キマイラの新しい城(New Castle of Chimaira)
著者:殊能将之(しゅのう・まさゆき)
出版:講談社ノベルス
初刊:2004
装丁:デザイン 岩郷重力+WONDER WORKZ。
定価:840円+税
ISBN4−06−182391−4

[あらすじ]
 欧州の古城を移築して作られたテーマパークの社長に取り憑いた亡霊は、自らの死の謎の解明を石動に依頼する。750年前の事件で、しかも現場の状況は被害者の頭の中にしかないという事態に石動は困惑しながらも、中世のふりをした人間を配置することで現場を再現して何とか事件を解明しようとする。しかしその再現の中、あろうことが殺人事件が発生してしまう。石動は二つの事件を解明することができるのか? そして、亡霊の魂は救われるのか?



論理的であるとは、構造の問題だからだ。各要素の属性を捨象し、それらの関係性だけをとりだして初めて、構造が見えてくる。
(本書p253より)

[CAUTION! ネタバレ注意!]

 いや、もう馬鹿にし過ぎといいますかふざけ過ぎといいますか(笑)。
 『黒い仏』を読まれた方であれば、過去の亡霊がでてきて事件の解決を依頼するなんていうとんでもないシチュエーションが本書の物語世界では別にあっても不思議でもなんでもないことはすぐに納得できると思います。それと、本書は石動戯作が探偵役を務めるシリーズですが、このシリーズは順番に読んだ方がベターだということは念を押しておきます。

 一応、しっかりとした土台の上でめちゃくちゃやってるという感じなので、ミステリとしての体裁は保っているのですが、基本的には中世から来た亡霊に取り憑かれたおじいちゃんのドタバタ活劇(ロポンギルスにトキオーンって・笑)や、いきなり訳の分からない事件に放り込まれた探偵・石動を始めとする登場人物たちがオロオロする様を楽しむのが吉なのかもしれません。しかし、殊能将之の小説のキャラには血が全く通っていない(←褒め言葉)と私は思っているので、あまりそういう読み方はできません。

 本書の土台とは、ずばりタイトルどおりだと思います。
 作中に登場するテーマパークは中世の城を移築したものでありながら、その中身はハリポタやらタイカレーやらごちゃまぜです。東京という街だってまさにキマイラです。
 のみならず、本書そのものがまさにキマイラです。巻末に参考文献が相変わらずたくさん並んでいますが、それらのパロディ的な要素が作中にふんだんに盛り込まれています。中でも目に付くのが『エルリック・サーガ』です。本書の登場人物の名前ですが、そのほとんどが『エルリック・サーガ』の登場人物名をもじったものになっています。


●人物名対照表
江里陸夫 エルリック
西森ルミ サイモリル
飯留勲 イイルクーン
大海永久 ディヴィム・トヴァー
大海四郎 ディヴィム・スローム
明神孝利 メイガム・コリム
若林蘭三 ジャグリーン・ラーン
金瀬鈴夫 セレブ・カーナ
望月景紀 ムーングラム
紅林公人 コルム公子
古根 ジャリー・ア・コーネル
鷹月道利 ドリアン・ホークムーン
有吉会 アリオッチ
黒木剣 黒き剣《ストームブリンガー》
参照サイト→ケイゾクなるままに@ココログさん

 永久はトワ→トヴァーでしょうし、四郎(長男なのに)はスロームでしょうから、大海はディヴィムなのでしょう。とすると、大海→ダイウミ→ディヴィムって、苦しすぎます(笑)。紅林公人はコルムが”紅衣の公子”と呼ばれていることを知らないと納得できないでしょう。
 一番分からないのが望月景紀=ムーングラムです。月=ムーンしかあっていない(と思う)のですが、ムーングラムの出てこない『エルリック・サーガ』なんて考えられませんし、作中の役割もそれっぽいので無理やり認定(笑)。その他、”江里こずえ”や”岩田純夫”という登場人物もいますが、『エルリック・サーガ』との関連性を思いつきませんでした。正解をご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい(ペコリ)。
 キャラ同士の関係も、飯留が社長の代わりに権力を握ろうとしたり、若林と金瀬が悪役コンビだったりと、『エルリック・サーガ』を彷彿とさせるものがあります。ただ、そのまんまというわけでもない(サイモリルとか)ので少し気持ちが悪いです。
 最後で明らかになる真相はなかなか感動的なものがありますが、でもこれは『エルリック・サーガ』の感動であって本書の感動ではないのですよ。あやうく騙されるところでした。もっとも、最終巻『ストームブリンガー』のラストを人類補完計画的なものだと考えると、どっちでもないということになりますが(笑)。
 このように、『エルリック・サーガ』の読者にとっては楽しめたり楽しめなかったりします(笑)。

 『エルリック・サーガ』のみならず、ミステリ的な仕掛けとしては参考文献としてカーの著作が挙げられています。作中に出てくる推理とかはカーのもののインスパイアというかリスペクトといいますかパロディといいますか(苦笑)。
 現在では、それこそ無数のミステリがあります。その中で、黙っていれば分かりはしないのにあえてカーの著作名を出したということは、いずれにしても本書のミステリとしてのオリジナル性をあえて放棄してしまったといえます。
 その趣旨は、確かに”新しい”ミステリを書くことは困難だけど、既存のものを構造化してくっつけることでも新しくて面白い作品ができるんだという、あるいは構造化そのものの面白さ(つまり論理の面白さ)を表すもので、前向きなのか後ろ向きなのか良く分かりませんが、とにかくそういう主張なのでしょう。それは、キマイラと天使が向かい合ってる一枚の絵の意味でもあります。つまり、ミステリというジャンルが慢性的に抱えている閉塞性を作品そのもののテーマにしてしまったというのが本書なのだと思います。

 てなわけで、テーマの高尚さとストーリーの馬鹿らしさとのミスマッチがたまらなく面白い一冊だと思います(←褒めてる?)。


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