| 月の記憶(上/下) |
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原題:Moondust 著者:アンドリュー・スミス(Andrew Smith) 訳者:鈴木彩織(すずき・さおり) 出版:ヴィレッジブックス 装丁:カバー写真 NASA 初刊:2005 上巻の定価:800円+税 下巻の定価:820円+税 上巻のISBN4−7897−2772−6 下巻のISBN4−7897−2773−4 |
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ぼくはまた、自分がムーンウォーカーたちに興味をひかれるのにはもっと現実的な面があるということにも気づいている。というのも、ぼくやぼくの知り合いの多くが折にふれて口にする疑問を、彼らが象徴し、体現しているようにさえ見えるからだ。自分はこれからも今のくらしをつづけていくのだろうか? 今の暮らしに感謝を捧げながらより良い日々を送るために努力をするという大きな目標を掲げ、そこに楽しみと満足感を覚えて生きていくつもりなのか? それとも、思い切って月へ向かって飛び立ってみようか?(本書下巻p131〜132より) 本書はノンフィクションです。 アポロ計画(→Wikipedia)については、宇宙飛行士本人が自らの体験をつづった自伝や、専門家がミッションそのものを検証するタイプのものなどたくさんありますが、本書のように生き残りの宇宙飛行士にインタビューをして、作者自身の回想録としての性質を持ちながら、宇宙飛行士各人の事情を横断的に検討しつつ、さらに過去と現在を往復しながらアポロ計画の意義を問うというタイプのものはとても珍しいです。 ソビエトとの冷戦、ベトナム戦争、国内での人種問題など激動の時代だったアメリカのあの頃、1969年から1972年にかけて行なわれたアポロ計画による人類の月面着陸にはどんな意義があったのか? 1999年、本書の著者はふとしたきっかけから、月面に降り立った12人の宇宙飛行士、ムーンウォーカーのうち既に3人が死亡しており、残りが9人しかいないことに気付きます。そして彼は、存命しているムーンウォーカー達に会いにいくことを決意します。 本書を読んで真っ先に感じたのは、月面着陸自体がアイヨシの生まれる前の出来事ということもあり、自分が全く同じ時間を共有していないのだなという疎外感です。 このことは何もアイヨシに限ったことではありません。アポロ計画自体、広範囲に及ぶ膨大な資料が残されている歴史的出来事です。にもかかわらず、昨今、月面着陸はデマだという捏造説が結構熱心に主張されていることがその証左だといえます。本書の中でも、ムーンウォーカーの一人であるオルドリンが日本のテレビ番組のインタビューを受けるためにホテルにったら、それは月面着陸捏造説の番組の製作を企図してのものだった、なんてエピソードがあります。また、突然鼻先に聖書を突きつけられて右手をこれに載せて本当に月へ行ったと誓うよう迫られるなんてことも書かれています。つまるところ、月面着陸というものがそれだけ途方もない事業であったということでしょう。 実際、ムーンウォーカー自身、当時の月面着陸の成功率は五分五分と判断していたと言っています。そして、それは今だから言えるという類のものではなく、ほぼオフィシャルに近い成功率だったようです。フジテレビの『トリビアの泉』でも、アポロ11号のコンピュータの性能はファミコン以下(ファミコンの方が10倍性能がいいらしい)なんてのもあったくらいですし。 月面着陸自体は確かに夢とロマンに満ちたものではあります。だからと言って、よくそんな危険なミッションに挑むものだなぁ、と思ってましたが、「ここでなければ、軍の基地で暮らすんだってこともわかっていたの。わたしたちの夫はベトナムに出撃していたはずだったんですもの」(下巻p178〜179)という背景を考えれば確かに納得です。ムーンウォーカーたちには空軍出身者が多くて、子供の頃からから宇宙飛行士を目指していた人間は(当然のことながら)ほとんどいないわけですし、当然といえば当然ですが、目から鱗でした。 とはいえ、本書の一番の読みどころは、何と言ってもムーンウォーカー各人へのインタビューです。ムーンウォーカーはみんな強烈な個性の持主ですし、月面着陸後の生活もそれぞれです。 