[あらすじ]
姥坂市で連続殺人事件が発生した。被害者が共に文化人であったことから、姥坂市在住の小説家で、最初に行なわれた殺人の第一発見者である村田勘市は、次に殺されるのは自分ではないのか? と恐怖を抱くことになる。犯人は何者なのか? 疑心暗鬼の中、村田の精神は次第に異常をきたしていく……。
[CAUTION! ネタバレ注意!]
ネタバレ注意と警告はしました。というのも、一応本書はミステリ的な枠組みでストーリーは進みますし、本書について何か語ろうと思ったらネタバレせずにいるのは難しいと思ったからです。しかし、まあ何と言いますか(苦笑)。
それよりも、本書は作中で堂々と『そして誰もいなくなった』のネタバレをしちゃってますので、むしろそちらを未読の方はお気をつけ下さい。
ということで、ここから先は既読の方のみという前提で話を進めて行きます。
ただ、既読の方ならお分かりでしょうが、本書に通常のミステリ的な意味でのネタ、もしくはネタバレというものはありません。なぜなら、ミステリ的にストーリーは展開しつつも、その結末において伏線に基づいた論理的な解決とかがないからです。つまり、アンチ・ミステリですね。
物語の序盤早々に殺人事件が発生して、主人公である村田勘市は事件の第一発見者として事件に巻き込まれます。そして、友人たちと共に事件についての仮説を述べ合います。ここで語られるアイデアはなかなかに斬新なものでして、ミステリとして面白そうな雰囲気を醸し出します。『そして誰もいなくなった』とのアナロジイとか、「赤川次郎という推理作家がおりますが」「彼は犯人を誰か決めないで書きはじめる。話を面白くするにはその方がいいようで、それが彼の人気の秘密かもしれません。そしていよいよ最後になってから、いちばん犯人らしくない人物を犯人にして意外性を出すそうです。つまり誰だって犯人になろうとしてなれない人物はいない。誰だって犯人になれるのです。あなただって犯人かもしれないわけです」(本書p149より)などといった記述はいかにも本格ミステリ的です。
ところが、事件は村田とはまったく関係のないところで解決しちゃいます。村田の考えた論理とか被害妄想が炸裂した奇想とかは事件の解決には全然寄与しません。そこで描かれているのは村田自身の疑心暗鬼、不安に妄想、つまりタイトル通り”恐怖”です。 これは一体何なのでしょうか?
村田という主人公の置かれた状況を考えてみましょう。
まず、事件の第一発見者であり、事件についての仮説をいろいろと立てます。そして犯人は一般に言われているような人間だけでなく我々文化人の中にもいるかも知れないと疑心暗鬼になります。最終的に事件を解決することになる刑事とはほんのちょっとしか接触しません。しかも、解決のためのヒントは十分に与えられることもなく、犯人は村田とは関係のないところで明らかになる……。
本格ミステリにおいて、探偵でもなく犯人でもなく被害者でもなく、さりとてワトソン役でもないこのようなキャラを一般に何と呼ぶでしょうか? そう、脇役です。つまり、本書は本格ミステリにおける脇役を主人公にしたアンチ・ミステリなのです。
村田という主人公の脇役性についてはいくつかの傍証があります。
「たしかに文化人というのは社会にとって、ほとんど何の役にも立っていませんが、法律的のも剰余類とは、ちょっと言い過ぎでは」(本書p95〜96より)といった辺りがまずそれで、村田を含めた登場人物のほとんど全てが剰余類であるとされています。
また、結末においていきなりほんのチョイ役だったはずの”薔薇の少女”が出てくることもそうです。これによって主人公という特別な地位が相対化されてしまうわけですが、もともと村田が主人公でありながら脇役でもあったということを、端的に示している結末だと言えるでしょう。
殺人事件とは本来とても恐ろしいものです。事件の第一発見者として村田が覚えた恐怖はとても説得力がありますし、妥当なものだとも思います。私だって小説だから殺人事件を楽しめるわけで、現実に係わり合いを持つのは断じてゴメンです。
にもかかわらず、ミステリと恐怖というのは基本的には両立しません。それは、探偵が論理的に事件を解決することで、殺人事件が未知のものではなくなるからです。探偵役の導き出した答えがあるからこそ、それによって読者もまた恐怖から逃れることができるのです。
そうした論理の恩恵は、それを導き出した探偵とワトソン役、それと事件の真相を知りうる場にいた脇役には及びます。しかしながら、その場にいなかった脇役には当然のことながら及びません。ということは、論理的解決が与えられない脇役にとって、殺人事件は恐怖以外の何物でもないわけです。
本書における”恐怖”は、ミステリ的な文脈だけで語られているわけではありません。要所要所で発生する地震とそれに対する村田の過敏なまでの怯えは著者自身が体験した阪神淡路大震災の影響を受けてのものだと考えられます。また、作中で突如登場する被害者に生き写しの機械的に喋る人形との会話(?)もまた不気味で、村田の狂気を助長させます。
しかしながら、いろいろと村田の精神状態は錯綜・迷走してはいるのですが、にもかかわらず本書は妙にシンプルで読みやすいのです。どっかのマスコミみたいに”心の闇”なんて胡散臭い言葉で説明されるのは真っ平ですが、こんなに読みやすくてもそれはそれで困ったことだとも思いますが、どうなんでしょうね? それと、結局人形はどうなったのでしょうか? ミステリ的に話を進めておきながら、不明な点を残したのには何か意図があるのでしょうか? それともウッカリ? 結局、恐怖とは謎だということなのでしょうか? どうにも消化の難しい作品です……。
|