メルニボネの皇子

原題:ELRIC OF MELNIBONE
著者:マイクル・ムアコック(Micheal Moorcook)
訳者:安田均(やすだ・ひとし)
出版:ハヤカワ文庫
初刊:1972
装丁:イラスト 天野喜孝
定価:427円+税
ISBN4−15−010587−1


[あらすじ]
 かつては〈光の帝国〉と称えられ、全人類をその支配下に治めていたメルニボネ帝国も、一万年という長い年月を経てその支配も徐々に及ばなくなってきてはいたが、その力は依然として強大なものであった。
 メルニボネ人は廃頽的で華美な暮らしに興じていたが、その王であるエルリック、聡明にして強力な魔術師でもある彼には、メルニボネ人の主張と伝統が傲慢で愚かなもののように思えていた。そうした王の態度は一部の伝統を重んじるメルニボネ人からは反感を持たれ、特に従弟にイイルクーンは王に公然と反抗的な態度を示していた。
 そんな中、南方の〈新王国〉の艦隊が帝国に侵攻してきた。エルリックは黄金の御座艦隊を指揮し鮮やかな戦術で敵を撃退するが、思わぬ裏切りにより窮地に立たされることになる。しかしそれは、これから始まる大規模な悲劇のほんの始まりにしか過ぎなかった……。



「わたしは己れの行なったことのみに目を向けていた。行なおうとしたことや行ないたいと思ったことには目を向けずに。そして行なったことといえば、概して愚かで、破滅的で、どうしようもないことばかりだった。イイルクーンがわたしを軽蔑したのも無理はない。そして、それゆえにわたしは彼を憎んだ」
(本書p117より)


 エルリックは半神半人のメルニボネ人の国、メルニボネ帝国の王です。しかも、聡明にして剣の達人、さらには強力な魔法の使い手でもあり、おまけに美人の婚約者サイモリルまでいます。
 普通だったら人生の目標の到達点とてもいうべき地位にエルリックは既にいるのですが、エルリックには一生つきまとう弱みがあります。それは生まれ持っての極度の虚弱体質であり、魔法の飲み薬とルーン文字の詠唱、それに珍しい薬草を栄養としないと生きていけない体なのです。
 そんな彼は、白子(アルビノ)として生まれてきました。骨のように白い肌に乳白色の髪の毛、深紅の双眼というその容貌は、彼の異質で繊細な内面をそのまま表しています。
 体の弱い彼は、自己の利点を探そうと読書にそれを求めました。それによって抜きん出た魔術についての知識を得ることができましたが、それとともに、王としての力の行使、すなわち権力に対しての疑問も持ってしまいます。そのため、王という地位にありながらエルリックはメルニボネの伝統にのっとった統治を行なうことができず、彼に批判的な勢力の台頭を許す結果になってしまいました。
 そんな反対勢力の先頭に立つのがエルリックの従弟でありサイモリルの妹でもあるイイルクーンです。彼はメルニボネの伝統から見て王に相応しい威厳を持ち、武勇に優れ、かつエルリックに唯一対抗できる魔術師でもあります。
 王とその従弟の対立は、〈新王国〉の艦隊の侵攻を機についに決定的なものとなり、イイルクーンは戦闘に乗じてエルリックを殺そうとします。しかし、海の王ストラーシャの加護により一命をとりとめると、王位を簒奪しようとしたイイルクーンに反撃します。逆に窮地に追い込まれたイイルクーンは、強力な魔術を使いサイモリルをさらって逃走します。逃走した彼は南方の小国を征服してメルニボネへの侵攻を企てます。
 イイルクーンを倒すため、サイモリルを救うために、エルリックはついにメルニボネの王が代々仕えてきた〈混沌の神〉アリオッチに救いを求めてしまいます。これこそが混沌の神々と法の神々との闘いの先触れであり、この先エルリックは難関辛苦の道を歩み続けることになります。エルリックとイイルクーンの闘いは余人の力の及ばぬレベルにまで達し、ついにはこの世のものではない無限の力を持つ剣、ストームブリンガーとモーンブレイドを交えての戦いにまで発展します。
 互いに憎みあうもの同士の戦いでありながら、エルリックは自らの意志以外の何かに操られている感覚を覚えます。操り人形と化してしまう恐怖から逃れるために、エルリックは魔剣ストームブリンガーに共闘を呼びかけます。戦いのみを存在価値とする魔剣、人や魔物あるいは神々の、あらゆる魂を力の源とする魔剣に対して。能力的には互角の者同士の戦いでしたが、ストームブリンガーを支配することでエルリックはイイルクーンに勝利します。ここで彼を殺してしまえば一件落着ですが、彼自身とイイルクーンの戦いそのものが、神々や魔剣の陰謀によって互いが操られた結果だと悟ったエルリックは彼を許します。そして、イイルクーンにメルニボネ帝国の支配を一年だけ任せ、彼自身は〈新王国〉の実情を知るための旅に出ます……。


 ちょっと待て! って何人の読者が叫んだことでしょう。それまで散々憎み合っていたイイルクーンを許すところまではまだ理解できます。メルニボネの王としての立あり方に疑問を持っていたエルリックですから、王としての見聞を広めるために〈新王国〉を旅したいというのも分かります。しかし、その代わりにイイルクーンに一年限りとはいえ王座を明け渡すとは。サイモリルでなくとも泣き喚くのは当然です。お前は馬鹿か。
 これが馬鹿じゃないから始末に終えないのです。この主人公、聡明なのは間違いないのですが、抽象的な思考の迷路に陥りやすく、ハッキリした目先の幸福よりもハッキリしない未来の幸福をつい考えてしまい、そのくせ悲観主義者で物事を素直に考えられないという困ったやつです。こいつは信用できないけど、あいつはもっと信用できなくて、一番信用できないのは自分だからこいつを信じよう、というある意味素敵なマイナス思考の持主です(笑)。
 さらに、主人公が仕える神が、〈法の神々〉と反対に立つ〈混沌の神々〉であるというのも特徴的です。もっとも、混沌というとなんかドロドロしてて(これは間違ってない)いかにも悪役というイメージを持たれるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。後々明らかになっていきますが、両者のバランスこそが大事で、エルリックはそうした法(秩序)と混乱という対立する神々、あるいはそれよりも大きな思惑に、流され溺れてもがき苦しむことになります。そうした運命に直面したときに、ただ苦悩するのではなく、自らの意志でさらにスパイスを加えてより深く苦しむところが『エルリック・サーガ』の面白さではあります。

 これまでのヒロイック・ファンタジーにダーク・ファンタジーという新しい風を吹き込んだ記念すべき名作の第一巻として相応しい圧倒的な内容であり、大満足間違いなしの一冊です。


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