[あらすじ]
ウツ気味の中年(?)ヴァンパイア・マーティンが拾ったのは、「人間牧場」から逃げ出してきた五歳の女の子だった。
後で美味しく新鮮な血をいただくために、とりあえずその子を育てることにしたのだが、だんだんと子育てが楽しくなってきて……。
地球上の支配者が人間から吸血鬼に移った架空の世界が舞台です。第二次世界大戦後の”革命”によって人類の吸血鬼化が一挙に行なわれた近未来のパラレルワールドです。『ドラキュラ紀元』シリーズよりさらに人類の吸血鬼化が進んだ物語と読めないこともありません。しかし、主人公である吸血鬼のマーティンもまだ80年そこそこしか生きていません。確かにウツ気味ではありますが、それでも『ドラキュラ紀元』のように深刻な厭世感が世界を覆っているわけではありません。この違いの大きさは、両者を読まれた方には分かっていただけると思います。
ほとんどの人間が吸血鬼になってしまい、大半の吸血鬼は人工血液を飲んで生きています。一部の金持ちの吸血鬼のみが「人間牧場」で飼育されている人間の血を吸うことができます。『ドラキュラ紀元』でモロー博士が予想していたとおりの世界が本書では実現してしまっているわけです。
てなわけで、例えば『ドラキュラ紀元』シリーズなどと比較しつつ、本書を吸血鬼小説として理解しながら読み解くのが、書評として本来あるべき姿なのかもしれません。しかし、読み終わった感想を素直に申し上げますと、
親バカ小説キタ━━(゚∀゚)━━!!!!!!
ということになります(笑)。
ウツ気味だった中年吸血鬼マーティンは「人間牧場」から逃げ出してきた五、六歳の女の子を捕まえます。すぐに血を飲んでしまっても良かったのですが、後で美味しくいただくために我慢することにして、しばらく育てることにしました。
そうなると大変です。吸血鬼はトイレに行きません。ですから、子供の下の世話についていちいち考えなくてはいけません。
吸血鬼は普通の意味での食事をしません。美味しい血は健全な肉体に宿ります。美味しい血をいただくために子供の栄養バランスを考えるのも一苦労です。
吸血鬼ばかりの世界にあって、人間の子供が無防備に外に出ることは命取りです。そしたら、せっかくのご馳走が台無しです。マーティンはイスズが外に出たりしないように細心の注意を払います。
イスズの精神状態は血の味にも影響します。マーティンはイスズのご機嫌をとるためにオモチャを買ってあげたりトランプをしたりして遊んであげます。
吸血鬼は病気になりません。ですから、イスズ(子供の名前)が咳なんかしたらさあ大変。ヤバイ。マンション全体消毒しなきゃ、ってことまで考えちゃいます(笑)。
吸血鬼は不老です。年をとりません。従って成長もしません。ですから、イスズが大きくなって言葉を覚えたりいろいろできるようになるのがとても新鮮です。しかし、何を仕出かすか心配になって、仕事場からもイスズの様子が見られるようにウェブカメラを購入したりもします(笑)。とにかく嬉しくて嬉しくて仕方がありません。
徹頭徹尾、本書はマーティンの子育て物語なのです。シングル・ファーザーの苦労話に加えて、吸血鬼が支配する世界で人間の子供を育てるという独自の苦労も加わって実に面白いです。トラブルは数多く発生しますが、マーティンはどうにかこうにか乗り切っていきます。それというのも結局はイスズがとてもいい子だからです。実際の苦労はこんなもんじゃないぞ! って声も聞こえてきそうですが(笑)。もっとも、親であるマーティンが吸血鬼なので怪我もしなけりゃ病気にもならないしお金もそれなりに溜め込んでいるので、子育てにおいて意外に気にすることがないという点も挙げることができますね。
巻末の訳者あとがきで、金原瑞人は本書を『プリンセス・メーカー』という実に射程距離の短いものに例えていますが(笑)、言い得て妙だと思います。
