| 迷宮百年の睡魔 (LABYRINTH IN ARM OF MORPHEUS) |
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著者:森博嗣(もり・ひろし) 出版:新潮社 初刊:2003 装丁:カバー写真 クリスティアナ・ガルシア・ロデロ ブックデザイン 鈴木成一デザイン室 定価:1900円+税 ISBN4−10−461001−1 |
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[あらすじ] 一夜にして周囲の森が海に変わってしまった伝説の島、イル・サン・ジャック。 ミチルとロイディは、この島の宮殿モン・ロゼを訪れるが、そこで、曼荼羅の中で首を落とされた僧侶の死体に遭遇する。 一体誰がどうやって僧侶を殺し、頭部を持ち去ったのか? 〔Caution!! ネタばれ注意〕 『女王の百年密室』の続編です。必ず前作を最初に読むことをオススメします。そうでないと本作の真相を理解することは困難だと思います。 (以下の文章は、『女王の百年密室』、『迷宮百年の睡魔』共にネタばれしています。また、かなり独自説に突っ走ってますのでご注意下さい。) 正直、前作を読んだ限りでは、シリーズ化は難しいと思っていたのですが、とんでもない誤解でした。 肉体と頭脳の分離、という前作で明らかになった、ミチルとロイディとの関係の驚くべき真相が、本作ではさらに過激な問題に発展していきます。 とにかくビックリしました。 従いまして、以下の文章では、アイヨシが驚愕した本書の”ビックリポイント”をメインにつらつらと感想を書いていきたいと思います。 まずは、結局、この事件はどう理解すればよいのでしょうか? 首なし殺人事件の真相は、一つの脳に同居する別人格の手によるものという、ミステリ的読み方に固執するとバカミス呼ばわりされても仕方のない驚愕のトリックです。 これを自殺と捉えるのか殺人と捉えるのか、どう考えればよいのか全く分かりません。 まず、肉体の破壊=死と即断することは、本作の世界設定の下では早計にすぎるでしょう。脳と肉体の分離が可能で、しかもその肉体はいくつも作ることが可能です(ここでちょっとした法的、あるいは道徳的問題が生じる可能性がありますが、後回しにします)。極端な話、肉体を傷つける行為が傷害罪になるのかどうかすら疑問です。ひょっとしたら器物損壊罪の成立(!)から考えないといけないのかも知れません。 しかし、肉体のモノ化はSFでは珍しいことではありません。問題はここからです。 人間には複数の人格があって当たり前、という考えは森博嗣のデビュー作『すべてがFになる』(講談社文庫)などからも散見されますが、ここからさらにアイデアを飛躍させて、ひとつの脳に複数の肉体を与えるというとんでもない思考実験を試みたのです。これにはクラクラしました。 言われてみれば、それほど無理な展開ではありません。脳と肉体の分離、肉体のモノ化が可能ならば、これができても不思議ではありません。 (もっとも、脳のスペックの問題がありますから、ひとつの脳で一体いくつの肉体を操ることができるのかという問題が生じてきます。イル・サン・ジャックの住人が何となくぼんやりしているのはスペック上の問題が顕在化したものだと思われます。) インターネットが高度に発達した世界ならば、脳に直接プラグを差し込むなりして、ネット上で各人格ごとに活動することも可能なようにも思います。そしたら、わざわざ肉体をいくつも作る手間をかけずにひとつの脳で複数の意志(というかペルソナ?)による活動をすることができます。しかし、私見ですが、おそらく筆者はそこまで可能だとは考えていないのだと思います。他者あっての自己であり、他者との関連を認識するために肉体が必要なのだと考えているのだと思います。だからこその”首なし事件”でしょう。サエバ・ミチルがクジ・アキラの肉体に拘泥することで生きていられるのも、そういうことでしょう。 他の生き方を選択することももちろん可能でしょう。例えば、サエバ・ミチルの残った細胞からクローンを作って、そのクローンの成長にあわせるためにオリジナルの頭脳はコールドスリープで時を過ごし、そうして肉体と頭脳(精神年齢?)の時間が一致したところで脳移植でもすれば100%サエバ・ミチルな人生を送ることもできます。