アポロ11号で人類最初の月面着陸者となったニール・アームストロング(「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」で有名な人)は隠遁生活をしているだけあって、本書のインタビューでもほとんど姿を現しません。 バズ・オルドリンは鬱病とアルコール依存症に悩まされることに苦しみますが、体験記を書いたり小説を書いたりして宇宙開発活動に関わっています。 アポロ12号のムーンウォーカー、ピート・コンラッドは1997年に死去しています。アラン・ビーンは月面着陸後、アーティスト(画家)としてたくさんの月の絵を描いています。 アポロ13号(→Wikipedia)は宇宙空間で爆発事故を起こし、月面着陸を断念して奇跡の生還を果たしました。『アポロ13号』というタイトルで映画化されましたし、ひょっとしたら一番有名かもしれませんね(笑)。 アポロ14号のムーンウォーカー、アラン・シェパードは1998年に死去しています。 エドガー・ミッチェルはノエティク・サイエンス研究所(INOS)を設立しました。科学と宗教との融和を目的とする団体です。宇宙飛行士というと強固な理性の持主という印象がありますし、それは間違っていないと思います。だからこそ、ムーンウォーカーがこうした団体を興したというのはとても意外に感じましたし、それだけ月面着陸というのは神秘的な体験だということなのだと思います。もっとも、インタビューから垣間見えるエドガー・ミッチェルの人柄は、信仰宗教団体の教祖にありがちなアブナイ性格とは全く無縁の、とても理知的な人物のように見えます。そこがとても面白いです。アポロ11号のムーンウォーカーのオルドリンが商業的な目的での宇宙開発を目指しているよう(「われわれはこの惑星を破壊してしまったのだから、ほかの惑星を手に入れたほうがいい」)ですがそれについてあなたはどう思うか? という質問に対して、「それは解決策ではない。ちがう。わたしたちはこの惑星で問題を解決しなくてはならないし、そうすることでますます宇宙へ出て行く準備が整うんだ。わたしたちは愚行という汚名の代わりに、もっと役に立つものを運んでいくことができる。わたしが火星に行ったとしよう。ちっぽけな点になった地球をふりかえって『わたしはアメリカからやってきた』というのはまったくばかげたことだ。フランスであろうと中国であろうと同じことだ」(上巻p147より)と答えているのがとても印象に残っています。 アポロ15号のジム・アーウィンは1991年に死去しています。 デイヴィッド・スコットは、宇宙に商売目的の切手を持ち込んだというスキャンダル(法的にはなんの問題もないがNASAの規則に違反する行為)が発覚したあと、公式の場から姿を消してしまいます。 アポロ16号のジョン・ヤングは月面着陸後もNASAに勤務し続け、スペースシャトルの処女飛行時も船長を務めています。彼と著者とのインタビューはなかなか噛みあわず、失礼ながら笑ってしまいました。 チャーリー・デュークはビール配送会社を設立して大成功を収めます。その一方、酒に溺れ家庭内で不和を起こし子供たちと上手くいかなくなり、妻のドティーとは離婚の危機を迎えます。彼はビール会社の株を売り払い飲酒との縁を切り、宗教(エドガーのINOSとは違う、昔からの神を信じる宗教)に夫婦とも救いを求めることで心の平穏を手にします。このインタビューでは、チャーリーだけでなくその妻のドティーにもインタビューしているので、宇宙飛行士に多く見られる離婚の原因とかそういうことについても触れられています。「ほとんどの男性は、もっと、ハンターとしての本能から結婚に踏み込んでいくんじゃないかしら。『彼女を捕まえて結婚したぞ。これでようやく残りの人生に取り組むことができるようになった』っていう考えが生まれながらに染みついているんだと思うわ。つまり、女性は結婚を一つのはじまりだと思っているのに、男性の方は達成したことのようにおもっている。わたしたちに起こったのはそういうことじゃないかしら」(下巻p190より)という述懐は、男性向けと女性向けの恋愛マンガに見られる違いとしてよく言われてると思いますが、こうした見解が宇宙飛行士の妻の口から語られることに真理みたいなものを感じました。 