[あらすじ]
ヴァン・ヘルシングがドラキュラ伯爵に敗れた世界。
ドラキュラはヴィクトリア女王と結婚し、プリンス・コンソート(配偶者)としてイギリス全土を支配していた。ドラキュラは自らの子〈ゲツト〉を次々と世に生み出し、人間と吸血鬼とが共存する世界が実現していた。
1882年、吸血鬼の娼婦ばかりを狙った連続殺人事件が発生した。銀ナイフ――後に〈切り裂きジャック〉と呼ばれることになるこの連続殺人事件を解決することを闇内閣〈ディオゲネス・クラブ〉から命ぜられた諜報員ボウルガード。
一方、ドラキュラとは血統を異にする、外見は美少女にしてその実四世紀以上も生きている長生者〈エルダー〉の吸血鬼ジュヌヴィエーヴもまた事件の犯人を追い求める。 一体〈切り裂きジャック〉とは何者なのか? そして、闇内閣の真の目的は?
《ドラキュラ》シリーズ第一部。
本書の裏表紙には、『吸血鬼ドラキュラ[→Amazon]』の続編、と銘打ってあるのですが、それは正確ではありません。
『吸血鬼ドラキュラ』ではヴァン・ヘルシング教授が勝利してドラキュラ伯爵は滅びます。これはネタバレ以前の基本的知識として扱ってよい事柄でしょう。ところが、本書の前史として、まずヘルシング教授との戦いにドラキュラ伯爵が勝利したことになっているのです。哀れヘルシング教授の頭蓋骨は見せしめとして晒されちゃってます。
さらにドラキュラ伯爵は女王を吸血鬼化して無理やり結婚し、プリンス・コンソートとしてイギリス全土を支配してしまいます。吸血鬼が権力の頂点に立ったことで、世界には様々な変化が生じています。
まず、吸血鬼の存在自体が公然のものとなります。ですから、この世界では吸血鬼と人間が共存しています。マイノリティとしての吸血鬼の悲哀・苦悩などありません。歴史が改変された本書ならではです。
さらに、吸血鬼が支配者なのですから、”吸血鬼”などという蔑称は、スラングとしては生きていますが、一般に使用されることはありません。人間も吸血鬼も”人”です。そして、人間は”温血者(ウォーム)”、吸血鬼は”新生者(ニューボーン)”と呼ばれることで区別されます。温血者が新生者となるには、普通の吸血行為とは異なる、新生者の”闇の口づけ”を受ける必要があります。新生者によって血を吸われ、その後に新生者の血を吸うことで、温血者は新生者となります。このとき、ほとんどの温血者は血を吸われることで生物学的に一度死にます。にもかかわらず、どういうわけが甦り、新生者の血を吸うことで、その新生者を親とする子(ゲツト)としての新生者へと生まれ変わります。つまり、”新たな生を受けた者”=新生者なのです。
文学的吸血鬼の原型である民間伝承の吸血鬼の起源のひとつに「早すぎる埋葬」があります。生死の曖昧な領域こそ吸血鬼が本来棲むべき世界であることを考えると、”新生者”は言い得て妙だと思います。
新生者は温血者より身体能力も回復力も桁違いのものを持っています。さらに不老で長命です。それ故に新生者は不死者(アン=デッド)とも呼ばれます。しかし、真の意味での不死ではありません。あまりに大きな傷を負ってしまうと回復できずに死にますし、銀にはめっぽう弱いです。それに、大抵の新生者は変身能力の暴走とでもいうべき自己破壊によって崩壊してしまいます。その危険を乗り越えて長命を得た新生者のことを長生者(エルダー)と呼びます。新生者と長生者の間に明確な基準があるわけではありませんが、温血者のときの寿命の倍を生きた者を長生者と呼ぶのが一般的なようですので、おおよそ200年も生きていれば長生者と呼ばれる資格があると言ってよいでしょう。
本書の主人公の一人であるジュヌヴィエーヴは新生者です。しかも、16歳という外見とは裏腹に、ドラキュラ伯爵より以前に吸血鬼と化し、四世紀以上の歳月を生きてきた長生者です。ちなみに、『ドラッケンフェルズ』のジュヌビエーブは本書のジュヌヴィエーヴの雛形的存在ですが、本書と『ドラッケンフェルズ』とでは世界観が全く違いますので、キャラクターの性格は限りなく近いものがありますが、ストーリー上のつながりは一切ありません。
とはいえ、ジュヌヴィエーヴが作者のお気に入り(『ドラッケンフェルズ』の著者であるジャック・ヨーヴィルはキム・ニューマンの別名義)であることは間違いなくて、本書を始めとするシリーズだって、ジュヌヴィエーヴを活躍させたくて書いたに違いありません。とにかく、本書のほとんどはジュヌヴィエーヴで出来ていると言っても過言ではないくらいです。
温血者と新生者が共存する世界。個としての新生者は温血者を遥かに凌駕する身体能力を備えています。しかも、ドラキュラという強大な長生者が支配者として君臨しているこの世界では、政治システムも新生者に有利なように作り変えられていきます。新生者しか昇進することのできない国家秩序、新生者が温血者を食料として、欲望の対象として、昼間の労力確保のため(※新生者も日光の下で活動可能できますが、睡眠は昼間とります)の奴隷として扱うような風潮が広まりつつある中にあって、ジュヌヴィエーヴは達観、あるいは諦観した態度で生きています。ジュヌヴィエーヴは新生者のことを、そして自らのことを、温血者の皮膚に寄生しているダニのようなものだと考えています。だからこそ、他の新生者、特にドラキュラの血統の新生者たちとは一線を画した態度をとり、温血者とも対等に接します。個としては温血者より強くても、種としては脆弱な新生者。不老不死者は、一種のタイムトラベラー(『サマー/タイム/トラベラー(1)』p267より)なわけですが、長生者である彼女は、終りなき旅行者としての人生に徒労と疲労を感じてもいます。
