| 虚航船団 |
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著者:筒井康隆(つつい・やすたか) 出版:新潮文庫 初刊:1984 装丁:カバー 新井苑子 定価:781円+税 ISBN4−10−117127−0 |
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[あらすじ] 狂人ぞろいの文房具の殺戮部隊は、惑星クォールの鼬族を全滅させる指令を受けて進軍を開始した。 惑星クォールの鼬族は戦争と殺戮の歴史を積み重ね、刑期999年6月3日にはついに核戦争にまで発展した。 翌4日、天空からオオカマキリを従えた文房具の殺戮部隊が飛来した。殺人ウィルスを撒き散らし、核ミサイルを撃ちまくり、文房具たちは圧倒的な科学力・戦力で鼬族を殺して殺して殺しまくるが、それでも鼬族は生き残る。終りなき殺戮と狂気の果てに文房具たちと鼬族を待つ運命とは……? 筒井康隆は活動の幅が広く、作家というカテゴリにはくくりきれない人物ではありますが、それでもあえて作家という枠内で評価しようとすれば、SF作家として語られることになるでしょう。 SFとはサイエンス・フィクションの略です。で、SFにもいろいろあります。通常ハードSFと言われるものはサイエンスに比重を置いたものだと言えるでしょう。対して、筒井康隆の場合は、それよりはフィクション・虚構の方に重きを置いている作家であると言えます。 本書は三章構成になっています。 第一章は『文房具』です。すなわち、擬人化された文房具の兵士たちがクォールの鼬族を全滅するよう命令されるのが本章です。 「何で文房具やねん?」というツッコミはあるでしょうが、それは第三章で著者自身(?)が語っているとおり身近にあった文房具が愛着・感情移入の対象になったのがキッカケで、本来人間は多目的でマルチな存在であるはずなのに文房具のように用途の限られた生き方を強いられている、というニュアンスが込められています。 で、コンパスやら消しゴムやら鋏やらホチキスやら、たくさんの文房具が出てくるのですが、これら全員が狂っています。具体的にそれぞれがどのように狂っているのかが懇切丁寧に語られます。それだけで丸々一章が使われています。物語に登場するキャラクターの性格づけとしての”狂気”というものは、普通はその一言で片付けられてしまいがちですが、本書における狂気の書き込みと書き分けは実に徹底しています。 ”擬人化”というと可愛いキャラクタのイメージが一般的かもしれませんが、本書の場合には全員が狂っているので全然可愛くありません(いや、ひょっとしたら可愛いと思う人もいるかもしれませんが)。 オマケに、縦書きで右から左へと読み進める日本の通常の小説の形態を利用したお遊びも用意されています。ナンバリングという文房具(?)は8桁の数字をひたすらカウントしていくのですが、その数字が本文中に登場すると、横に8桁の数字が並ぶのでページ内では違和感と存在感がありまくりです。また、ホチキスはコの字をココココと飛ばします。これは、左から右へと読む横書きが一般的なネット上の、まさに本文みたいなテキスト形式では伝えづらいので実際に見てもらいたいです。後の第三章では、消しゴムが自らの死の描写を消してしまい、その結果数行にわたって空白が続くというふざけた箇所もあります(笑)。 もっとも、こうした趣向を「遊び心」として許容できる方もいる一方で、「真面目にやれ」と思われる方もいるでしょう。そうした方には、寛容な心で本書を読み進めていただくか、もしくは諦めていただくより他はありません。いわゆるギャグ漫画的な手法が用いられているのだと、広い心をもって読み進めて欲しいです。 第二章、『鼬族十種』で語られるのは惑星クォールに生息している鼬族の歴史です。歴史小説ではありません。歴史です。 歴史小説といってもいろいろありますが、特定の人物にスポットをあてて、その人物の生涯を描きつつ、その背後に歴史的な流れを描いていくというのが一般的な歴史小説のスタイルでしょう。 ところが、ここでは特定の鼬の誰にもスポットが当てられることはありません。もちろん、歴史上重要な役割を果たした鼬の名前は出てきますし、それらの功績についても触れられはしますが、それだけです。