葉桜の季節に君を想うということ
著者:歌野晶午(うたの・しょうご)
出版:文藝春秋
初刊:2003
装丁:京極夏彦 with Fisco
    写真 大嶽恵一
定価:1857円+税
ISBN4−16−321720−7

[あらすじ]
 成瀬将虎は、ガードマンにパソコン教室の先生、エキストラなどの何でも屋をやりつつ、金で女を買って抱いたりと、自由気ままな生活を送っていたが、電車のホームで自殺していた女性を助けたことからその女性と懇意になる。
 その一方で、成瀬は後輩の知人である久高愛子に頼まれて怪しげな悪徳商法を営んでいる「蓬莱倶楽部」の調査を依頼されるが…。



注!! ネタバレというほどのことは書いてませんが、しかし本書はできるだけ予備知識なしで読むことを推奨します。

 何はさておきタイトルの良さに触れないわけにはいきません。本格ミステリでは、タイトルにセンスが必要ない場合(「なんとか殺人事件」みたいに)もありますが、こと叙述トリックものに関しては細心の注意を払う必要があると思います(読む上でも)。

 叙述トリックは本格か否か? というのは、一般的には単なる趣味の問題にしかすぎないことは間違いないはずなのですが、一部の極端な人々にとってはとても重要な議論だったりそうでなかったりします。

 正直な気持ちを述べますと、私は叙述トリックものは好きではありますが、やはり本格ではないと思うのです。
 通常のミステリの場合は、最後で明らかになる解決が矛盾なく読者に受け入れられるように、ときには非常に分かりにくい方法をとられていることもありますが、しかし手がかりというものがかならず明示されているものです。
 しかし、叙述トリックでは、最初に読者が想像するであろう物語と驚愕の真実との少なくとも2通りの解釈が途中までは可能であるような書き方がなされなけらばならないので、どちらともとれるような記述に終始することになります。ですから、叙述トリックものは、それが傑作であればあるほど、実はアンフェアにならざるを得ず、したがって本格もの大事な要素である「フェア感」が薄れてしまうのです。
 また、叙述トリックは読者の抱いている常識に頼らなければなりませんが、常識という要素自体が作外のメタなものですから、それを必然的に当てにしないとならない点で、やはりフェアとはいえないでしょう(もっとも、この点は通常の本格ものでも難しいところだとは思いますが)。

 そうであるにもかかわらず、私は本書が本格ミステリ作品として知られていることに異議を唱えるつもりは全くありません。本書の驚愕の真相を知ったときも別に怒りはしませんでしたし、それどころか感心というか感服というか、読んで良かったと素直に思いました。
 その理由としてはまず、作中で語られている一見本筋とは離れているやくざの密室事件がきちんと本格ミステリになっているということがあると思います。本書を読む人の大半がミステリであることを前提に読むでしょうから別に叙述トリックのみで勝負しても問題はあまりないとは思いますが、しかしそうでないことも十分に考えられますから、読者に対して本書がミステリであることを婉曲的に示唆する意味で、この逸話が挿入されているのだと考えられます。つまり、メタな意味での伏線なわけです(ナンノコッチャ)。
 それに、やはりとても巧みに計算されていると思います。普通のミステリの場合、少々文章が下手でもストーリーがありきたりでも、きちんとミステリしていれば、まあ許されます。しかし、叙述トリックでそうした瑕疵があることは絶対に許されません。慎重かつ端整な記述が要求されることは当然といえば当然ですが、それでもやはり秀逸だと思います。

 ただ、そうした技術的なところよりも、本書が叙述トリックものとしての高みにあると評価されたのは、やはりそのトリックに必然性があるということが認められたからだと思います。作家は物語を創作する上での”神”である以上、その気になればいくらでも読者を騙すことができます。通常の本格ものであれば、フェアであること、という縛りによってそうした騙しはあってはならないものとされますが、叙述トリックではそのリミッターはカットされます。だからこそ、単に読者を驚かそうというのではなく、そのトリックを仕掛けるだけの必然性、ネガとして語られていたものがポジになった瞬間の感動というものを目指しているか否かがとても重要になってくると思います。春に桜を愛でるのももちろん一興です。しかし、葉桜だって立派なもんじゃないか、という当たり前であるはずなのに感動してしまう、そうした自分自身の常識によって生じてしまっている蒙を晴らしてくれるところに何よりも価値があるのだと思います。

 もっとも、新本格の時代においては、本格というものも随分と多様化してきましたし、アンチ・ミステリという概念も死後になりつつあるなぁ、と個人的には感じるくらい、ミステリという存在自体が拡散していってると思うので、本格とは何か? という神学を論ずるのは無意味なのかもしれません。無意味だから面白いというのはありますが(笑)。

 本書は、2003年度の「このミステリーがすごい!」第1位、「本格ミステリ・ベスト10」第1位、「週刊文春ミステリーベスト10」第2位、「第4回本格ミステリ大賞」小説部門受賞、「第57回日本推理作家協会賞」長編および連作短編部門受賞などなど、2003年度のミステリ界の話題をさらった感があります。面白さはお墨付きのオススメ本です。



 なお、『アヒルと鴨のコインロッカー』の書評では、本書と『アヒルと鴨の〜』を比較することで、叙述トリックについての分析めいたことを書いています。ネタばれ注意でご覧下さい。


書評TOPページへ