ロートレック荘事件
著者:筒井康隆(つつい・やすたか)
出版:新潮文庫
初刊:1990
装丁:カバーデザイン 平野甲賀
(表紙絵・作中絵 ロートレック)
定価:438円+税
ISBN4−10−117133−5

[あらすじ]
 ロートレックの作品に彩られた「ロートレック荘」に、男女の若者が集まった。
 夏の終りのバカンス。恋のかけひきが行なわれるのかと思いきや、突然の銃声が響き渡る。それは悲劇の幕開け。
 不可解な連続殺人の果てに待っているのは、あまりに意外な結末だった……。



 本書は、メタ・ミステリの傑作です。
(本書裏表紙のあらすじに”メタ・ミステリー”って書いてあるのでここでもそういう紹介をしちゃいますが、厳密にはネタバレコードに引っかかってるような気もしないでもないです。)

 作者はこれまでにも『虚人たち』『虚航船団』『残像に口紅』などの斬新で実験的なメタ小説を発表してきました。しかし、その虚構性を前面に押し出すがゆえに特殊な読み方(あるいは嗜好)が要求されるため、読者・評論家のタイプによっては敬遠されがちです。ところが、そうしたメタ小説が比較的好意的に受け入れられジャンルがあります。そのジャンルでは、ときにはメタ小説がそのジャンルを代表する傑作としてとても高く評価されることすらあります。それが他でもないミステリです。そうした意味で、筒井康隆が本書のようなメタ・ミステリの傑作をものにしたのも当然のことだと言えるでしょう。
 とは言え、ミステリというジャンルはある程度の専門性が求められるものなので難しいところもあったと思います。しかし、怪しい建物に閉鎖的な犯罪状況、複雑な人間関係に考えられる動機の数々と、本書はミステリとして押さえるべきところはベタなくらいにまで押さえられています。それでいて最高に意外な結末が用意されているのですから凄いです(ちなみに、筒井康隆には他に『富豪刑事』『フェミニズム殺人事件』『恐怖』といったミステリ作品があります)。
 どんなトリックがどのように使われているのかは、作中の結末の部分において丁寧に説明されていますから、ここで詳述することもないでしょう。とはいえ、ホントに見事な手際の良さです。ロートレック(Wikipedia→ロートレック)を引き合いに出してるところがいかにも巧妙(てゆーか重い)です。
 筒井康隆という人は小説家としてはSF作家としての評価が第一でしょうが、とても多才な人で、劇作家としても活躍しています。そうした、書割による台本作成作業が本書のような傑作ミステリを生み出す上での土台にあったのではないかと推測はできます。

 てゆーか逆に説明しすぎだとも思うのです。ページ・行数まで示して、この箇所はこういう意味だという説明されています。そうした作業は、今なら書評サイトの仕事なんですけどね。出番をとらないで欲しいです(笑)。それまで発表してきた自著が正当に評価されていないという思いのなせる業でしょうか?
 というのはもちろん冗談で、真に読み取ってもらいたい・考えてもらいたいと作者が思っているのがトリックそのものではなくて、なぜそれがトリックとして成立し得るのか、あるいはなぜそれをトリックとして作中で採用したのかという、それこそメタな部分にあるからだと思います。
 筒井康隆は1993年に断筆宣言(1996年12月に執筆再開)を行ないましたが、それは差別表現の規制に対しての抗議のためでした。差別用語は、確かにドキッとしますし、無闇に多用されると不快にも感じます。もともと侮蔑的な由来のものもあります。しかし、だからといって、その用語自体の使用を禁止してしまえば、その用語の持つ意味・象徴するイメージといったものをテーマとする文学作品は作ることができなくなってしまいます。言葉狩りは文学の死に直結しているのです。近年では、精神分裂病→統合失調症、痴呆症→認知症というように、単に言葉の使用を禁じようとするのではなく代わりに使用する言葉を提示するようになってきています。これはこれで異論反論もあるでしょうが、言葉の持つイメージに苦悩する人と、表現の自由との関係を調整するための方法としてそれなりに評価できると思います。
 閑話休題ですが、このように、とにかく書くことを要求されるはずの小説・文学が、こと差別の対象を表現しようとなると、言葉自体を封殺することもあれば、曖昧な表現でお茶を濁すことが許されます。本書解説の佐野洋の言葉を借りれば「エンターテインメントのエチケット」ということになります。そうした暗黙の了解ともいうべきエチケットを逆手にとったからこそ、本書のトリックはトリックとして成立しているのです。一見良識・常識とも思えるエチケットが真実を覆うベールになってしまっているわけで、だとすれば、そのエチケット自体が差別意識そのものなのではありませんか? ということなのです。
 もちろん、アンフェアだという、この手のトリックには付き物の反論もあるでしょう。ただ、第一章と第二章との間で、いかにも怪しい主体の切り替えが行なわれているのですから、真相をそのまま見抜けるとまでは言いませんが、仕掛けがあるという予感を早くから抱いて読み進めるくらいの姿勢は、読者の側にも求められると思います。
 とはいえ、作中でトリックについては説明されているわけですから、本格ミステリとしてフェアだのアンフェアだのを論じてもあまり意味はないでしょう。
 もちろん、説明がしてあるのだから適当に読み飛ばせというわけではないので、その点は誤解のないようにお願いします。読めば読む程、本書に仕込まれている技巧の見事さに驚かされます。

 メタ・ミステリ語る上で、本書は欠かすことのできない一冊だと思います。


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