| 天のろくろ |
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原題:The Lathe Of Heaven 著者:アーシュラ・K・ル・グウィン(Ursula K.Le Guin) 訳者:脇明子(わき・あきこ) 出版:ブッキング 装丁:かがやひろし 初刊:1971 定価:2500円 ISBN4−8354−4221−0 |
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[あらすじ] 青年オアは自らの見る夢が現実に影響を与えてしまうことに悩み苦しみ、睡眠をとらないようにするため薬物に頼ってしまったことで、精神科医ヘイバー博士の治療を受けなくてはならなくなってしまう。 夢が現実になるという信じがたい現象を知ったヘイバー博士は、オアの夢を恣意的に操作することでより良い現実を作り出すことに利用しようと目論む。夢が現実となることでかつて現実であったことは夢となる。世界の改変の行きつく先は……? いったい荘周が蝶となった夢を見たのだろうか、それとも蝶が荘周になった夢を見ているのだろうか。荘周と蝶とは、きっと区別があるだろう。こうした移行を物化(すなわち万物の変化)と名づけるのだ。 (『荘子 第一冊[→Amazon]』[金谷治・訳注/岩波文庫]p89より) 『涼宮ハルヒの憂鬱』(谷川流/角川スニーカー文庫)の涼宮ハルヒには自分に都合の良いように周囲の環境情報を操作する力があります。その効果も原因も分かりませんが、彼女が「目からビームが出る」と思えば目からビームが出ますし、「猫がしゃべる」と思えば猫はしゃべります。もっとも、ハルヒ自身は自分にそんな能力があることを知りませんし、周囲にいるキャラクターたちもハルヒが能力を自覚しないように、さらには彼女の能力を抑制するために行動しています。それがハルヒ自身のためでもあり世界のためでもあるからです。 しかし、世界を改変する能力が自らにあることをその者が自覚し、さらに周囲の人物がその能力を利用して世界を改変しようとしたらどうなるでしょうか? ル・グィンのSFと言えば『闇の左手』や『言の葉の樹』といった「ハイニッシュ・ユニヴァース」シリーズが有名ですが、本書はそれとは趣向の違うSF作品です。 1971年に書かれた近未来小説なので、2006年時点で振り返ると異なった歴史を辿っていることにはなります。しかし、ここで扱われて危惧されている戦争とか人口問題とか人種差別とかは、現代においても重要なテーマのままですので、本書の近未来小説としての価値はまったく損なわれていません。 主人公のオアは自らの見る夢が世界を変えてしまうことに苦しみます。彼の見る夢は確かに彼自身の願望が反映されたものではありますが、しかし、そんなに単純なものではありません。嫌な奴がいたとして、そいつがいなくなる夢を見てホントにいなくなってしまったら、オア自身は良心の呵責に苛まれることになります。しかし、他の人間にとってはそいつは最初から世界に存在しないので、彼の罪の意識は彼自身にしか理解されません。世界の改変はそこに立ち会ったものにしか理解されることはないのです。ですから、オア自身は自らの能力を何とか抑えようとし、そのために薬物で眠らないようにするのですが、違法な薬物使用が発覚したことで精神科医の治療を受けなくてはならなくなってしまいます。 そんな彼の能力を知り、積極的に利用して世界を良い方向に改変しようとするのが精神科医のヘイバー博士です。彼は脳波をコントロールする機械を用いることで”効力のある夢”を見る状態に誘導し、催眠暗示によって自らの望む夢をオアに見させようとします。ヘイバーは基本的には利他的な動機でその能力を用いようとします。しかし、ヘイバーが相手にしているのはオアの無意識です。無意識はときに理屈に合わないような現象を生じさせつつも想像力もまた働かせますので、ある効果を生じさせようとした結果とんでもない副作用をも生じさせてしまいます。 人口増加による世界的な貧困を解決しようとした結果、過去に地球規模の大災害が生じたという歴史的改変が行なわれて60億(!)の人間が死んでしまったことになったり、人種差別問題を解決しようとしたら肌の色が灰色の人間だけの世界が出来上がり、肌の色がアイデンティティだった人間を消滅させてしまったりと、無意識による辻褄合わせまで制御することはできません。たちの悪い「もしもボックス」のようなものです。傑作なのは、人類同士の戦争をやめさせようとしたら何と異星人がやってきて月を侵略し、それによって人類同士の戦争が止まるというものです。 