最後の月面着陸となったアポロ17号のジャック・シュミットは地質学者として月に降り立ちました。もちろん、宇宙飛行士として足りないものがあるわけではありません。優れた人材ぞろいのムーンウォーカーの中でも飛び切りの完璧超人だと思います(笑)。彼とのインタビューの中で、宇宙飛行士の全員が一人息子か第一子で、精神科医が称するところの”A型行動様式”という性格的特徴を見せていることが指摘されています。確かにそういえばそうです。話は逸れますが、『ふたつのスピカ[→Amazon]』(柳沼行/MFコミックス)の主要キャラクターも期せずしてこの条件が当てはまりますね(”息子”じゃないですが)。 ジーン・サーナンは月に降り立った(今のところ)最後の人物です。講演やテレビの仕事などで有名らしいですが、現在も宇宙開発に携わっています。 インタビューのテキスト量は膨大ですから、ひとくちにまとめることはできません。ムーンウォーカーの全員が、「月面に立つのはどんな感じだったのか?」という質問に容易に答えることができないというのは興味深いです。 また、ムーンウォーカーたちの多くが月面から帰ってきた後に心の平穏を取り戻すのにとても苦労していることに驚かされます。それは、もちろんムーンウォーカー自身が月面着陸によって大きな影響を受けたということもあるでしょう。しかし、それだけではなく、月面着陸という歴史出来事は大衆にも大きなインパクトを与え、その大衆がムーンウォーカーたちに投影したがる(あるいはNASAが演出したがった)英雄像とのギャップに耐えられなかったというのもあるでしょう。SF小説だと月面どころか火星なり木星なり、もっともっと遥か彼方の惑星にまで行って帰ってくる物語も珍しくありません。しかし、月面着陸だけでムーンウォーカーたちがこれだけの影響を受けてしまっている(それが良いことか悪いことかは一概には判断不能)わけですから、それより遠くへ行っちゃったらどうなるんだろうという、現実問題としてはあまり意味のない不安はあります。てゆーか、『ふたつのスピカ』のアスミたちは宇宙に行けない方が幸せなんじゃないかという気すらします(笑)。 アポロ計画の意義については、多面的なアプローチから検討されています。もちろん、対ソビエトを意識した冷戦下での技術競争といった側面はあります。テクノロジーの発展という側面がなければ実現は不可能だったことも否めません。国家事業であったはずのアポロ計画が、カウンター・カルチャー(反体制文化)として一般大衆に受け入れられたのではないかという皮肉な側面があったことも示唆しています。「月から地球を眺めるためにいったんじゃないか」という素朴な意見もあったりします(笑)。意味なんかなくてもいい、と開き直るには金がかかりすぎます。アポロ計画は一時期アメリカの国家予算の5%を占めてたらしいですし。もっとも、そのとき5%があったとして、必ずしも教育・福祉とか有意義に使われてたとは限らず、核開発やベトナム戦争にばんばん使われてたかもしれません。そういう意味では無駄遣い万歳! と言えるようにも思います。 とにもかくにも、人類は何故宇宙へ、月へ行くのか? という疑問への決定的な答えはありません。それでも、近いようでまだまだ遠い宇宙旅行を考えるための一助にはなると思います。『プラネテス[→Amazon]』(幸村誠/モーニングKC)や『第六大陸[→Amazon]』(小川一水/ハヤカワ文庫)みたいな近未来型宇宙開発SFなんかは、本書を読むことでさらに楽しめるんじゃないかと思います。 あと、本書は確かにノンフィクションなのですが、著者自身の心情とか背景とかも結構記述されています。ですから、よくあるノンフィクションものと比較すると少々ウエットな感じがしますので、そういうのがダメな人にはダメかもしれません。しかし、これだけの歴史的出来事を検証するのにまったく感慨を抱かないとしたらそれこそ不自然でしょう。それに、著者の心情等が混ざっているからこそ、本書は読み物としてとても読み易くなっています。事実と評価が混乱しないようにという配慮は、著者自身はもとよりインタビューを受けているムーンウォーカーたちも注意を払っているところですので、ノンフィクションとして度を超えているような過剰な感情の表現はありません。私はむしろ単なる歴史的事実の記述に終わっていない点を高く評価すらしています。そうした意味でも本書はオススメです。 |