| 助産婦が裁かれるとき |
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| 原題:MIDWIVES 著者:クリス・ボジャリアン(Chris Bohjalian) 訳者:高山祥子(たかやま・しょうこ) 出版:創元推理文庫 装丁:カバーデザイン 岩郷重力+WONDER WROKZ。 初刊:1997 定価:1000円+税 ISBN4−488−24802−0 |
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[あらすじ] 吹雪の夜、病院への電話がつながらなくなった一軒家で、助産婦のシビルは出産に立ち会っていた。産婦は危険な状態に陥っていると判断した彼女は帝王切開を行い無事に赤ん坊をとりあげたが、産婦は死亡した。 彼女は、帝王切開により産婦を死亡させたとの疑いをかけられ、殺人罪で起訴された。裁判のゆくえは? 真実は? 当時14歳だったシビルの娘の視点で描かれる、珠玉の物語。 いやあ。これは面白いですよ。かなりツボです。 本書はフィクションです。実際あってもおかしくないシチュエーションなので誤解されそうなので強調しておきます。ノンフィクションだったらあまりにも痛すぎます。それだけのリアリティが本書にはあります。 黒か白かの法廷ミステリなので、そういう意味では『弁護』や『事件』なんかと同じく、検察側、弁護側の双方の激しい情報戦・弁論のやりとりと、その果てに明らかになる驚愕の真相が読みどころではあります。実際、法廷ミステリとしてもホントに秀逸の出来なのです。 けれども、だからといって本書を「法廷ミステリ」として推奨する気にならないのは、やはり本書の特徴ともいえる、妊娠・出産の現場というテーマが特殊というか、極めて微妙な問題をはらんでいるからだと思います。 出産は女性の人生にとって一大事なわけで、助産師に頼むべきか産婦人科に頼るべきか、何て二分論は単純に過ぎまして、仮に助産師にお願いするにしろ、何か不測の事態にあった場合には病院と連絡をとることが当たり前なわけで、だったら最初から産婦人科のある病院に入院したらという話になりますが、妊婦にはそれぞれの思い・考えがあるわけで、どうしても自宅出産がしたいとか、病院でたくさんの妊婦の一人として管理されるより助産師さんにマンツーマンで対応して欲しい、というニーズもあり得るわけで、そんなこと考えてるときりがなくなってしまいますが、そもそも出産というのは人類という種が生まれたはるか以前から自然に行なわれていた営みなのですから、上手くいくときは何もしなくても上手くいくわけで、もう何がなんだか分かりません。 ですから、助産師がいらないとか産婦人科がいらないとか、そういうことを言うつもりは全くないのですが、現実問題として、両者は縄張り争いをしているという状況が本書の背景にあります。特に、病院側は資金・規模とも巨大なネットワークを誇っているので、本書のような事件が起こったときには、ここぞとばかりに事件の当事者となったシビルのプライバシーを攻撃しながら”助産師”という存在そのものの排撃にかかります。対するシビルも、自分の身を守るだけでなく、助産師全体の名誉のために闘わざるを得なくなるのですが、そうした”当為”(=いかにあるべきか)の問題が、そもそもの事件の焦点となっている殺人の事実はあったのかなかったのかという事実の問題と複雑にからんできます。 出産における方法・制度論と殺人についての事実認定の問題は本来全くの別論です。 しかし、そう言い切ることに躊躇を覚えるのは、やはり出産という営みの特殊性です。妊婦の生命をとるか赤ん坊の生命をとるかという命の選択、いや、その選択肢が自分に与えられているのか否かすらあいまいな状況において、事後的客観的な認定で裁くことに意味があるのか。裁かないことにこそ意味があるのではないか。事件の着地点を単純な事実の存否論によって片付けることのできない背景がそこにはあると思います。 (↓以下ネタばれ) 本書は、この命の選択の問題を、衝撃の結末という形で、実のところ巧みに避けています。しかし、興味はあります。もし裁判中に、実は妊婦はまだ生きていたという事実認定がなされた場合に、果たしてシビルは、アメリカの法律だとどうなるか分かりませんが、日本法で言うところの業務上過失致死の罪で裁かれることになるのでしょうか。それとも過失なし、あるいは胎児の生命を行なうための正当な業務行為だったということで無罪になるのでしょうか。 この問いの答えは本書にはありません。おそらく、一般論で答えを出すことはできないでしょう。考えることこそが答えだと思います。 (↑ココまで) 本書がシビルの娘であるコニーによって語られるのも面白いです。事件当時14歳だった彼女が、30歳になった現在から過去を振り返るという語りによって、単純な法廷ミステリとしてのやりとりだけでなく事件までの成り行き、母と娘のやりとり、父親や弁護士といった周囲の人々の姿が感受性豊かな思春期の少女の視点(これがとても上手い)で描かれ、かつ現在の彼女自身を理解するための物語として機能するという構成になっています。 本書巻末の訳者あとがきに、「この娘と母親のやりとりには、たがいにたいする深い愛情と赦しが感じられるように思う」(p471)と書かかれていますが、まさにそのとおりだと思います。圧巻の読後感です。微妙なテーマゆえに、あえて多くの方に読んで欲しいと思います。 ちなみに、法改正により2002年3月から「助産婦」という名称は「助産師」に変更されました。そのため、本書評内では「助産婦」ではなく「助産師」という言葉を使っています。 本書は「助産婦」という言葉を使用していますけど、別にそれを非難するつもりで「助産師」という言葉を使っているわけではないので、念のため追記しておきます。 そもそも、英語では「MIDWIVES」となっているわけですから、「助産婦」と訳されるのは至極当然のことだと思います。 |