塩の街(wish on my precious)
著者:有川浩(ありかわ・ひろ)
出版:電撃文庫
初刊:2004
装丁:イラスト 昭次
定価:550円+税
ISBN4−8402−2601−6

[あらすじ]
 宇宙からの隕石らしきものの落下後、人々が次々と塩化していく原因不明の現象に社会は崩壊していった。
 そんな無政府状態の東京で一緒に暮らす男女がいて、お互いに距離を置きつつも助け合いながら生活していたが、やがて世界の運命を決める戦いに巻き込まれることになる……。
 第十回電撃ゲーム小説大賞受賞作。



「愛は世界を救うって、ヘドが出そうなキャッチコピーの番組やってたの知ってる?」
「愛は世界なんが救わないよ。賭けてもいい。愛なんてね、関わった当事者たちしか救わないんだよ」

(本書p273より)


 「普通の女の子が一生懸命恋をして、最後に少しだけ世界が変わったら素敵だと思います」とはあとがきでの作者の言葉で、実際そのとおりの話なのですが、その割には残酷描写や容赦のないエグイ物言いが多いので素直に”素敵”だとは思えないのですが(笑)。
 とはいえ、上記の言葉からも分かるとおり、本書はいわゆるセカイ系、つまり「個人の問題が中間段階をすっ飛ばし世界の問題と直結するような物語」(『文学賞メッタ斬り!』p221より)の典型です。このセカイ系という言葉もいつまで市民権を持っていられるか分かりません。すぐに死語になってしまうように思いますが、ひょっとしたら意外に文学用語として定着していくかもしれません。
 それはともかくとして、どうしてセカイ系という概念が生じたのでしょうか? 中間段階にリアリティを感じたり興味を持つことができない若者の心情が反映されている結果というのはあると思います。ただ、本書を読んで思ったのは、自分の気持ちにホントに正直に生きようとすると、世の中そんなに甘くないと言いますかままならないもんで、個人と社会(=中間段階)の関係というのは対立関係になることが多くて、だからそんなちゃちな社会を飛び越して自分の問題がそれより上位概念の”セカイ”と直結しちゃうことで、うざい社会を見下しつつ、自分の問題が解決することでセカイの問題も解決しちゃうというカタルシスが、セカイ系の物語にはあるんじゃないかな、と思ったりします。
 社会をうざい呼ばわりしちゃいましたが、実際こうしたセカイ系の枠組みは、社会問題を冷静かつ客観的に語ることが可能な構造だと思うので、セカイ系でありながら社会系という発展的な物語もありだと思います。で、本書だとシビリアン・コントロールとか政府の軍閥化への危惧といった、民主主義というイデオロギーが、地味ながらもしっかりと語られています。実際、秋庭は民主主義という社会のために一度、セカイを切り捨ててるわけです。それを再びつないだのは愛(=エゴ)という個人的問題なわけで、でもそこが嘘臭くもなければ説教臭くもなくて、オーバーな話であるにもかかわらずスンナリとストーリーを受け入れることのできる原因のひとつだと思います。

 SF的に見てもかなり大胆な設定です。宇宙から降ってきた塩の隕石が、実は生物だっていうんですから。もっとも、生きている海に比べれば普通かもしれませんが。
 正直この辺の設定には疑問がアリアリなのですが、まあいいじゃないですか(笑)。物語のこの展開でハードSFを期待する人もいないでしょうし。
 とにかく作者が書きたくて書いたって感じが伝わってきて、些末なケチのつけどころを黙認させてしまうのです。でも、面白い小説ってそういうもんだと思います。

 話は変わりますが、本書のイラストは少し不満です。
 ライトノベルにイラストは付き物で、私は別にイラストで買ったり買わなかったりはしませんが、でもなぁ……。キャラの顔とかが趣味じゃないというのもあるのですが、せっかくの設定なんだから、人々が塩となっている風景、まさに「塩の街」をイラストで見たかったですけど……(←悪趣味?)。


書評TOPページへ