折れた魔剣
原題:The Broken Sword
著者:ポール・アンダースン(Poul Anderson)
訳者:関口幸男(せきぐち・ゆきお)
出版:ハヤカワ文庫
装丁:イラスト 目黒詔子
初刊:1954
定価:800円+税
ISBN4−15−011519−2

[あらすじ]
 エルフやトロールといった仙境の民がまだ存在していた時代、イングランドの強者オルムに息子が産まれた。しかしある夜、エルフの太守はその息子を連れ去り、その代わりにトロールの赤ん坊を置いて行った。
 連れ去られた赤ん坊はスカフロクと名付けられ、優美なエルフの国で屈強な戦士へと成長していった。
 一方、置き残されたトロールの赤ん坊はヴァルガルドと名付けられたが、生まれ持っての気性ゆえに周囲の人間となじむことができず、魔女の策略によって血塗られた道を歩むことになる。
 スカフロクとヴァルガルド、宿命を背負った二人の対決は、神々の紡ぐ運命の糸車のごとく、逃れられない悲劇的な結末へと向かっていく……。



 1954年という、あの『指輪物語』と同年に発表された、北欧神話、アイスランド・サガをベースとした壮大で華美なハイ・ファンタジーです。
 時代的にも内容的にも神話と小説の中間とでもいうべきもので、オーディンとか運命の三女神(ノルン)といった神々に、兄妹相姦、呪われた剣、取り換え子、神々の黄昏(ラグナロク)といった神話にありがちなクラシックな要素は、古風ですが壮麗な感じで、決して見掛け倒しならぬ設定倒しにはなっていません。
 J・R・R・トールキンの書いた『指輪物語』は、その物語の背景・設定を完全なまでに作り上げたという点で、まさにハイ・ファンタジーの大傑作です。しかしながらそれは、本書解説の井辻朱美の言葉を借りれば、「作家独自の世界観の中におさめられたファンタジー」でもあります。
 それに対して本書は、神話や妖精物語のギミックを巧妙に用いた贋作かもしれません。しかし、そこには長い歴史を通して伝わってきた、個人の世界観では収まりきらない壮麗さがあり、そして普遍的なノスタルジーがあります。

 また、本書で面白いと思ったのが、そうした神話的な要素・背景がキリスト教と対立するものとして書かれている点です。
 エルフやトロールといった仙境に住む者たちは、キリスト教(白いキリスト)とは相容れない存在です。エルフの太守イムリックがスカフロクを連れ去ったのも、その赤ん坊がまだ洗礼をうけていないからですし、彼らの生活では白いキリストへの祈りはタブーです。神話や妖精物語といったものが、排他的なキリスト教から見れば邪教扱いされた結果だと思うのですが、そのことが逆に物語世界の黄昏を予感させるための雰囲気作りに使われているのが面白いです。
 物語中で暗示されているキリスト教と神話・妖精物語の相関関係は、微妙な緊張関係は実に興味深いです。仙境の住民は白いキリストを恐れており、そうした彼らはキリスト教的な観点から見れば確かにそれに反する悪魔的な存在ではあります。物語における仙境の住民の二大勢力はエルフとトロールですが、彼らは互いに敵対する勢力には容赦のない攻撃を仕掛け、略奪・強奪し、捕らえた捕虜は奴隷として扱います。
 (この物語での)エルフはトロールに比べれば優雅で文化的な生活をしていますし、人間の美の基準からいえば綺麗な姿をしています。しかし、例えば太守イムリックの妹でスカフロクの母親代わりだったリーアは、スカフロクが成長したら今度は恋人みたいな関係になってます。こんなのキリスト教的倫理観ではとても考えられません。そんなわけで、エルフもトロールも似たもの同士の無法者として描かれています。
 そんなふうに仙境の住民のことを描いておきながら、一方で、彼らの生活を、悲しみと苦痛に満ちた点も含めて、とても魅力的に生き生きと描きつつ、キリスト教的な生活をわびしく退屈なものともしています。厳格な規律は人間的な感動を喪失させるのでしょうか? しかし、ここでの喜びや感動は流血と恐怖の裏返しでもあるわけで、実際、スカフロクもヴァルガルドも悲劇としか言いようのない運命を歩まされます。
 映画『ロード・オブ・ザ・リング』を観てエルフやドワーフ、ホビットたちに共感したり憧れたりしたらキリスト教徒としては失格なのか? なんてことを考えちゃいました。私自身は無神論者なので気楽なもんですが(笑)。

 ちなみに、エルフの耳はとがっているのか? という論点がありまして、これについてはもなみ9歳さんが耳長エルフでまとめておられますが、もともとエルフの耳はとがってなかったのが、他の神を邪神とし他の宗教を邪教とするキリスト教のせいで悪魔化された結果、エルフの耳はとがってしまったというものです。
 ところで、小説『指輪物語』内ではエルフの耳がとがっているという描写はどこにもありません。これは、トールキンがそれまでのキリスト教の影響の強かったケルト世界観・エルフをそれ以前のものに戻したからだと評価することができます。その反面、『指輪物語』には宗教がまったくありません。神殿も、寺院も、司祭も、祈祷も、護符も、経典も、聖像も、偶像も、――なにひとつないのだ! おびただしい数の登場人物のうち、だれひとりとして――英雄的な戦士でさえ――崇める神にかけて悪態をつくこともない。明らかに神々がいないからだ。(リン・カーター 著・中村融 訳/東京創元社『ファンタジーの歴史』p153〜154より) それが『指輪物語』の世界です。
 これに対して、『指輪物語』と同年に発表された本書では、これをきいてイムリックは、先のとがった長い耳をぴょんと前方へつきだした(本書p18より)と、長耳エルフであることをハッキリ描写しています。小説として長耳エルフを描写した最初のものかもしれません(←あまり自信のない推測)が、北欧神話もキリスト教も出てくる本書の場合エルフはまさに悪魔なわけで、耳がとがっているのも当然の帰結であるといえるでしょう。

 抜けば血を見ずにはいられない魔剣テュルフィンングを振るい、詩の言霊をもってエルフの魔法を操る金髪碧眼の若き悲劇の英雄スカフロクが「白子のエルリック」、すなわちダーク・ファンタジーの傑作エルリック・サーガの原点として挙げられることも個人的には見過ごすことができません。

 上記のような、宗教がどうだのエルフの耳がどうだの後世の作品に影響を与えたとかの衒学的な読み方は、物語を純粋に楽しむためには不要な、あるいは邪魔な読み方かもしれません。しかし、偉大な古典が文学史において影響力を持ってしまうことは仕方のないことであり、そういうのを肩肘張らずに済む範囲で読み解くのも読書の楽しみ方のひとつだと思います。

 とはいえ、普通に読んでももちろん面白くて、特に取り換え子である人間に育てられたトロールの子ヴァルガルドは、本書においては悪役なのですが、出自からして間違いなく犠牲者であり、スカフロクの影としてしか生きられない自らの悲運を自覚しながらあえて悲劇的な闘いに身を投じていく姿は、”共感可能な悪”として実に魅力的に描かれていると思います。

 北欧神話の雰囲気が濃厚に漂うハイ・ファンタジーの古典かつ名作として、強くオススメできる一冊です。


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