僧正殺人事件
原題:THE BISHOP NURDER CASE
著者:ヴァン・ダイン(S.S. Van Dine)
訳者:井上勇(いのうえ・いさむ)
出版:創元推理文庫
装丁:イラスト 桶本康文
初刊:1929
定価:660円+税
ISBN4−488−10304−9

[あらすじ]
 マザーグースの童謡になぞらえた連続殺人事件が発生した。
 しかも、犯人はその凶行を隠そうともせず、僧正の署名でマスコミに手紙を送りつけ、童謡連続殺人事件は瞬く間に世間に恐怖と混乱を巻き起こした。
 狂気じみた論理に基づいて行なわれる犯罪に、警察も名探偵ファイロ・ヴァンスも翻弄されるが、やがて明らかにされる真実は、名探偵に苛烈な決断を強いることになる……。



〔Caution!! ネタばれ注意。〕

「現実に宇宙を見ている天文学者は、純正物理学者以上に、この地球がほとんどなんらの重要性を持っていないことに、強烈な感銘を受けているかもしれない」(本書p347より)


 ここでの”僧正”とは、チェスの駒でいう”ビショップ”のことです。斜めに自由に動ける駒で、将棋で言えば”角”と同じ動きです。
 ゲームは決まったルールで行なわれます。ルールそのものには意味があったりなかったりします。ビショップはなぜ斜めにしか動けないのか? と訊かれても答えられる人はいないと思いますが、そうしたルールが守られないとゲームというものは成立しないのです。
 本書で発生するマザーグースの連続殺人事件も、わざわざ童謡に該当するような名前の被害者を選び、童謡に倣った手段で殺害するわけですが、そうした規則性、ルールの意味は警察もヴァンスも理解することはできません。しかし、それをルールとして認識することで次の手を予測した行動をとることも可能になります。

 しかし、そうしたルールに基づいて相手を追い詰めたとしても、論理だけでは犯人として認定するわけにはいきません。本書は、マザーグースという見立て殺人の元祖でもあり、後にクリスティの『そして誰もいなくなった』やクイーンの『靴に棲む老婆』といった後続の作品が生まれるキッカケでもある偉大な作品です。しかし、”見立て”という従来のミステリにはない特異な行動論理と、それに付随しての犯罪心理学論とに物語の比重が大きく傾いた結果、事実による犯人の特定が困難となってしまい、真実を裏付けるための根拠を導き出すことができないという本末転倒な事態に陥ってしまいます(笑)。
 普通だったらお手上げなのですが、しかし、最後の最後で名探偵は禁断の手段に打って出ます。ってゆーか、どう考えても犯罪ですから(笑)。

 ただ、後世に与えたインパクトの大きさという点では確かに無視できない作品ではあるのですが、冷静にこの作品自体の出来について考えますと、やはり論理的に犯人が特定できてるとは必ずしも言い難いのが難点ではあります。しかし、見立て殺人という奇妙な論理を解明するためにヴァンスが開陳する理論もまた奇妙なものであり、それらが錯綜してまかりなりにも一つの結末に向かって収斂していくという展開は、マザーグースの持つ親しみやすさ・子供っぽさも相まって、実に味わい深い作品に仕上がっています。
 ミステリを歴史的・体系的に理解したいという人にとっては、本書を始めとするヴァン・ダインの諸作品を読むことはやはり欠かせないと思います。


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