第三の時効
著者:横山秀夫(よこやま・ひでお)
出版:集英社文庫
初刊:2003(ただし、2006年の文庫化に際して加筆改稿がなされています。)
装丁:カバー 伊丹友広
定価:629円+税
ISBN4−08−746019−3

 短編集です。
 F県警という架空の県を舞台にした捜査第一課の強行班捜査一係(通称一班)、二係(二班)、三係(三班)の各班長とその部下、三つの班を束ねる捜査第一課長といった面々の視点でそれぞれ語られる6つの短編が収録されているのですが、そのクオリティの高さといったらありません。
 横山秀夫の短編警察小説といえば、『陰の季節』や『動機[→Amazon]』などの優れた作品集が既にあります。ただ、これらの作品は警察内の組織のゴタゴタという点に比較的重点が置かれていまして、そこが新鮮でもありますが、あまりに内容が重く、子供がこれを読んだら「刑事にだけは絶対なりたくない」と思うような鬱なものです(笑)。
 ところが本作の場合、もちろんそうした組織内の軋轢もありますが、それよりも事件とそれに取り組む現場の刑事たちの動向・心情が先にあるので、従来のものよりとっつき易い、万人向けなものに仕上がっていると思いますし、「刑事っていいかも」ってほんの少し思える内容になってます(多分)。ってゆーか、ただ単に皆に読んで欲しいと思うのです(笑)。

沈黙のアリバイ
 一班の班長である朽木の視点で語られる、本格ミステリ的にいえばアリバイ(=現場不在証明)ものです。
 朽木は本作を通して非常に重要な位置にあるキャラですが、その過去・背景がこの作品では語られています。無表情・自省的ですが、情といったものをどうにか保っていられる朽木の根っこがここにあります。
 法廷小説としても特徴的なものがあります。というのも、通常の法廷小説は弁護士側の視点で語られる場合がほとんどですが、本作の場合、警察側、しかも検事ではなく現場の刑事の視点で語られます。”疑わしきは被告人の利益に”の原則から、弁護側は検察側の証拠に難癖つけて灰色にすれば良いのに対し、検察側は厳密な事実の立証が必要とされます。そのために、現場の刑事は被疑者(被告人)からどうやって自白を引き出すか? どのような証拠を集めなければならないか? 有罪率99%を誇る日本の警察の実情みたいなものを垣間見れるような気分にさせてくれる法廷小説と評することができるでしょう。

第三の時効
 表題にもなってる本作ですが、タイトルどおり時効、すなわち公訴時効期間が問題になってます。で、殺人の時効15年が第一の時効で、海外渡航による時効停止期間が第二の時効となっています。では第三の時効とは何か? 法的にも論理的にもアクロバティックな荒業です。現実にはほとんど不可能でしょうが、本作の場合には伏線もちゃんと張ってありますから納得です。ってゆーか楠見恐るべし(笑)。
 ただ、作品は内容とは別のところで少々引っかかりを覚えました。
 本作では殺人の時効期間が15年として扱われています。初出時(平成14年)は確かにこれで良かったのです。しかし、実は平成16年に刑事訴訟法が改正されまして、殺人の公訴時効は15年から25年になりました(刑訴法250条)。で、文庫版は平成18年に出版されましたので、作中と現在の法律との間で齟齬が生じていることになります。
 このことを以って本書は間違ってる、みたいなことを言うつもりは全くありません。殺人の時効が15年だった時代は確かにあったわけですから、それが25年に訂正されてたりしたら逆に興醒めというものです。
 しかし、法律に詳しくない方が本作を読むと、殺人の公訴時効は今でも15年なんだなぁ、とは思っちゃうでしょう。それはよろしくないと思うのです。ですから、こういう場合には解説でフォローするか、もしくは巻末に注釈などを入れるとかするべきだったと思いますし、二刷以降(アイヨシの手元にあるのは初刷)からでもやるべきだと思います。
 細かいことと思われるかも知れません。ただ、助産婦→助産師とか精神分裂病→統合失調症なんかの変更にはすごい素早い対応がされたように思うのですが、それに比べると今回の場合は2年前の法改正であるにも関わらずちょっと鈍感なようにも思いました。

