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著者:宮部みゆき(みやべ・みゆき) 出版:新潮文庫 初刊:1998 装丁:カバー写真 大高隆 定価:857円+税 ISBN4−10−136923−2 |
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[あらすじ] 東京荒川区の高層マンションで殺人事件が発生した。室内には中年男女と老女の刺殺体、そしてベランダから転落死したと思われる若い男の死体。 はじめのうちはマンションの持ち主である家族が被害者であると思われていたが、捜査が進むにつれて、”一家”だとされていた被害者たちが実は見ず知らずの他人同士であったことが明らかになってきた。 一体、被害者たちは何故そのマンションで暮らし、家族として生活をしていたのか? そして、何故殺されることになったのか? ドキュメンタリー的手法で描かれた意欲的な傑作。 第120回直木賞受賞作品です。もっとも、本書ではなく『火車』で受賞させるべきだったと陰口叩かれることも結構多くて(笑)、そんなわけでイマイチ評価が不当に低くされてるような被害妄想がある(←お前だけだ)のですが、全然そんなことはなくって、とても面白い本です。 本書のもっとも特徴的で凄くて面白いのは、そのルポ的・ドキュメンタリー的手法という独特の作風です。単なる三人称作品とは違います。本書で扱われている事件はもちろんフィクションなのですが、それについて記録的文体で淡々と語っていきます。事件に関わる登場人物はたくさんでてきますし、そのうちの誰か、あるいは何人かを主人公にしてその事件を読者に語りかけるのが普通の小説のスタイルです。ところが、本書はそんな普通のスタイルとは全然違ったスタイルで物語をつづっています。 だからといってドキュメンタリーの手法そのものかといえばそうではなく、例えばp153以下の「5 病む女」の冒頭を要約しますと、冷静な視点から事件がどのように報道されているかが語られて、そうした報道によって人々はその一生の間に獲得することのできる情報の何十倍もの量の情報を手に入れて、それらについて悲しんだり心配したりしてそれが報道の役割であり機能なのかも知れないが、しかしそうした「媒体」の発達によって現実や事実とは何か、「実体験」と「伝聞による知識」のふたつを「インプットされる情報」という枠にくくってしまうならば現実と仮想現実の区別など無いことになってしまう……ということを宝井康隆(←作中の登場人物)は考えていた、ってそれまでの神の視点だったのが、知らない内に迷える子羊の視点へと読者を誘導してしまうのです。これは上手いです。上手いけどずるいよなぁ(笑)。 本書はそんな異色作ですが、無理に先例を探しますと、『蟹工船』(小林多喜二/岩波文庫)なんかがそれに該当すると思います。『蟹工船』もやはり主人公のいない、蟹工船上での名も無い労働者たちの生活(多分フィクション)を描いた物語です。それによって、個々の登場人物ではなく労働者=プロレタリアという抽象的な概念を生き生きと描写することに成功し、初期プロレタリア文学の代表作にして傑作として知られています。 てなわけで、『蟹工船』はプロレタリアを描いた作品なのですが、では本書『理由』は何を描いた作品かといえば、それがなかなかに奥が深くて複雑なのです。 まあ、キャラクターでなければストーリー、つまり事件ですが、出だしは殺人事件ですが、被害者が架空の家族ということが明らかになって、そうすると擬似家族としての生活が始まった背景が問題となって、被害者それぞれの”家族”が描かれて、加えて擬似家族に住居を与える原因となった不動産流通問題・裁判所の競売制度の問題といった社会問題もきちんと丁寧に描かれて、競売人と買受人の事情とかが描かれて、そうして最後に殺人事件に戻るわけです。 そうしますと、事件といってもそこで問題になっているのは、殺人事件なのか家族なのか競売制度の問題なのか、優等生的な解答をすれば全部が問題ということになりますが、とてもひとことでは言い表せませんけど、いずれも現在的な問題だということはいえると思います。そうした重層的な事件を立体的に掘り起こすための方法として、本書のドキュメントリー的手法はとてもうまく機能していると思います。 ただ、そのなかでも家族についてかなりウェイトが置かれているように思います。登場人物はたくさんいますが、そのほとんどに家族という背景が与えられているので、ドキュメンタリー的な手法であるにもかかわらず、登場人物たちには血肉が与えられている感じがします。 不動産流通問題や裁判所の競売問題は、法律学のなかでも専門的な部分で簡単に描くのはとても難しいと思うのですが、でも、擬似家族を成立させる上でとても大事なピースなので手を抜けない部分です。この点は、一章まるまる使って念入りに描かれていて、個人的には宮部みゆきのこういうところが大好きです。占有屋とかやくざ屋さんのお話なのでもっとダーティーに書く人もいるんでしょうけど、そういうのは宮部流ではないですしね。 こういうちょっと説明的なのは、ダメな人にはダメなのかも知れませんが、是非我慢して読んで欲しいです。バブル経済崩壊に端を発する不良債権の迅速適正な処理のためにも、競売制度の充実は非常に今日的な課題でもあるからです。本書が最初に単行本で刊行されたのは1998年ですが、本書で触れられている民事執行法等の法律問題で大きく改正されたものがいくつかあります。本書が社会に対して正当な問題提起を行なっていたひとつの証明だと思います。 (法律上の改正点についてまとめてみました。→『理由』のその後) で、物語内の”事件”が明らかになったそもそもの始まりである殺人事件ですが、この点の解明と言いますか描写と言いますか、そういうのは実のところ極端に落ちます。これは、ドキュメンタリー的手法をとった以上当然の帰結だとはいえると思います。物語として閉じない部分を残すことによって、ドキュメンタリーとしては閉じることになるのですから。そもそも、せっかくのドキュメンタリーの手法なのに、殺人犯の心理に無理に迫って、「殺人犯の心の闇に迫る!」なんて扇情的なことをやっちゃったらそれまでのルポ的雰囲気が台無しです。 だから、これはこれで良いと思うのですが、課題として残っちゃったことは間違いないと思います。そうしたテーマの流れとして、後の大作『模倣犯』(宮部みゆき/小学館)の執筆へと多分繋がっていくんだと思います。 そんなわけで、硬派だけど斬新、社会派だけど人情味に溢れた一冊です。未読の方は人生損してると思って間違いないです(笑)。 |