ハサミ男(SCISSOR MAN)
著者:殊能将之(しゅのう・まさゆき)
出版:講談社文庫
初刊:1999
装丁:カバーデザイン 北見隆
定価:733円+税
ISBN4−06−273522−9

[あらすじ]
 少女を研ぎあげたハサミで殺害する連続猟奇殺人犯は、マスコミから「ハサミ男」と呼ばれていた。
 三番目の犠牲者を決め、その身辺を念入りに調査するが、その途中、自分の手口を真似てハサミで殺害された彼女の死体を発見してしまう。
 自分以外の誰が彼女を殺したのか? 「ハサミ男」は真犯人を探すことにするが……。



[CAUTION! ネタバレ注意!]

 本書は、憎らしいまでに緻密に計算されてて、それでいて遊び心も忘れていない、実に巧妙な楽しい作品です。何しろ、殺人犯が犯人を捜すというのは、通常のミステリでありながら倒叙ミステリでもあり、さらに実は叙述トリックまで仕掛けてあって、それでいて傑作なのですから凄いとしかいいようがありません。

 本書は、「ハサミ男」と、磯部という若い刑事の二つの視点で物語は基本的に進んでいきます。中心となる「ハサミ男」視点では、「ハサミ男」と医師の会話があって、この二人はどういう関係で、医師とは何者だろう? という興味がまず先立ちますが、実は分裂した人格だということが分かります。しかし、これ自体が「ハサミ男」が実は女性であることを読者から隠すためのフェイクになっています。
 また、一人称一視点では、思ったこと・考えたことが読者にすぐに提示されてしまうので、犯人がすぐに分かってしまいます。それを最後の最後まで隠すために、捜査するのは「ハサミ男」、推理するのは「医師」という役割にもなっていて、この役割分担のために推理とても劇的なものとなっています。
 さらに、「ハサミ男」と「医師」という二つの人格の分裂は、確かに「ハサミ男」は肉体的には女性なのですが、果たしてどちらが主人格なのかを考えだすと、ジェンダーの問題を意識的あるいはシニカルに扱っているのだと考えることもできます。

 とはいえ、本書の中心・メイントリックは、何と言っても男性だとばかり思っていた「ハサミ男」が実は女性だったという叙述トリックでしょう。
 本書についてのネットとかの書評・感想を見まして、「読者しか驚かないトリックだからイマイチ」というようなのをチラホラ目にしました。そもそも叙述トリックとはそういうものではありますが、私は本書における叙述トリックは意義のあるものだと考えています。
 連続猟奇殺人事件である「ハサミ男」とは一体どういう人物なのか、物語の中のマスコミは無責任で勝手で見当ハズレなことばかり言ってて、読者はそんな愚かなマスコミを何も分かってないものとして、「ハサミ男」の視点で軽蔑しながら受け止めます。しかし、そんな読者自身も「ハサミ男」について何も分かっていなかった、という憎たらしいとしか言いようのない皮肉極まりない真相は、悔しいですが痛快な驚きも覚えました。
 女性だと思って読み直すと、これまた伏線がいくつも、しかも大胆に張られているのに驚かされます。
 まずは周囲の人間の「ハサミ男」に対してのリアクションです。
 手編み風セーターにジャケット、ジーンズ、スニーカーという服装は男性だったら普通のもので、「もう少しおしゃれしたほうがいいんじゃない」とは言われないでしょう。殺された少女の同級生に「ハサミ男」が話を聞きにいくところですが、「ハサミ男」が男性だったらそう簡単についていくとは思えません。体育教師の岩佐が「あんた、ひどく生意気な口のきき方をするな」というのもそうですし、上司の女性が「ハサミ男」に親身になって正社員にならないかと持ちかけて、「ハサミ男」が他のバイトの男性が可哀相だと言うと怒ってしまったのも、「ハサミ男」が女性だからだと考えればとてもしっくりきます。
 また、「ハサミ男」自身の内面描写においてもそうです。ピンクハウスの服装を悪く思ったり、そういえば女性に対する視線がストイックなものであったり、セルフイメージ自体は確かに読者をミスリーディングさせるためのものがたくさんあるのですが、中にはこうした描写もあったわけです。
 もっと直接的な記述もあります。「トイレで用を足したあと、立ちあがった私は、洋式便所をのぞきこんで仰天した。便器が真っ赤に染まっていたからだ」(p66)とありますが、男性だったらのぞきこまずとも尿の色は確認できちゃってますよね(笑)。
 メタながら露骨なヒントも用意されてます。わたしは探偵に向いていない(p133)というのは『女には向かない職業』(P・D・ジェイムズ/ハヤカワ文庫)という有名小説のタイトルをもじった文章で、ミステリにはときどき出てきますが、これは女性探偵が活躍する小説としてあまりに有名です。また「今週の〈知ってるつもり!?〉は〈男たちの知らない女――ジェイムズ・ディプトリー・ジュニア〉」(p133)というのも嫌らしいですがヒントです。紛らわしいペンネームですが、ディプトリーは実は女性でして、SFファンにとっては当たり前の知識だったりします。私は、ここでディプトリーが出てきたのは「ハサミ男」の自殺行為に対する皮肉(注:ディプトリーの死は自殺)とばかり思ってたのですが、そうではなかったということですね(トホホ)。

 そんなわけで、こんなに伏線がたくさん張られてたら気付いてもよさそうなもんですし、実際気付いた方も結構いるんじゃないかと思いますが、私はひっかかっちゃいました。ええ、ひっかかりましたとも。でも、おかげでとても楽しめましたし、だからこそ伏線とかも丁寧に確認してみようという気になりました。そうして読み返してみると、とても人工的で、だからこそとても人間的な小説だと思いました。決してご都合主義なわけじゃなくて、理論的だけ驚きをともなって、物語が落ち着くべきところへ落ち着いていくという、そんなカタルシスが得られる本書は、倒叙とか叙述トリックともすれば邪道ともとれる方法・トリックが用いられてはいますが、やはり本格ミステリの傑作と断言してよいと思います。

 ちなみに、この書評を書くにあたっては、『ユリイカ』1999年12月号「特集 ミステリ・ルネッサンス」所収の殊能将之インタビュー『本格ミステリvsファンタジー』(聞き手 小谷真理)を大いに参照しました。
 それによりますと、「ハサミ男」が自分に似た女の子を殺して廻っているのは要するに自殺願望なのだという裏設定があるとのことです。また、「ハサミ男」を一種の多重人格にしたのは、もとを正せばあの結末のためなのだそうです。それが、また他の目的にも上手く機能しちゃってるところが本格ミステリを分析的に解釈する場合における醍醐味のひとつじゃないかと思います。
 このインタビューは他にも、乱歩と横溝の相違点とか、SFとファンタジーと本格ミステリの関係においてとても刺激的な言及がなされていたりとか、とても面白いものなので、機会がありましたら是非ご覧になられることをオススメします。
 蛇足ですがユリイカのこの号には、京極夏彦とか麻耶雄嵩のインタビューが載ってたり、法月綸太郎×奥泉光の「トリックという〈外部〉」という対話が載ってます。本格ミステリのファンの方なら無理して入手を試みても損はしないのではないかと思います。


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