そんなジュヌヴィエーヴと、闇内閣の命を受けた諜報員ボウルガードとが追い求めることになるのが、新生者の娼婦ばかりを犠牲者とする〈銀ナイフ〉こと〈切り裂きジャック〉です。本来の『吸血鬼ドラキュラ』の世界観では吸血鬼は倒されて当然の存在ですが、勝者と敗者が逆転してしまったこの世界では、吸血鬼を滅ぼす者は許されざるべき社会の敵です。そうした常識の反転を象徴するものとして、この〈切り裂きジャック〉の存在はとても興味深いです。そんなわけで、本書は〈切り裂きジャック〉とは何者か? というのがストーリーの軸になるはず……なのですが、実のところそうではありません。だって、〈切り裂きジャック〉の正体は読者には早い段階で明かされちゃってますし、手掛かりだって、特にジュヌヴィエーヴの視点からすれば分かって当然な感じで与えられますので、ミステリ的に興味を引くようなストーリー展開ではありません。
じゃ、何が読者にページをめくらせる原動力になっているのかと言えば、ジュヌヴィエーヴとボウルガードの二人が一緒に捜査している過程が、温血者と新生者とが混在しているこの世界についての、読者にとってガイドの役割を果たしているからです。すなわち一種の観光です。実はこの世界、単にドラキュラが世界を支配していて温血者と新生者が共存しているだけの世界ではありません。実在したか否かを問わず、たくさんの有名無名の人物が登場します。例えば、ボウルガードが所属する闇内閣での彼の上司はマイクロフトですが、これは言わずと知れたシャーロック・ホームズの兄です。もちろんシャーロック・ホームズも出てきます(もっとも、現政府といざこざを起こして刑務所にいるという酷い扱いですが・笑)。新生者の生態を研究している科学者はジキル博士とモロー博士ですし、他にも吸血鬼小説・映画の登場人物が節操がないというくらいやたらに登場してきます。巻末の「登場人物辞典」を見るとその人物の多さに呆れてしまいます。ヴィクトリア朝時代という史実をベースにしつつ、『吸血鬼ドラキュラ』の勝敗を逆転させて、さらに虚実を問わずに著名なキャラクターを取り込みつつ、さらにさらにオリジナルストーリーを展開させるという、入り組みまくった構成になっているのです。
そんな複雑な世界なので、読者からすれば眺めるだけでもとても面白いのです。よく破綻しないなぁ、と感心もしますし、騙されてるような気もしますが、実によくできてます。転化して新生者になれば寿命の問題がなくなるのでキャラクターを登場させやすいというのはあるでしょうね。加えて、ヴィクトリア朝と、ドラキュラが支配するこの世界とが、廃頽的な雰囲気によって実に上手く調和しているとも言えると思います。
しかし、主人公であるジュヌヴィエーヴとボウルガードの二人の行動に目を当ててみると、ただデートしてるだけじゃねーの? って感じです(笑)。二人ともそういう自覚は持ちつつも、しかし捜査自体は真剣に行ないます。そして、この二人の交流こそが本書の要点であることもまた間違いありません。死にゆく者と不死の者のコンビですから、読者は通常死にゆく者の視点から不死の者を理解しようとするはずです。しかし、ジュヌヴィエーヴの心情は丁寧に描写される一方で、ボウルガードの心情の描写が一線を越えることはありません。長生者であるジュヌヴィエーヴには読心能力があるのですが、それを以ってしても読み切れない部分があります。
考えてみれば、小説中の人物の死に直面したときに、それを読んでいる読者はある意味新生者と言えるのではないでしょうか? 人は自らの死を体験することができません。それを恐れる一方で、知りたいと常に渇望しています。物語の中において、新生者との対比で死を意識しそれを迎えようとしている温血者ボウルガードこそ、実は読者が意識的にしろ無意識にしろ追い求めている答えであって、そのことが一見ジュヌヴィエーヴに語られているように見えて、実は読者にこそ語られているのではないでしょうか。だからこそボウルガードの心情は語られませんし、もっと言えば語れないのではないでしょうか。さらに言えば、本書の虚実混合による物語の構造が、実はそうした読者の属性の逆転――温血者から新生者へ――を企図したものだと考えるのは穿ち過ぎでしょうか?
パミラとボウルガードとジュヌヴィエーヴ。過去と現在と未来とが交錯し、現在が過去を思い未来が現在を思う。虚実が入り交ざった世界は一見とても華やかですが、実はとても刹那的で、だけどそこから荒廃へ流れようとはしません。そのことが明らかになるのが物語終盤での怒涛の展開です。ここでボウルガードとその背後にある闇内閣の真の目的が明らかになるわけですが、これがあまりに唐突で、乱暴とも言いたくなるくらいです。〈切り裂きジャック〉が主題となってる作品というのは普通はミステリ的な展開と相性がよいはずですが、それからするとこの展開は意表を突かれます。盲点と言えば盲点ですが、しかし、長々とこの世界を観光してきた意味がここにこそあったわけです。茫然自失の読後感です。
未読の方のためのガイド的な書評にするつもりだったのですが、いつの間にか既読の方にしか分かってもらえないようなものになってしまいました(汗)。とにかくこのシリーズ、吸血鬼小説の最高峰だと思うので、ぜひぜひ多くの方に読んでもらいたいと思います。
絶版だけどね!(笑)
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