妊娠小説

著者:斎藤美奈子(さいとう・みなこ)
出版:ちくま文庫
初刊:1994
装丁:カバーデザイン 祖父江慎
定価:680円+税
ISBN4−480−03281−9

本書は非常に優れた、かつ、面白い評論なのですが、重大な欠陥があります。こともあろうにアクロイド殺しの犯人をネタばれしてしまっているのです。ですから本書を読むにあたっては予め『アクロイド殺し』を読んでおくか、ネタばれのリスクを承知の上で読むか、あるいはp229の15行目を誰かに塗りつぶしてもらうかして読んで下さい(笑)。


B面…”妊娠小説”としての読み方

注!! A面ほどではないですが、『イニシエーション・ラブ』についてネタばれです。

 ”妊娠小説”というジャンルが文学界にはあります。
 …えっ? 聞いたことないって? いや、あるんですって。そっちの方が面白いですからあることにしましょう。
 そうしたジャンルを提唱しているのが評論『妊娠小説』です。
 『妊娠小説』がいうところの妊娠小説とは「望まない妊娠」を登載した小説のことで、『舞姫』(森鴎外/新潮文庫)をその父に、『新生』(島崎藤村/新潮文庫)をその母に、『太陽の季節』(石原慎太郎/新潮文庫)や『美しい星』(三島由紀夫/新潮文庫)、『風の歌を聴け』(村上春樹/講談社文庫)などの有名小説を、”妊娠小説”という独自の視点から分析することで、それらの小説の共通点・定型性・類似点を分析したり、妊娠小説と社会事情の関係性を指摘することで妊娠小説の沿革を明らかにしたり、妊娠小説内で妊娠が作品に占めているウエイトや読者へのインパクトを個別に分析したりと、実に痛快な”攻め”の評論です。
 そんな面白評論『妊娠小説』によりますと妊娠小説の物語は、出会い→初性交→妊娠=受胎告知→中絶→別れ という流れに収まってしまう、としています。全く持って同感の鋭い指摘だと思いますが、この点、『イニラブ』は意識的にそうした妊娠小説のお約束を利用しつつ、凡百の妊娠小説とは異なる時間の流れで書かれた、画期的な妊娠小説であることが分かります。
 すなわち、初読時には通常の妊娠小説と同じ流れだと最後の最後までほとんどの読者が思うことでしょうが、まず、そうした予測を抱いてしまうことこそが”妊娠小説”というジャンルが存在することの証左であるといえるでしょうし、乾くるみはそこに叙述トリックを仕掛ける隙があると判断したわけです。これにより、『イニラブ』は、通常の恋愛→妊娠→初性交→中絶→別れ=出会いという、今までの妊娠小説にはなかった新たな境地を開くことに成功したのです。これは妊娠小説界にとっての革命だといえるでしょう。
 『イニラブ』が妊娠小説界に残した成果はこれだけではありません。『妊娠小説』によれば、妊娠小説とはメンズ系(=女に裏切られる話)とレディス系(=男を見限る話)に大別できるが、本来妊娠には最低限ふたりの人物(男と女)がかかわっている以上そうした二分法は失効するはずだと主張しています(『妊娠小説』p209〜213)。この主張を、『イニラブ』はまさに具現化したものであることは、既読者にとっては自明のことでしょう。初読時には誰もが”たっくん”の視点で読み進めることでメンズ系妊娠小説の物語を感得しますが、真相が明らかになった後の再読時にはA面B面双方に共通する人物であるマユの視点での物語を感得することになります。つまり。レディス系の妊娠小説として読み直すわけです。妊娠小説の持つべき複合的性格を具体化することに成功した傑作であると評価すべきでしょう。
 そんな、ミステリとしてだけでなく妊娠小説としても傑作(いや、おそらく妊娠小説としての方がより傑作)な『イニラブ』ですが、そもそも、ミステリと妊娠小説というのはその枠組みが親和的なものだと思います。
 『妊娠小説』p151以下によりますと、妊娠小説には物語を動かす5つ原動力があるとされています。

 (1)適度な時間的制約があること(時限性)…短期間での決断を迫られることでの緊張感。
 (2)必ず身体的アクションがともなうこと(見世物性)…生むにせよ生まぬにせよ必ず肉体的行動がともない、それによってドラマも動く。
 (3)男女間の齟齬が鮮明になること(悶着性)…思惑の対立がドラマを進行させる。
 (4)ちょうどいいサイズであること(お手頃性)…妊娠中絶は当人にとっては大事件ではあるけれども、「手に負える範囲の大事件」であって扱いやすい。
 (5)時と場所を選ばないこと(汎用性)…どんな人物、どんな関係、どんなシチュエーションでもどんなに唐突でも不自然ではなく、異常につぶしがきく。

 これらの5つの要素は実のところミステリにもそっくりそのまま当てはまります。
 (1)時限性は、ミステリにおいては不安の解消の必要性や証拠の散逸、時効・裁判のスケジュールといったもので表現されています。
 (2)見世物性については、殺人行為はもとより、推理を披露する場面ではたいていのミステリではとっておきの場面で用意されています。
 (3)悶着性は、言うまでもなく犯人と探偵の対立が最低限あります。
 (4)お手頃性というのも、ミステリと言えば昔は殺人事件だったので、それ自体お手軽な世の中ではありますが、いわゆる”日常の謎”という分野が開拓された現在、そのお手頃性は特筆ものだといえるでしょう。
 (5)汎用性は、ミステリと言えば殺人ですが、どんな人物・シチュエーションであっても人は死んでも不自然ではないわけです。そうでなくても、”謎”はどこにでもありますし。

 それに、妊娠小説には出会いから別れまでの決まった流れがあることは上述しましたが、ミステリにも謎の提出から解決までのお約束的な流れがあります。
 『読ませる機械=推理小説』(トマ・ナルスジャック/東京創元社)という身も蓋もないタイトルの評論もありますが、つまりミステリと妊娠小説は、どちらも物語を進行させる力があるという意味では共通しているのです。『イニラブ』は、それら両方の原動力をたくみに利用したものだといえるでしょう。

 以上、長々と”妊娠小説”という観点から『イニラブ』について語ってきましたが、つまり何が言いたかったかと言えば、『イニラブ』は『妊娠小説』の影響を受けまくって書かれたものに違いない!! ということです(笑)。
 『妊娠小説』は、”僕”の一人称で書かれた妊娠小説は信用できないとしていますが、『イニラブ』はまさに信用できない小説です(笑)。また、『妊娠小説』p202には、妊娠中絶が女性にとってのイニシエーションとして機能しているというくだりがあるのですが、これこそまさに『イニラブ』そのものだと言えるでしょう。
 時代設定が少し古めになっているのも、ミステリ的な解釈だと携帯電話における着信表示による叙述トリックを仕掛ける際の不都合の回避のためだということになりますが、妊娠小説的に解釈しますと、避妊の知識が現代よりも周知徹底されていない時代を舞台にすることで妊娠という事件を物語に自然に溶け込ませたかったからだという解釈になりますし、こっちの方が自然だとも言えます。
 ホントのところは分かるはずもないですが、いずれにしても『イニラブ』が計算し尽くされた小説であるということは間違いなく言えると思います。


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