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●「エルリック・サーガ」と「ザンヤルマの剣士」

注! 下記駄文は「エルリック・サーガ」と「ザンヤルマの剣士」シリーズの両方を既読の方限定仕様となっていますので、ご注意下さい。

 「ザンヤルマの剣士」の源流として、「エルリック・サーガ」を挙げることができると思います。なぜなら、両者は、特に双方に登場する特殊な剣(「ストームブリンガー」と「ザンヤルマの剣」)を中心に、共通点が多くあると考えるからです。もっとも、丸っきり同じというわけではないので、以下、大まかな共通点と違う点について考察していきます。



(1)持主を選ぶ。

 これはまあ、別に両者に限らず、聖剣エクスカリバーを例に出すまでもなく、特殊な力を持った剣は使い手を選ぶことが多いですね。
 「ストームブリンガー」の場合には、メルニボネ人の皇族というのがその資格です。
 「ザンヤルマの剣」の場合は、よく分かりません(笑)。裏次郎は遼のことを「純粋な少年」と呼んでましたが、ハッキリした基準があってのものとは思えません。

(2)持主の剣の技量以上の剣さばきを見せる。

 「ストームブリンガー」は邪悪な意志で敵を切りまくりますが、「ザンヤルマの剣」の場合には、アドバイザー機能で素人同然の剣の腕前しかない遼に達人級の戦いが可能になっていました。

(3)持主の健康状態を維持する。

 「ストーム・ブリンガー」は、切った相手の魂を吸い取ることで持主であるエルリックの体力を維持していました。もともと虚弱体質で高価な薬草と魔術なしでは生命を保つことができなかったエルリックにとって、剣の与える魂の力は生きていくために必要なものであり、剣の邪悪な力を疎みつつもその力にすがるしかありませんでした。魂を吸えばそのままエルリックの体力となるため、殺せば殺すほど元気になって、魔剣の邪悪な意志とも相まって、戦いを求める狂戦士のごとく死をばらまきまくるという地獄絵図が実現することも多々ありました。
 対して、「ザンヤルマの剣」の場合、持主の健康状態を完全に維持・回復します。「ストームブリンガー」の場合は、あくまで体力を回復させるのみなのに対し、「ザンヤルマの剣」は病気や怪我も治療しますし、視力すら回復させます。しかも、イェマドの超科学という怪しげな原理で機能しているため、「ストームブリンガー」のように魂を必要とするような物騒なことはありません。一見無敵っぽいのですが、体力の回復は「ストームブリンガー」ほど急速ではないので、無限にバーサークできるということはありませんが、暴走するとやっぱり酷いことになります。

(4)剣を手放しても操れるようになる。

 これは、剣の特性が似てるというより、物語の展開が似てると言った方が良いかもしれません。どっちの剣も、最初は、持主の手から離れるとどうしようもなくて、剣を盗まれて苦労するのですが、物語が進むにつれてある程度の遠隔操作が可能になります。
 もっとも、「ストームブリンガー」には(邪悪な)自由意志がある魔剣なので、ある程度自由に動いてもそれほど不思議じゃありません。
 一方、「ザンヤルマの剣」の場合には、単純にそこまで使いこなせるようになった、という”慣れ”の問題です。ただし、「ザンヤルマの剣」(遼が使っている赤い剣)には、遼の前にその剣を持っていた剣士の擬似人格が存在していますが、どちらの剣にも人格があるというのも共通点として挙げることができますね。

(5)世界の破滅のために作られた。

 最大の共通点はここです。
 「ストームブリンガー」は、〈混沌〉が作った〈混沌〉をも滅ぼせる剣ですが、その剣は魔を滅するのみならず世界を滅ぼすために作られたとエルリックは知らされます。その後、「エルリック・サーガ」では、〈混沌の神〉と〈法の神〉が戦ったあと、世界にはムーングラムとエルリック以外の人間はいなくなりました。ムーングラムはエルリックに最後の使命を果たさせるために自らの命を「ストームブリンガー」に吸わせ、そしてエルリックも剣にその魂を奪われます。
 「エルリック・サーガ」での「ストームブリンガー」は、魂を吸い取り通常ならざる死を与える魔剣として敵味方から恐れられてきました。しかし、前述の通りムーングラムはエルリックと共に生きるためにあえて「ストームブリンガー」に己の魂を捧げました。それには、既にエルリックと共に生きるたに魔剣に魂を捧げたエルリックの最愛の妻ザロジニアの先例がありました。そうして、ザロジニアやムーングラム、そしてエルリックや、その他のいくつもの魂が「ストームブリンガー」の中で溶け合いひとつとなって、世界にたったひとつの〈混沌〉の化身として、さらなる世界へと飛び立っていきます。
 一方、「ザンヤルマの剣」は、”守護神”によって他者との接触を拒み自分だけの世界で満足しているイェマド人の閉じた世界を、他者との強制的接触によって破壊して、新たなより良い世界を作ることを目的に作られました。ただし、イェマド人は他者の存在にまったく順応することができずに、過度のストレスでそのほとんどが精神的な死を迎えるという凄惨な悲劇を引き起こしてしまいました。
 意図するところも経緯も全然違うのですが、しかし、世界の破滅の先に、魂の融合・精神的共生という非常に似通ったイメージが両者に共通しているということは言えると思います。さらに言えば、『新世紀エヴァンゲリオン』の人類補完計画もこれら(特に『エルリック・サーガ』)に非常に近いものがあると思います。
 おそらく、「エルリック・サーガ」の世界の破滅のイメージをアレンジしたものが「ザンヤルマの剣士」じゃないのかと個人的には思ってます。そうでありながら、両者の物語がまったく違ったものになってるのは、「エルリック・サーガ」が”裏切りと絶望”の物語であるのに対し、「ザンヤルマの剣士」が”愛と希望”の物語だからだと思います。

 で、最後の共通点ですが、

(6)剣の持主がどっちも優柔不断のマゾである。

 これは、両方を読んでる方ならかなり共感してもらえるんじゃないでしょうか(笑)。

 あと、剣とは関係ないですが、メルニボネ人→人間、イェマド人→現代人という構図や、二振りの剣同士の戦いなどのプロット上の相似もあります。



 とまあ、比較すると双方をより深く理解することができるような気がしましたのでやってみましたが、いかがなものでしょうか?
 今回とった比較の方法論は、両者をより楽しむためにとったものなので、そこのところはよろしくお願いします。
 「ザンヤルマの剣士」が「エルリック・サーガ」の影響を書かれたものだとして、その「エルリック・サーガ」も「折れた魔剣」の影響を受けて書かれ、その「折れた魔剣」だって北欧神話といったものをベースに書かれているわけで、芸術はリスペクトを重ねていくことで進化しながら新たなものが生まれていくということなのだと思います。

 ってゆーか、どっちも絶版・品切れ状態の入手困難シリーズなのに、そのふたつを読んでる人限定の文章を書いてどうするんだって気もしますけどね(笑)。

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