歌う白骨
原題:The Singing Bone
著者:オースチン・フリーマン(Austin Freeman)
訳者:大久保康雄(おおくぼ・やすお)
出版:嶋中文庫
装丁:和田誠
初刊:1912
定価:629円+税
ISBN4−86156−315−1

 本書は、倒叙ミステリ(Inverted Detective Story)と呼ばれる手法が初めて試みられた作品として知られています。
 普通のミステリが事件発生後の捜査によって犯人や殺人方法・動機が明らかになるのに対し、倒叙ものの場合には「まず犯人が誰か?」というのを前半で明らかにしてしまい、それから捜査によってその事件が明らかになって行く過程を楽しむという、推理の方向性が通常とは逆という意味で、倒叙と呼ばれます。
 一言で倒叙ミステリといっても様々なものがあります。例えば、最初から最後まで犯人側の視点で書かれているものと、犯罪遂行までは犯人の視点で、それから先は探偵側の視点で推理の過程を明らかにしていくものや、あるいは両者の視点が交互に切り替わるものとがあります。また、犯人だけでなく殺人方法や動機といった5W1Hを事前にすべて明らかにするものもあれば、犯人が誰かは事前に読者に知らされながらも、方法や動機等については不明にしておいて、それらは探偵側の捜査によって徐々に明らかにすることで読者にも推理の楽しみを残しておくといったパターンのものもあります。

 本書には、4編の倒叙ものと1編の普通のミステリの計5編が収録されています。そして、4編の倒叙ものはすべて、殺人者側視点の前半と探偵側(ソーンダイク博士)視点の後半の二部構成になっています。著者自身は、倒叙ミステリという手法を採った理由について、次のように述べています。
 従来の推理小説においては、興味が「誰がやったか」という疑問に集中されている。犯罪の解決は、秘密として最後のページまで熱心に守られている。そしてその暴露がクライマックスになっている。
 このことを私はいつも何か間違ったことだと思っていた。現実生活では、犯罪の解決ということが実際的な理由からして、もっとも重要な問題だ。しかしそんな理由の全然ない小説というものの中では、読者の興味は主として、単純な行動の意外な結果や疑ってもいなかった偶然の関係を示すことに、また更に外見上支離滅裂な無関係な事実の山から系統だった証拠を見つけ出すことに向けられるべきだと考える。読者は「誰がやったか」という疑問には、たいして好奇心を抱いていない。むしろ「どうして発見に成功したか」という方に興味をもつのである。言い換えれば、聡明な読者は最後の結果よりも中間の行動の方によけい興味をもっているのである。
(本書p365〜366より)
 作品をどのように楽しもうがそれは読者の勝手だと思いますが(笑)、しかし言いたいことは良く分かります。ゴールの意外性をあえて捨てることで、そこまでの道のりを楽しむことを追求しようとしたわけで、実に斬新な発想だと思います。
 ただ、本書に収録されている倒叙ものは、科学捜査の黎明期ということもあって、現在では初歩的(ゆえに基本であり大事だとも言えます)な科学捜査によって明確に真実を明らかにすることができるというパターンで全て落ち着いちゃってます。確かに、それはそれで面白いものではあります。
 しかし、普通のミステリだと犯人が誰かを明らかにするわけにはいかないので、捜査によってドキドキハラハラする犯人側の心理描写には厳しい制限が課せられますが、倒叙ものはその制限から開放されます。したがって、迫る探偵と怯える犯人というサスペンス的な描写、あるいは両者の知的対決という普通のミステリでは書けないはずのものが書けるという特権があるはずなのに、そうした点にはまるっきり無頓着なのがとても勿体無いと思います。その点に気付けなかったためか、せっかくの優れた着想だったのに、著者であるフリーマンは本書以降、倒叙ミステリを発表することはありませんでした。

 ですが、彼が生みだした倒叙というスタイルは、その後アイルズの『殺意』等、より多様に、より洗練されて広がっていきました。さらには、『刑事コロンボ』や『警部補 古畑任三郎』などの人気シリーズとなってお茶の間に浸透していきました。その影響力たるや無視するわけにはいかないでしょう。

 ちなみに、本書に収録されてるのは、『オスカー・ブロズキー事件』、『計画された事件』、『反抗のこだま』、『落魄紳士のロマンス』の倒叙もの4編と普通のミステリ『老いたる前科者』1編の計5編で、書名である『歌う白骨』という作品はありません。この『歌う白骨』というのは『反抗のこだま』の探偵側視点の後半のタイトル(前半部のタイトルは『ガードラー燈台上の死』)ですので、念のため。


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