そんなわけで、ヘイバーは世界の改変自体には成功しながらも、なかなかその成果には納得できず、さらには自らの欲望とも相まって世界の改変を続けていきます。その一方で、ヘイバーはオアの脳波を記録・分析することでその能力を自分のものにする研究も続けます。 世界が思い通りになる力を使いながらも思い通りにはならない世界。もちろん、無意識と意識とのギャップということもあるでしょう。それに、自らの望み・希望を一方向に限定できるほど人間の意識というものは単純なものでもないでしょう。また、夢という利己的なもの(?)に利他的な動機とを結びつけることにそもそも無理があるとも言えるでしょう。 しかし、そこには著者自身の世界のあり方についての考え方ももちろん反映されているはずです。作中の結末が暗示していると思われるのがそれで、つまり、世界というのは一人の人間の頭の中だけでどうにかなるものではなく、他者との関係性によって初めて安定した世界が出来上がる、というものです。 この物語には主要な人物は三人しか登場しません。主人公の青年オアと精神科医のヘイバー、それからヘザー・ルラッシュ(ルラッシュという名字は世界の改変によって変化することがありますが)。 自らの能力の抑制を望むオアと、その能力を利用しようとするヘイバーとは患者と医師でありながら対立関係に立ちます。そこでオアが助けを求めたのが弁護士(この職業も世界の改変によって変化します)のヘザーです。 オアとヘイバーのポジションは世界の改変によってもあまり変化しませんが、ヘザーのポジションは世界によっては名字が変わったり職業が変わったり、果ては存在そのものが消滅したりします。 イーザー・オア(either or)というのは作中に何度か出てくる言葉です。オアは主人公の名前が分かりやすく暗示しているものです。イーザーは多分ヘザー(Heather?)の元になってるんじゃないかと思ったりもしてますが、原文に当たったわけじゃないので自信はありません(でも多分ヘイバーにも意味があるはずです。私には分かりませんが)。それはともかく、改変され続ける世界の中で、オアにとって彼女はとても重要な意味を持ちます。 本書はオアとヘイバーとの対立がストーリーの基本的な軸になってるわけですが、それには様々な側面が複雑に絡まってるので、簡単には説明できません。その奥深さはやはり実際に読んで味わってもらいたいのですが、例えば、オアが停滞を主張すればヘイバーは進化の必要性を唱えます。オアが東洋思想的な主張をすればヘイバーが西洋思想的な反論をします。作中にも荘子や老子からの引用文(不正確なものらしいですが)があるとおり、東洋思想の影響が強く感じられるのがル・グィンらしいところですが、一神教的な考え方では、人間の夢が”神”の代わりをしてしまうようなストーリーは書きづらいように思いますし、そうした意味で本書は著者の本領が発揮されたものだと言えると思います。 患者と医師としての対立という視点からも考えさせられるものがありました。通常、医師と患者とは対等な関係に立たねばならないものですし、コミュニケーションが上手くいかないのであれば、患者は気に入らない医師の治療をわざわざ受ける必要はありません。ところが、夢が現実になるなどというのは普通に考えれば妄想以外の何物でもないので、患者の精神状態が問題となります。そうした精神医療の場合には、本書のオアがまさにそうですが患者の意思がハッキリしていないことがあります。そのため医師は患者に対してパターナリスティックな関係に立つことが可能なわけで、つまり医師は患者の意思をある程度無視した治療をやろうと思えば出来てしまうのです。 そのことが本書におけるオアのヘイバーに対しての望まざる依存を生じさせるとともに、その問題を解決するために弁護士であるヘザーを頼ることになったわけです。この辺りの構想の確かさが、改変され続けて不安定極まりないはずの物語をしっかりしたものにしているのだと思います。 世界は良い方向に改変されているはずなのに、そうして描かれる世界はどれも陰鬱なものばかりです。 途中から出てくる異星人たちはわけの分からない単語(きっと意味はあるのだと思いますが)で話しかけてきますし、そんなわけでお世辞にも読みやすいものとは言えません。ですが、本書で行なわれている世界改変の思考実験は、上述したように異星人が出てくるような笑える展開を交えつつも、とても刺激的なものです。 ジャンルとしてはSFに分類されるのでしょうが、ル・グィンのSFは理系的な知識は必要としないものばかりですし、本書もその例に漏れません。ジャンルとか関係なしに広く読まれて欲しい一冊です。 |