歴史の教科書を捕まえて「これは小説である」と言っても賛同されることはあまりないでしょう。それと同じです。実際、第二章は途中で年表みたいに、年数とその年の出来事が箇条書きで語られるところもあるくらいですし、全編通してそうしてもあまり問題はなかったようにも思います。第一章では文房具一人一人の狂気を偏執的なまでに描いていたのに、本章で逆にキャラクターにはまるでスポットを当てずに、鼬という種族全体の歴史が大局的・客観的につづられていきます。ミクロの視点からマクロの視点への切り替えにはくらくらさせられますが、これも全て第三章への壮大な布石なのです。 それにしても、ここで語られている鼬族の歴史はおよそ700年なのですが、人類の戦史・残虐史を圧縮したような感じになってます。とても悪趣味だと思いますが、人間の歴史そのものがまあこんなもんですから、笑っておくしかありません。 で、第三章の『神話』では、ついに文房具たちがクォールの鼬族の大虐殺を開始します。 この章では、一応それぞれのキャラクタの視点から物語が語られますので、その意味では、やっと普通の小説になったと思われるかもしれません。しかし、次から次へとコロコロと視点は唐突に切り替わります。やっぱり普通の小説じゃありません(笑)。 殺す者と殺される者、襲う者と襲われる者、命令する者とされる者、追う者と追われる者。とにかく語り手は次々と入れ替わり立ち代わりで、それは切れ目なく行なわれるために、読者としてはそれらを断片的に解釈することはできませんし許されてもいません。 そしてついには作者である筒井康隆自身まで登場します。「なんじゃそりゃ?」って思われるかもしれませんが、アニメなのにいきなり実写映像が入るような映画をイメージしていただければよろしいかと思います(笑)。 ストーリー的に作中の鼬が妊娠して陣痛の場面の描写が必要になるのですが、男の俺に書けるわけないんだけどお前なら分かるだろ? という感じで妻に問いかけて、「わたし小説家じゃないから、陣痛を、まるで描写したみたいに陣痛した経験はないの」って見事に返されて、そうしたやりとりが陣痛・出産のシーンに代替されるというギャグ漫画みたいなふざけた場面転換で出てきます。そうそう、言い忘れてましたが本書はコメディです。普通、コメディだと登場人物はあまり死なないもんですが、本書では死にまくります。千人斬りとかいう馬鹿げた場面もあります。でもコメディです。下ネタも満載です(笑)。不謹慎極まりないですが、そんな常人にはできないことを平然とやってのけるのが筒井康隆の筒井康隆たるゆえんでもあります。そこにシビれる!あこがれるゥ!かは人によるでしょうけどね(笑)。 それだけにとどまらず、著者自身の私小説めいた近況やら、本書『虚航船団』をどのような思惑で書いたのか(!)とか適当なことまでもがつらつらと語られます。物語の最後の方にある著者自身の語りの場面(本書p539〜556)では、句点や読点・段落分けが一切ありません。『虚人たち』では句点がないだけでしたが、ここではさらにその発展形としての試みがなされています。 そうした著者自身と思われる思考が、作中の登場人物たちの物語とつなげられているのが曲者で、つまり解釈と物語が同列に置かれているのです。ですから、読者が本書について何か語ろうと思ったら通常の解釈をさらに解釈したものを語らないといけないのですが、そんなのできるか!(笑) とにもかくにも物語は続きます。語る者と語られる者、産む者と産まれる者、死にゆく者と生きていく者、育てる者と育つ者、そして……。 作中でも述べられているとおり、本書は小説としての様々な要素が含まれていて、それらが”宇宙からの侵略者と先住民族との戦い”というシンプルなストーリーにギュッと詰め込まれることで何とかひとつの物語としての体裁を保っています。やりたい放題やってるはずなのですが、最後には見事に収束していきますし、その結末はとても切ないです。それはきっと、夢見る者の次に物語の語り手としてバトンを渡されるのが、他ならぬ読者だからじゃないかなぁ、と思います。 本書が刊行された当時の評価は毀誉褒貶が真っ二つだったらしいので、万人向けではないことは間違いないですができれば読んで欲しいなぁ、とチョット弱気にオススメしておきます(笑)。 |