| 陰摩羅鬼の瑕 |
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著者:京極夏彦(きょうごく・なつひこ) 出版:講談社ノベルス 初刊:2003 装丁:ブックデザイン 熊谷博人 カバーデザイン 辰巳四郎 定価:1500円+税 ISBN4−06−182293−4 |
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[あらすじ] 過去に四回、結婚したばかりの花嫁が殺されるという事件の発生している洋館「鳥の城」。その洋館の主である「伯爵」から花嫁を守るよう依頼を受けた探偵・榎木津は、小説家・関口と共にその洋館を訪れるが、果たして彼らは五回目の惨劇を防ぐことができるのか? 〔Caution!! ネタばれ注意〕 五年の沈黙を破っての京極堂シリーズ第7作目です。 749ページもある本を見て、「今回は薄いなあ」と思ってしまいましたが(笑)、それというのも、このシリーズが毎度毎度、既存の価値観をぶち壊してくれるからこそです。今回もやってくれました。 で、感想ですが、「陰摩羅鬼」の方は正直良く分からないので(笑)、「瑕」の方からアプローチしたいと思います。 瑕とは「瑕疵」のことで、法的――民法的――には、取引の通念からみて売買の目的物に欠陥があること(※註1)(←売買の他、賃貸借などでも同様ですが)を言い、つまり、始めから何かが欠けていることを言います。 傷=肉体なり精神なりが損なわれること、とは違うと思うわけです。 で、私的自治の原則に支配されている民法でも、上記のごとく取引の通念という社会常識がものをいう場面があり得る訳ですが、同様のことは「物」にかかわらず人の場合でも、民法にかかわらず刑法の場合でも言えます。 刑法において、例えば過失犯の場合、一定の社会上求められる注意義務を認定した上で、それを怠った人間を処罰します。 ここでは、一定の注意義務を前提に、それを認識し注意する能力を有することが、刑法の客体である人間には、国家から要求されているのです。 過失犯に限りません。 「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処する。」という文言を読んで(いや、読まずとも)「ああ、人を殺すということはこういう事で、それをしてはいけないんだな」と認識する能力を、そして認識していることを、国家なり社会なりによって要求されています。 それができない人間は責任能力無しとして社会から排斥され、認識していた(あるいは認識すべきだった)にもかかわらずそれを行なった人間は処罰されます。 つまり、憲法上個人の価値・尊厳・自由を尊重する建前をとっていますが、実際には、公共の福祉の名の下に、そうした瑕疵を持つことを許容していないのが現代社会のシステムなのです。 では、認識できる能力はあるけど認識していない場合はどうでしょう? 本書の伯爵がそれです。 ただ、現代科学で「死」という現象を説明できていないことを考えれば、誰だって伯爵と同じく、死という概念について「瑕疵」状態であると言えます。しかし、実際には、ほとんどの人――多分、私も含めて――が「死」というものを知っています。それがどれだけ不思議で、でも貴重なことか。「健康な人間は健康を――意識しない」(本書p676より)というのは言い得て妙だと思います(関口君も成長したなぁ・笑)。 そこで、解決編の解釈ですが、アイヨシ的には、陰摩羅鬼を死に見立てた上で、伯爵に対しては陰摩羅鬼を無理やり憑かせることで「瑕」を補う一方、伊庭に対しては陰摩羅鬼を祓うことで傷を癒したのではないか? と考えています。 で、中澤警部は伯爵側の事情しか認知していませんが、伯爵が陰摩羅鬼(という名の世間一般の常識)に憑かれていく過程を見せつけることで、伯爵を狂人として処理するでもなく、故意犯として処罰させるでもなく、過失致死という第三の措置をとらせる方向に京極堂は導いた、と思うわけです。 これだと、現実にそうした措置がとられたら正直甘いと思うのですが、とか言いつつ、本書の展開ではこれが正しいでしょう。 伯爵を、常識を背景に故意犯として処罰するのは簡単です。 しかし、その常識は、実際問題として、死を社会共有の認識として伝達するものとして機能しているのでしょうか? 「人を殺してみたかった」なんて動機の少年犯罪が起きる御時世です。 証明できない危険を根拠に戦争が起きる世の中です。 お盆に仏壇で手を合わせたり、敗戦記念の式典をテレビで見たりしながら、こんなことを考えるのもオツなものだと思ったわけです。(※註2) 本書の感想をちょっとネットサーフィンして見ましたが、他の京極堂シリーズより分かりやすいというのが大多数でした。 それは、作品の構造・構成もさることながら、テーマが直球で、かつ伯爵の実例を現実に簡単に想起できるのも理由の一つだと思います。 (※註1) 民法上の「瑕疵」の定義については遠藤浩・他編「民法(6) 契約各論 〔第4版〕」(有斐閣双書)p50から引用しました。 広辞苑にものっていないような、法律用語からのアプローチなんて馬鹿な真似はアイヨシならではだと思いますが(←アホ)、その割にまともな内容になっていると思うのは私だけでしょうか?(笑) (※註2) 本書を読んだのが、たまたま8月13日〜15日という期間だったのでこういう感想になりました。(ちなみに、発売日は8月8日でした。「死」を思うにはもってこいの時期に刊行されたと思います。) |