囚人のジレンマ
 本書収録の短編の中のマイベストはこれです。
 囚人のジレンマ(→Wikipedia)を物語の軸に、一班、二班、三班がそれぞれ担当する事件と、三つの班を監督する立場にある田畑第一捜査課長の組織人としての苦悩が描かれています。複数の事件が同時進行するモジュラー形式は警察小説ならではの醍醐味ですが、それを読者に分かりやすく伝える著者の手法には卓越したものがあります。
 部下が無能だと上司が苦労するのは当然ですが、有能なら有能で上司の苦労は絶えないという、結局組織人である以上苦労からは逃れられないわけですが、だったら、有能でいいから事件を挙げてくれという田畑課長はカッコいいと思います。報われないでしょうけどね(笑)。
 横山作品の警察短編としては珍しくホロリとさせられるものがあります。情と論理の交錯が物語を奥深いものにしていることに驚かされます。それに、こういうのがたまにあると、他の鬱な作品がより際立つというものですしね(コラコラ)。

密室の抜け穴
 これもまた巧みです。被疑者はいかにして刑事たちの監視を逃れて密室から脱出したのか? 密室ものというよりは消失ものといった方が本格ミステリ的には正確かもしれませんが、その謎が会議室という密室で解かれるという二重の密室の趣向が憎らしいほど見事に決まっています。解決に至る論理性と意外な真相は本格ミステリとしても傑作だと思います。
 それでいて、会議室の中で行なわれる責任のなすりあいという真剣勝負は手に汗握るものがありますし、イヌワシの雛のたとえで物語を引っ張る展開も見事です。
 ちなみに、岡嶋二人の短編に同じタイトルのものがありますが(『記録された殺人[→fukkan.com]』収録、講談社文庫)、内容的に両者は全くの別物ですので念のため。

ペルソナの微笑
 間接正犯というのは、他人の行為を利用して自己の犯罪を実現する正犯のことで、法律用語なわけですが、そんな一般にはなじみのない概念も横山秀夫にかかればすんなりと読めてしまう作品に仕上がるのですから不思議なものです。
 操る側が操られる側になる入れ子構造とでもいうべき物語の構図が後期クイーン問題を彷彿とさせる、というのは考えすぎでしょうが(ナンノコッチャ)、なかなかに味わい深い作品だと思います。

モノクロームの反転
 一家三人殺害、しかも一人は小学校に上がる前の子供ということで、田畑課長は三班だけでなく手の空いていた一班も事件に投入します。
 一プラス一がいくつになるのかが問題になるわけですが、お約束どおり、一班と三班は手柄を競い合います。縄張り争いに情報の断絶といった露骨なまでの殺伐とした争いに、いっそ清涼感を覚えつつも、最後になって一班班長朽木と三班班長村瀬の間で行なわれるやりとりにホッとさせられます。なるほど、モノクロームの反転とは良くぞ名付けたものです。もちろん、一義的には目撃証言の真実を暗示したものではあるのですが、巧妙なタイトルだと思います。

 以上、各短編それぞれが傑作です。
 加えて、それぞれの短編の通奏低音として流れているのが各班同士の対立です。一班の班長朽木は犯人の心理に容赦なく緻密に迫る正攻法のやり手、二班の班長楠見は女性を物扱いするフェミニストならずとも非難したくなるダメ人格ですがその思考は冷徹そのもので違法スレスレの手段も辞さない策略家、三班の班長村瀬は事件の真相が早見えする天才肌と、それぞれの班長が有能にしてキャラが立っています。こうした捜査班内部の争いはこれから先もとても楽しみなので、ぜひ少しでも早い時期に続編が出ることを切に願います。


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