に対するサプライズ以上の意味はないように思われますが、このトリックによって渉の存在感は突如として立体的なものになります。
 渉こそ本書における”仕事人”なのですが、いかに復讐のためとは言え、自らの殺人という行為を正当化することはせずにあくまでも仕事として請け負います。そうした生き方は、一番近い存在であった響子とも不協和音を起こしてしまうことになり、和解することなく別離を迎えてしまいます。倉持の協力も拒み、探していた和子とも言葉を交わすことはできませんでした。そうして最後には法秩序に下ることになってしまうこの結末は、『必殺』シリーズのタブーでもあり、ある意味既存の『必殺』シリーズを否定するようなものだと言えます。現代版の『必殺』シリーズとしての意味がここにこそあります。
 ただ、戯言ですが、これらのものが仮に結びついてしまっていたらどうなっていたでしょう? すなわち、響子の信念によって復讐を請け負い、倉持のような特殊な捜査技術を用い、殺人行為を和子のような人物の動機によって正当化することができていたらどうでしょう。それは、ひとつのシステムの基盤となり得るだけの筋の通った考え方だと思います。こうした考えが暗示されているにもかかわらず、それは復讐殺人というショッキングなテーマの影に隠れてしまい、作中において明示されることは結局ありません。そこには、どうしたって作者の意図を感じずにはいられません。おそらくは、現代社会の物語としてきちんと落とし込みたかったのと、登場人物(とくに渉)を将棋の駒のように扱いたくなかったからではないか、と勝手に邪推します。と言ったら妄想が炸裂し過ぎでしょうか?
(↑ココまで)

 圧倒的な分量ですがスラスラと読めてしまい、面白いことは面白いのですが、読後にそんな感想を持ってしまうことに罪悪感を覚える、そんな一冊です。


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