しかも、吸血鬼を育ての親にすることによって、人間の子供の成長過程にいちいち驚いて感動したり、「俺が子供の頃はこんなだったなぁ……」と感傷にひたったりと、当たり前のことを当たり前じゃないように描写できるという効果が得られています。生死の境目の領域に存在する吸血鬼という題材を扱うと、とかく”死”の香りのする物語になりがちです。ってゆーか、そのために吸血鬼を持ち出すのが普通なのですが。しかし、本書は吸血鬼を題材に”生”というものを実に生き生きと描いています。しかも、吸血鬼という邪悪な存在が主人公となっていることで説教臭さが取り除かれているのも好印象です。手垢のついた題材にもまだまだこんな使い方があったんだなぁ、と感心させられました。
基本的に本書は親バカ小説なのですが、吸血鬼小説としても少々考察しておきましょう。
そんなに深く掘り下げられているわけではありませんが、吸血鬼とキリスト教との関係が興味深いです。
この世界では十字架は吸血鬼の弱点ではありません(むしろ常識?)。吸血鬼ばかりの世界になってもキリスト教は健在です。マーティンは、子育てについて悩むと近くのジャックという神父(もちろん吸血鬼)に相談を持ちかけます。人間の子供(しかも女の子)の子育ては難しい、なんて正直に打ち明けるわけにはいかないので、ギャンブルだったり子犬だったりとその時どきに応じて嘘の悩みで適当にごまかして相談します。神父の助言はそれなりにマーティンの役には立ちますが、ただし、この神父の性格は相当歪んでいます(笑)。「死刑について、どう思いますか?」と聞かれて「もし死刑がなかったら。わたしは職を失っていただろう」(本書p342より)と答えるような神父です。しかも、実は酷い性癖を隠し持ってます。
それはともかく、クリスマスになるとマーティンはイスズにクリスマスのプレゼントを買ってあげることになるのですが、そこでクリスマスの意味を説明することになります。これも立派な親としての、子供への教育の一環なわけですが、吸血鬼がキリストの誕生日を説明する姿を想像するととても滑稽です(笑)。
で、一通りイエスについてのマーティンの説明を聞き終えた後、イスズは「イエスさまは最初のヴァンパイアなの?」って言い出します。罰当たりこの上ない発言ですが、考えてみれば無理もありません。なにしろ、イエスさまは死んでも復活して他の人も復活させてよぼよぼのじいさんにはならなかった、ときたら、そりゃあ吸血鬼を想像しますわな。吸血鬼とイエス・キリストには共通点が多いのです。
それに、本書ではローマ法王も結局ヴァンパイアになっているのですが(その過程は笑いなしには語れません)、法王公認後の吸血鬼化の儀式は、キリストの体を象徴するパンと葡萄酒を口にする”聖体拝領”に例えられています。
吸血鬼の天敵として登場することの多いキリスト教ですが、ひょっとしたら近親憎悪・同族嫌悪的な側面があるのかも知れませんね。
本書はどう転んでも親バカ子育て小説です。ですから、親であるマーティンと子供であるイスズとがどう幸せになるかという、個と個の関係の物語です。人間と吸血鬼という種と種の関係は本書のテーマではありません。そういう意味では、正直物足りない点はあります。結末にしても、確かにハッピーエンドではありますが、その先もハッピーでいられるかと言えばそう簡単ではないでしょうけれど、それは本書の関与するところではないのでしょう。そうした疑問・不満は、『ドラキュラ紀元』シリーズなどで補完されることをオススメします。
それでも、吸血鬼というモチーフを上手く子育て小説にミックスさせてると思います。十分に肉体が成長しないままに吸血鬼になってしまった”スクリーマー”の悲劇を描写することで、イスズをすぐに吸血鬼化させることを禁じて成長の必要性を生じさせているのも実に巧みです。それに、子供から大人への移行期ともいうべき思春期の問題・親離れ子離れを吸血鬼化の問題にシフトしているのですが、これまた吸血鬼という題材をとても上手に扱っていると言えるでしょう。
一見すると奇妙奇天烈な物語ですが、実は直球ど真ん中の子育て物語です。ところどころにウィットの利いたジョークも散りばめられていてとても楽しく読めます。多くの方にオススメしたい一冊です。
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