オックスフォード連続殺人
原題:Crimenes Imperceptibles
著者:ギジェルモ・マルティネス
(Guillermo Martinez)
訳者:和泉圭亮(いずみ・けいすけ)
出版:扶桑社ミステリー
装丁:カバーデザイン 小栗山雄司
初刊:2003
定価:905円
ISBN4−594−05086−7
(スペイン語が上手く表記できません…)

[あらすじ]
 アルゼンチンから奨学金で、オックスフォード大学に数学者として留学した「私」は、渡英したのもつかの間、下宿先の家主である未亡人の他殺死体を発見してしまう。
 一緒に死体の第一発見者となった世界的数学者セルダム教授とともに、「私」は事件について考察するが、第二、第三の不可能犯罪の発生に、事件はますます混迷を深めていく。そうした中、「私」はついに驚愕の真相にたどりつくのだが……。



 本書は、過剰なまでに数学に彩られています。物語冒頭に発生する殺人事件の被害者であるイーグルトン夫人の元夫は高名な数学者ですし、主人公の「私」は数学を学びにアルゼンチンからオックスフォード大学に留学してきた学生、そして「私」とともに死体を発見したセルダム教授は世界的に有名な伝説的数学者ときてます。
 これだけの条件がそろっているわけですから、作中では当然のように数学の逸話、数学的論理、そこからさらに哲学・物理学・論理学といったアカデミズムな表現・描写がいっぱいです。
 いわゆるお勉強ミステリなんて言葉も巷ではありますが、一般にミステリにおいて、ある事柄を過剰なまでに専門的に説明しながら物語を進めていくという手法はよく見受けられます。それは、本書の言葉を借りれば「英国人が明らかに取るに足りない天候に関する質問から会話を始めるのは、もっと重要なテーマに移る前に、共通の理解や快適な雰囲気を作り上げたいという願望からである」(p157)ということになるでしょう。すなわち、ミステリとしてのプロット・トリックを成立させるために少々特殊な知識を要する場合において、それを読者に伝えるための説明だったりするので、トリックのためならばそれは伏線でしょうし、プロットのためならば、一見無関係のようで、実はストーリー(特に真相)と密接に関わっているということになります。本書における数学的談義は、その両方の場合に当たります。
 「私」とセルダム教授との間では、作中で起きる事件について語られながら、それより更に広範な、本格ミステリ全般が抱える問題についても自然に語られていきます。
 例えば、「真実と、証明され得る真実の一部とは似て非なるものだ。実はこれこそがゲーテルの理論に関するタルスキーの派生的命題なのだよ」(p73)と、ゲーテルの不定性原理を引き合いに出しつつ、犯罪捜査における証拠の相対性・証拠から導き出される真実の危うさを論じていきます。
 また、「不幸にも〈オッカムの剃刀〉の原理に従って行動しているからね。つまり、その逆を示す物的証拠がなければ複雑な仮説よりも単純なものを常に好むのだ」(p82)なんてのは、探偵の引き立て役になってしまっているミステリにありがちな警察(もちろん、そうじゃない場合もたくさんありますが)がよくやってる推理を端的に表現しています。しかも、この〈オッカムの剃刀〉についてのやりとりは、事件の真実が明らかになった後に読み返してみますと、とても意味深な発言でして(むにゃむにゃ)。
 それに、「犯罪学と数学という二つの学問分野には理論的な類似点がある。両分野とも予想を立てる。しかし、現実世界に関する仮説を提起するときには、必ず結果をもたらさずにはおかず、取り消すことのできない活動要素を確実に取り入れることになる。方向を一つに絞り、それ以外の方向を排除したり、一つの可能性だけをリアルタイムに追求したりすれば、その後では他の何を試みようにも手遅れになってしまうかもしれない」(p129)などという犯罪学と数学との対比は、好きな人にはたまらないと思います。
 一番大胆でビックリしたのが、論理数列についてのやりとりです。この論理数列の問題は、ミステリに例えれば連続殺人・ミッシングリングの問題となるわけで、まさに本書のミステリ的な意味での主題に当たります。
 この作中のp46にある論理数列の問題(クイズのようなものです)は、是非自力で解かれることをオススメします。分かってしまえば簡単な問題なのですが、アイヨシは恥ずかしながらすぐには分からなかったので、そのまま読み進めて、物語の最後の最後になってやっと答えが分かったのですが、そのときには寒気がしました。だからといって、その問題だけをパラパラと立ち読みするようなことは絶対にしないで下さい。ぶっちゃけ、小説を全く読まずに問題だけを見た方が答えを導き易いとは思うのですが、それでは全く意味がありません。ってゆーか、この場合答えがすぐに分かってしまった人はむしろ負け組だと思います(←ナンノコッチャ)。

 本書について、メタ的な魅力ばかり強調してきましたが、数学者ばかりの登場人物たちの描写も独特ながら奥深いです。

「初めて私に量子物理学の不確定性原理を教えてくれたのはサラだった。勿論、私が何を言いたいのか君には分かるだろう。天体のメカニズムのように、ボウリングのピンの衝突にたとえられる、大規模な物理現象を支配する明白で整然とした公式は、あらゆるものが最高に複雑で、論理的なパラドックスにさえ見える、原子より小さな無限小の世界ではもはや有効ではない。この発見は私の方向性を変えた」(p76より)
 これは男女の出会いの回想ですが、こんな個性的な表現は滅多にお目にかかれるものではありません。論理的な言葉を使ってるのに、とても艶かしく感じます。
 そもそも、著者自身がとても数学に造詣が深く、作中の「私」と同じくアルゼンチン生まれ(本書はアルゼンチンの作品で、原題直訳は「見えざる犯罪」)で、オックスフォードに2年間留学した経験があります。さらに、すると、エルエル(ll)の発音でつまずきながらもいじらしい努力をしてベスが私の名前を読んだ。(p60)とありますから、「私」は、相当程度著者自身(Guillermo)を投影した存在だといえるでしょう。

 数学者が出てくるといえば、日本だと2005年の各種ミステリ・ランキングで話題を独占した『容疑者Xの献身[→Amazon]』(東野圭吾/文藝春秋)がありますけど、そちらと読み比べてみるのもなかなか乙なものだと思います。具体的にどうとはいえませんが、両方とも数学者が出てくるという以上の共通点があったりなかったり(笑)。

 とにかく、すごいミステリを読ませていただきました。感無量です。


書評TOPページへ