フェニックスの微笑

著者:麻生俊平(あそう・しゅんぺい)
出版:富士見ファンタジア文庫
初刊:1995
装丁:イラスト 弘司
定価:583円+税
ISBN4−8291−2611−6


[あらすじ]
 朝霞万里絵に英語演劇部から依頼がきた。学園祭で上演する舞台”ロミオとジュリエット”で主役を演じて欲しいというのだ。学園祭まで10日しかないが、万里絵は引き受けることにした。
 一方、学園祭などという派手なイベントとは無縁の遼は、近隣の学校で頻発している学園祭妨害事件に興味を抱くが、演劇部の活動に熱中している万里絵に黙って調査を開始するが…。
 


前作では皆様から過分なお褒めの言葉をいただきましたが、一方で、重い、重すぎる――という声も聞かれましたので、よし、今回は目いっぱい軽くするぞ、と思ったんですけどね……。
(作者の「あとがき」p346〜347より)


 本当に軽い話が書きたかったんなら、虐待なんてテーマにするんじゃありません(笑)。
 確かに、今回の事件はあくまで一人の少女自身(とその家庭)の苦悩が事件の発端で、規模としても学校とその周辺に限られていますので、それまでと比べると小さい事件かも知れません。しかし、軽重で論じるとどうでしょう。前作よりちょっとだけ軽いかも知れませんが…という程度です。

 いや、流れとしてはなんとなく分かるのです。
 メインキャラのうち、今回は万里絵を主人公にしてみよう。今までサバイバルでバリバリに活躍してきた万里絵に運動部的な活躍をさせてもしょうがないから、帰国子女という設定を生かして英語演劇をやらせよう。演技となれば、万里絵はどことなく人との人間関係を演じてるようなところがあるけれど、それは大なり小なり誰だってそうだけど、そうしたペルソナの多面性の極端な例といえば多重人格だな。これを遺産によるものだとして、万里絵の英語演劇部での活動と遺産事件を絡めていければ…。
 というのが私の想像です。ここまでなら軽めの話になりそうですが、多重人格の背景には、幼少期に親から愛情と拒絶という矛盾した要求を受けている場合(ダブル・バインド)がほとんどであるとか、虐待は連鎖する、とかそういうことを調べた上で、しっかりと物語に組み込んじゃったら、すっかり重い話の出来上がりです(笑)。
 「誰にも資格はない。高尾麻紀が不幸になる時は放っておいて、その不幸が呼び起こしたトラブルが我が身に及んだ時になって初めて彼女の存在に気付く。そんな人間に、彼女の人生や幸せを論じる資格はないんだよ」(p254)といった重いセリフも飛び交います。

 遺産相続人である高尾麻紀は、幼少期からの親による言葉と感情の暴力によって不安定な人格を形成してしまいました。
 しかし作者はその一方で、同じように不幸な家庭環境・望まない父親を持ちながら、その親に対して克己心を持って立ち向かっている英語演劇部の部長、北条優も登場させます。幼少期の環境が必ずしも統合失調症的なものにつながるわけではない、という多様性を示したかったのだと思いますが、それは読者からしてみれば高尾麻紀に対して冷たい仕打ちのようにも思えます。そんな二人、高尾と北条をカップルとして成立させてのハッピーエンドは、ぶっちゃけご都合主義だと思いますが、実のところ、それくらいしかオチのつけようがなかったとも言えます。やっぱり重い話です。
 学園祭という日常と遺産事件の交差というプロット上のテーマは、遼の「友だちのこととか家族のことのために何かをするって意味では、普通の人間関係の失敗を解決するのも、イェマドの遺産を処分することも、どちらも重要だってことに変わりない」(p268)というセリフが示すように、上手にまとまってると思います。それにしても、矢神遼は成長しました(笑)。遺産を回収・破壊するための共闘をしながらも、水緒美・氷澄たちと遼の立場の違いはまさにこの点にあるわけですから、重要なセリフだと思います。
 今まで遼の闘いのモチベーションとして、遺産回収を最優先するあまり他のことを気にかけない丈太郎に対抗するために闘うというのがありましたが、今回の事件では氷澄は直接的な回収からは手を引きます。だからこそ、遼自身による積極的な決断があったのは大きいと思います。

 シリーズ全体の流れとしては、遺産管理人をあぶりだすための遺産のダミーを流通させた組織を壊滅させるために裏次郎と水緒美が共闘して、丈太郎と水緒美の関係が微妙になり出したり、初代ザンヤルマの剣士と遼の対話があって”ザンヤルマ”について少しだけ明らかになったり(初代〔実は二代目〕はその使命に耐え切れず自殺してるので、その擬似人格との会話)、ついにラスボス佐波木くんがちょっとだけ顔を出したりして次回に続きます。う〜ん。引っ張るなぁ。



●登場した”遺産”

ドッペルゲンガー装置
 黒い針金で編んだ蜘蛛の巣のような形状。
 自分の隠された性格を分離して、別の人間として独立させる装置。この装置を使えば、自分の隠れた一面と対話することもできる。
 幼児期を悲惨な環境で過ごし、多重人格性傷害の素質のあった高尾麻紀は、この装置によって無意識のうちに彼女の一面を独立した人格として多数発生させてしまう。そうして発生したドッペルゲンガーたちはその性格にあった外見(男性であったり子供であったり)をしており、彼女のストレスを解消するために活動するが、本人にはまったく自覚がなかった。


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