| フェアリースノウの狩人 |
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著者:麻生俊平(あそう・しゅんぺい) 出版:富士見ファンタジア文庫 初刊:1995 装丁:イラスト 弘司 定価:621円+税 ISBN4−8291−2631−0 |
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[あらすじ] クリスマスの歳末商戦で賑わう街中で、遼と万里絵は裏次郎に遭遇する。 敵対関係にあるはずの裏次郎から、「実は相談事というか、少し面倒なことが持ち上がってな――」と、思いもかけない言葉がかけられたそのとき、近くにあったデパートが一瞬のうちに潰れてしまった! 周囲が大混乱に陥る中、遼と万里絵は遺産が関係した事件として調査を開始するが…。 この先、敵は強くなり、状況は悪くなり、そして、最もつらい結末へと遼は向かっていくことでしょう。 (作者の「あとがき」p359より) 今までの事件だと、遺産の相続人は何らかの心の傷やトラウマを抱えていて、それが事件の発端だったり動機だったりしたのですが、今回の事件の遺産相続人である少年にはそういうものがありません。極めて短絡的に遺産を使い、今までの事件で一番の被害をもたらします。いわゆる”キレる少年”のデフォルメともいうべきもので、少年事件の凶悪化がいつから叫ばれだしたのかハッキリしたことは分かりませんが、作者の中ではそうした問題意識があったのは間違いないでしょう。この少年の名前が最後まで出てこないこと(それが意図的なものであることは本作の終わりの方で明らかになる)は、少年事件の匿名性のメタファだと思います。あるいは、どこにでもいる普通の少年の事件、という意味で名前を出さなかったのかもしれません。こっちの意味でも共感できます。実際、もし私が遺産を持ったりしたら、これまでの事件みたいなトラウマ解消目的じゃなくて、やっぱり短絡的・実際的な目的で遺産を使うと思うのです。そういう意味では、ありそうでなかった事件です。 事件自体の重さはそれほどでもない(ただし、被害は甚大)にもかかわらず、本作はまた重いものに仕上がっています。その原因は、メインキャラのひとりである丈太郎がボロボロに打ちのめされるからでしょう。裏次郎と水緒美がイェマドの滅亡後の一時期、夫婦同然の生活をしていた時に、丈太郎は二人の間に生まれた子供であったことが明らかになります。イェマド人でもなければ現代人でもない丈太郎がなぜ裏次郎に反発するのか? その動機の空虚さ――現代人の愚かさを卑下しつつも、自らのスタンスを持たず、ただ父親に反発していくだけの生き方の先に何があるのか?――を他ならぬ裏次郎自身に指摘され、更には実戦において裏次郎にボコボコにされます。更には卑下していたはずの現代人、左右の手の遺産相続人・財奥との闘いに丈太郎は敗れ、守護神を奪われてしまいます。それまでカッコつけキャラだった丈太郎が、あっという間の転落です。 遼が、丈太郎のように遺産の回収だけに専念していればこんなに被害を拡大することはなかったんじゃないか、と自分を責めてる裏で、その丈太郎がここまでボロボロになってるというのは、とても巧みなストーリー展開だと思います。鬱だけど(笑)。 そういえば、今回は遼が(意外にも)初めてミッションに失敗――遺産相続人を救えなかった――してしまいます。もっとも、救う方法なんてなかったと思うし、殺したのは完全な横槍なので悔やむことなんてないと思いますが、そこを悔やむのが我らが主人公のよいところです。第一、今までだって、ミッションが成功してても後味は悪かったですしね(笑)。 もうひとりのザンヤルマの剣士が出てきたり、中ボスであるTOGO産業の脅威が遼たちに迫りだしたりと、シリーズの緊迫感もいよいよ高まってまいりました。次回をお楽しみに!! ●登場した”遺産” ペット用ロボット 本来の形状は不明。最初のイメージ登録時に相続人が基本的なフォルムを決定できる。 簡単な人工知能とイメージの受信装置と再現装置、そして局所重力制御が組み込まれたもの。ロボット自体は感情を持っていないので、その攻撃はザンヤルマの剣の危険感知に引っかからず、遼は苦戦を強いられる。また、局所重力制御は、飛行能力の他、デパートを一瞬のうちに破壊するなど圧倒的な威力の攻撃にもなるので、ペットというコンセプトからはかけ離れた危険な道具である。 糸 直径5センチほどの銀色のメダル。相続人の久留米は右の手のひらに埋め込んでいる。 持ち主の意志によって、目に見えない細さにもかかわらず、ものすごい強度の糸を自由に伸ばしていくことができる(遺産相続人の久留米は65キロまで確認したことがある)。動きも自由自在、さらに枝分かれさせることもできる。糸の先端には視覚・聴覚・嗅覚が存在する。 左右の手 型の崩れたオリンピックのマークような形状で、メリケンサックに少し似ているが、もっと繊細な印象。対になっており、必ず両手にはめて用いなければならない。 右手からは”守護神”に匹敵するエネルギーを発することができるのに対し、左手はエネルギーを吸収・分解する性質を持つ負のエネルギーを発することができる。 つまり、”光の右手”に”闇の左手”ということだが、ル・グインの同名タイトルの小説がアイデアのもとにあるのは想像に難くない。 |