でも、そうしたことをせずに今のサエバ・ミチルがあるわけです。もっとも、これから先もそうして生きていくのかは分かりません。シリーズの展開待ちですが、興味のあるところです。 で、結局この事件はどのように考えればいいのでしょうか? ……まあ、無理にハッキリさせる必要もないのですが、結局、最上級に悲惨な茶番という感じがします。警察の出る幕ではないというか、そういう意味でカイリスは道化以外の何者でもないように思います。自殺とか殺人とかとは違うように思います。 仮定の話ですが、記憶喪失になった人間は過去の人格と完全に断絶することになります(と断言すると飛躍があるのは承知の上です。意味記憶やエピソード記憶など、記憶にもいくつかのレベルがありますし…。でも、記憶の上書きの繰り返しの連続が人生ならば、それが終われば、やはりそれは一個の人格が終わったと言えるのではないか? という強弁的自説的断言をさせていただきます)。これを意図的に行なうことができるとした場合に、他人がやっても殺人罪ではないでしょうし(傷害罪にはなり得ます)、自分でやっても自殺したことにはならないでしょう。ただ、過去のその人格を”死んだ”と表現することはできます。そういう意味で、クラウド・ライツは死んだけど、法的には死んではいない、ということになると思います。 ……自分でも「何を言ってやがる」と思いますが(笑)、法律が”生”と”生命活動”を区別していない(というより、パラダイムとして”生”なんてものは論外)以上こうなって当然、なんて、それこそ戯言めいてますが……。とにかく、私の結論は、事件性なし、です。 もうひとつ、私が驚いたのは、クローン(作中ではクロン)があっさりと肯定されていることです。 今のところ倫理上の問題(※註1)があるとして、悪魔の所業の如く言われている人間のクローンの作成ですが、法的にも、平成13年から施行されたクローン技術規制法(※註2)によって、人クローンの作成などは禁止されています。私ももちろん100%の人間のクローンには反対です。 なぜなら、何と言っても成功率が低いですし、また、何のためにそんなことをやらなきゃならんのか意味が分からない(※註3)からです。 とはいえですね、100%でなければ、本音を言えば、脳さえなければどんな成功率でも知ったことじゃないからやりたきゃやれって感じです。でも、脳まで作るつもりだったらやっぱりヤバイと思います。 (ここで、前述の議論で後回しにした問題に触れたいと思います。メグツシュカは肉体作成のためにクローン技術を用いているようですが、もし100%のクローンを作った上で脳を廃棄しているようなことをしていたら、言うまでもなく殺人罪です。私としては、脳のないクローンを作ってる、そういうことが、移植用に特定の臓器のクローン技術による作成のごとく可能である、というふうに理解しておきたいと思います。 もうひとつの可能性として、クローンとして作られた生命が完全な人になる前の胎児の段階で、脳に該当する部分を摘出するなどの方法が考えられます。胎児は人ではないので殺人罪にはなりません。もっとも堕胎罪(現行法は当然のことながら人工子宮など想定していないので……)が問題となりますが、例えば、日本の母体保護法は、妊娠満22週未満(※註4)の胎児については、指定医師の手によるなどいくつかの要件を充たしている場合には中絶、つまり、胎児を殺すことが認められています。したがって、殺すのがありなら脳をくりぬいた状態で育成するのだってありだといえるでしょう。 本書に出てくるデボウのウォーカロンのボディもそうやって作られたものだと思います。クローンのクローンなのか、オリジナルのクローンなのかは分かりませんが……。) ただ、反対は反対なんですが、しかし、いつかは100%の人間のクローンができるでしょう。 そうなったら、「人間の尊厳」とやらとどう折り合いをつけましょうか? 私見ですが、クローン人間の人権を保障するという当たり前の規定を定めて、戸籍も出自:クローンという表記を認めて、そうした上で、通常の人間と同様に生活する方向で考えれば問題ない(人権侵害行為は厳格に罰します。これが規制になる?)……のかな? ただ、これに加えて、上述の頭脳と肉体の分離問題が絡んでくると厄介な問題が出てきます。 