| 三月は深き紅の淵を |
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著者:恩田陸(おんだ・りく) 出版:講談社文庫 初刊:1997 装丁:カバーデザイン 北見隆 定価:667円+税 ISBN4−06−264880−6 |
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[あらすじ] 第一章「待っている人々」、第二章「出雲夜想曲」、第三章「虹と雲と鳥と」、第四章「回転木馬」。 それら四つの中編は独立した物語でありながら、存在しない物語『三月は深き紅の淵を』によってぼんやりとした固まりとなって、そして拡がっていく……。 『三月は深き紅の淵を』という、幻の物語をめぐる四つの中編集です。 第一章「待っている人々」では、結局『三月は〜』は存在しない物語とされています。 しかし、第二章において、『三月は〜』は、存在はしていますが、それは封印された物語として語られます。 第三章では、これから書かれるであろう小説のタイトルが『三月は〜』となっています。 そして、第四章では、『三月は〜』は第一章「待っている人々」、第二章「出雲幻想曲」、第三章「虹と雲と鳥と」まで書かれていて、第四章を「回転木馬」にして、さて書き出しはどうするかという、それまでの三つの中編を包みこむ、メタ的構成になっています。 結局、第四章まで読んでも『三月は〜』を実際に読むことはできません。で、どういうことだと思って自分が今手に持っている本を見ると、その書名は『三月は深き紅の淵を』。 物語が物語を飲み込むウロボロス、つまり回転木馬なわけです。 良くできていると言えば良くできてますが、しかし、ストレスもたまります(笑)。 作中に以下のような文章があります。 私は「よくできた話」に惹かれる。 <中略> その感動は、収まるべきところにすべてが収まったという快感である。(本書p372より) とか書いてあるくせに、この物語は収まっていないのです!! 全然閉じてません。幻から幻への無限ループです。 作者自身、小説を執筆する上でのテーマとして、ノスタルジア、懐かしさを挙げています。そして、物語についての作者の郷愁の想いは、「あたしさあ、子供の頃、本読んでても、誰々作、って意味が分からなかったの。本に作者ってものがいるってことに気付かなかったのね」(本書p161より)という言葉で語られています。 つまり、作者と切り離された、自走する物語。物語と読者との深い同調への哀愁がこうした変わった本を書かせたのだと思います(この点に、『八月の博物館』と共通の発想があると思います)。 と、まあ、作者のやりたかったことは何となく分かるのですが、しかし、何回か頭の中に思い浮かべているうちに、本書の軸である幻の物語『三月は深き紅の淵を』がだんだんつまらない物語に思えてきてしまうのです(笑)。 多分、幻を幻のまま許容するだけのキャパシティを、擦れた人生の中で私自身が失ってしまったからだと思います(←コラコラ)。 そんなわけで、オススメはしづらいです。一文一文、断片断片はとても妖しげな魅力を放っているだけに、余計にストレスがたまっていくのです。「ちゃんと物語を書こうよ!」って(笑)。 とはいえ新しくて変わった作品であることは間違いありませんし、その個性は珍重すべきものだと思います。 |