| ドウエル教授の首 |
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原題:ГОЛОВА ПРОФЕССОРА ДОУЭЛЯ 著者:アレクサンドル・ベリャーエフ (Aleksandr Romanovich Beljaev) 訳者:原卓也(はら・たくや) 出版:創元推理文庫 装丁:カバー 金子三蔵 初刊:1926 定価:140円(古すぎて意味がないですね・笑) ISBN4−488−63401−X |
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[あらすじ] 医師であるマリイ・ローランは、決して秘密を漏らさないという条件の下、ケルン教授の助手として雇われることになった。実験室内部で彼女が見たものは、最近死んだばかりの高名な外科医ドウエル教授の首だった。知性も感情もあるその”首”の生命を維持するための仕事を命じられた彼女は、やがてケルン教授が研究のために行なったことの真実を知ることになる……。 神戸の酒鬼薔薇事件は確かに陰惨かつ衝撃的な事件でしたが、その衝撃の一端を担ったのが校門に置かれていた生首でした。想像するのも嫌なシチュエーションですが、それだけのインパクトが生首にはあります。現実でそんなものにお目にかかるのは絶対にゴメンです。 現実じゃないにしても生首には相当のインパクトがあります。 今まで”生首”と言ってきましたが、一般的(?)には生と言っても生きている首のことを指しているわけではなく、切ったばかりの新鮮な首という意味です。反対語はおそらく乾首でしょう(ホントか?)。 とは言え、死んでようが生きていようが、怖いものは正直怖いです。少し昔に(一部で?)話題になったこれ(←衝撃画像なので初見の方はご注意を)なんかは凄かったですしね(つーか、初めて見たときには立ち上がれませんでした)。こんなものを見てしまった後では大したショックもないと思いますが(笑)、『ドウエル教授の首』とは正にドウエル教授が首から上だけの状態になってしまったものです。『スレイヤーズ!』(神坂一/富士見ファンタジア文庫)の2巻目『アトラスの魔道士[→Amazon]』に出てくる”あれ”は多分これが元ネタだと思います。(※参考→生首ミステリ) 始めの4ページで生首とのご対面。つかみはOK♪ っておいおいちょっと待てって。この本が書かれたのって1926年なんですよね。ベリャーエフはロシアのヴェルヌって呼ばれてるんですが、さもありなんというかすごい最先端ぶりです。何でも、本書はベリャーエフの最初の長編で、寝たきりの闘病生活の中でこのアイデアを思いついたらしいですが、そこから普通だったら介護についての物語(そういう側面もあるにはあります)にしそうなものをSFにしちゃうのはさすがです。首だけで生きていることは果たして”生きている”と言えるのか? この問いは生命の質の問題として安楽死・尊厳死などにも通じる論点です。 でもでもですね、すごいのはここからなんですよ。生首というもの凄いアイデアでインパクトがあるものを最初に持ってきておきながら、ここから先のストーリー展開がもっと凄いのです。 ドウエル教授と会話ができるようになったマリイは、彼がどうしてこのような姿になってしまったのかを問いただします。 生命の肉体における部分的な生命維持という研究はドウエル教授とケルン教授が共同で行なっていたものの、実際にはドウエル教授の才能がかなりのウェイトを占めていたこと。ある日ドウエル教授は持病の喘息の発作を抑える薬をケルン教授からもらいそれを飲んだら具合が悪くなり、気が付いたら首だけになっていて、ケルン教授によればドウエル教授の生命を救うために行なった措置だと説明されたこと。ケルン教授としては研究の成果を独占することが可能になったとはいえ、研究を更に進めるためにはドウエル教授が必要なのでドウエル教授の首の生命は維持しなければならない。ドウエル教授はそうしたケルン教授に対して沈黙で抵抗しようとするも、首だけの状態では抵抗することもままならず、しかも現実に首だけになってしまった自分が知識を生かそうとすればケルン教授に手を貸すよりないこと、などなど・・・・・・。 真実を知り、ケルン教授が行なったことを告発しようとするマリイを、ケルン教授は精神病院に入れてしまいます(そこでマリイが狂っちゃいそうになる描写がまた凄いです)。常識を覆す研究を守るために告発者の常識を打ち砕いて常識と異常の逆転を測るなんとも狡猾な発想がとてつもなく非道で巧みです。 さらに、ケルン教授は首だけになった人間に別の人間の体をくっつけるという、フランケンシュタインみたいなことまでやっちゃいます。そこでは、頭部と肉体との人格的融合の可能性の是非の検討も行なわれますし、そこに恋愛のスパイスもちょこっと加わって、臓器移植絡みのSFの斜め上を行く展開で、実に考えさせられるものがあります。 研究と倫理との関係をこれほどまでに鋭くえぐったSFで、古さをを全く感じさせない展開には圧倒されまくりです。どうせ絶版本だからオチまで言っちゃってもいいのかも知れませんが、ひょっとしたら復刊されるされるかも知れませんのでやめておきましょう(笑)。 ただ、絶版は絶版なのですが、2006年2月現在、岩崎書店から刊行されている子供向けバージョン、『いきている首』だったら手に入れることができます。 子供向けなので簡単な言葉で訳されてて、さらにひらがなも多いので読み易いことは読み易いです。 しかし、ところどころが省略されてる抄訳でして、その点は大きなマイナスポイントです。具体的には、『ドウエル教授の首』だと、ケルンはドウエル教授の後にブリーケとトマの二人を”生きた首”にしますが、『いきている首』ではビルケ(=ブリーケ)のみでトマは出てきません。その他にも、『ドウエル教授の首』で結構えげつないけど踏み込みの鋭い表現がされてる箇所が、『いきている首』では省略されてしまってます。子供向けなので仕方がないのかも知れませんが……。 ストーリーも僅かですが微妙に違ってて(ケルンやブリーケの最期とか)、どちらが良いかは人それぞれだと思いますが、私はやはり原典に忠実な『ドウエル教授の首』の方が面白いとは思います。入手困難なものを誉めそやしても無意味かも知れませんが。 とはいえ、『いきている首』の方も十分に衝撃的な内容で、感受性豊かな子供が読んだらトラウマ間違いなしなので、強くオススメします(コラコラ)。 |
| 『いきている首』 原題:ГОЛОВА ПРОФЕССОРА ДОУЭЛЯ 著者:アレクサンドル・ベリヤーエフ (Aleksandr Romanovich Beljaev) 訳者:馬上義太郎(まがみ・よしたろう) 出版:岩崎書店 装丁:絵 琴月綾 初刊:1926 定価:1500円+税 ISBN4−265−95124−4 |