現行法下では、死の定義が、原則:心臓死、例外:臓器移植の場合には脳死=死、と相対的なものになっていますので、脳さえなきゃどうでもいい、というわけにはいかないんですが……それは今後の課題ということで(ムニャムニャ)。 と、てな感じに悩めることが楽しいのです(笑)。ソフト面での未来について思考実験するために、本書は格好の材料だと思います。 ちなみに、本書を面白いと思えた人には、菅浩江の『アイ・アム I am.』も個人的にオススメです。 理由は『アイ・アム I am』のネタばれになるので伏せますが、(ネタばれ反転)異なる思考実験が行なわれているにもかかわらず、両者の共通の結論として頭脳と肉体の分離という未来像が提示されているからです。(ココまで)これは非常に興味深いです。 とにかく次作が楽しみですし、前作同様に本作のラジオドラマ化希望です。 …NHKにメール出そうかな(笑)。 [追記] あ、あと麻生俊平の「ザンヤルマの剣士」シリーズ第4巻『フェニックスの微笑』(富士見ファンタジア文庫)も想い起こしましたが、品切れ絶版ですし、こちらは無理にはオススメしません(笑)。 [さらに追記] 『すべてがFになる』をはじめとするM&Sシリーズの重要人物である真賀田四季の生涯をつづった四部作『四季〜春・夏・秋・冬〜』(森博嗣/講談社ノベルス)を読みますと、真賀田四季とメグツシュカがだぶって見えてきます(二つの名前は子音が同じ!)。さらに、クジ・アキラとサエバ・ミチルの出自みたいなものも明らかになっています。そうしますと、M&Sシリーズの未来が百年シリーズであるといえるでしょう。 [さらにさらに追記] 『女王の百年密室』に続いて本書も、2005年7月18日〜29日までNHK青春アドベンチャーで放送されました。衝撃作だと思うだけに、NHKはよくやったなと思います(笑)。 また、本書の新潮文庫版の綿矢りさの解説によれば、本シリーズは全部で三部作とのこと。残りあと一作なわけですが、どういうラストになるのか想像も付きません。 ※註1 「倫理上の問題」と言いますが、じゃあ実際にどう問題なの? となりますと、案外、法律学者や知識人(?)はたいしたことを言ってくれません。この点、SFの方がはるかに進んでいると言えるでしょう。 人権問題を視野に入れたクローンについての問題意識として、例えば、優秀な人間のクローンを作ろうという公的なメリットを主張する立場に対して、 「社会的貢献度の高い遺伝子というわけですね。そんなものがあるならね。 たとえば一頭で沢山の肉がとれる家畜や、調理しやすいウロコのない魚のように、 そういった便利な人間をどんどん殖やすわけですね。 すばらしい社会だ!貢献する者とされる者の安定した美しい社会! クローン達には貢献以外の生き方は許されないでしょうね。 まさに奴隷制そのものだ!! 彼らに保障される人権がどんなにお粗末なものか容易に察しがつきますよ」 (明智抄・著 エンターブレイン『砂漠に吹く風 U』〔←名著ですよ!これは!〕p96〜97) 何てのは卓見だと思います。『スター・ウォーズ』のクローン兵士も同じ問題でしょう。 ※註2 正式には、「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」。主な内容として、 (1)クローン技術に関連する9種類の「特定胚」を提起したこと (2)特定胚の取扱いについては文部科学大臣の定める指針によるとして包括的な委任を行なったこと (3)特定胚の作成・譲受け・輸入にあたっては文部科学大臣への届出を義務づけたこと (4)9種類の特定胚のうち、「人クローン胚」「ヒト動物交雑胚」「ヒト性融合胚」「ヒト性集合胚」を人または動物の体内に移植する行為を禁止し、違反者には10年以下の懲役もしくは1,000万円以下の罰金またはその併科という重い罰則を定めたこと などを挙げることができます。 (有斐閣「法学教室273号」所収、赤坂正浩『ドリーの教訓? ―先端生命科学と学問の自由―』p50より) ※註3 不妊治療において、他人の遺伝子を交えずに子供を作ることができるメリットがある、との主張はあります。 ※註4 妊娠満22週未満というのは、厚生省通知によるものであって、母体保護法に直接明定されているわけではありません。 ちなみに、母体保護法に違反しないからといっても(それも仮定の話ですが)、クローン技術規正法には違反しますし、日本で合法的に本書のようなことを行なうことは不可能だと思います。 |