八月の博物館
著者:瀬名秀明(せな・ひであき)
出版:角川文庫
初刊:2000
装丁:口絵・挿画 影山徹
定価:743円+税
ISBN4−04−340506−5

[あらすじ]
 19世紀のエジプトで、人生の全てを遺跡の発掘・保護にかける考古学者マリエット。
 小学6年生の夏休み、突然現れた不思議な博物館で、様々な知識に触れていく亨。
 物語の作為性に白けてしまい、その執筆に行き詰まってしまった作家。
 並行するべき三つの物語は共鳴し合い、やがて一つの物語の始まりとなる……。



 小説の意味を小説という形式で問う小説です。小説自体を論じるのに、小説という表現方法を採用しているため、必然的にメタ小説となります。
(類似の試みをしている作品として、オースターの『ニューヨーク三部作』や恩田陸の『三月は深き紅の淵を』を挙げることができるでしょう。)
 小説の意味を問いたいのならば評論か何かを書けば良いのでは?と思う向きもあるかも知れません。確かに、そうした方法もあると思います。
 しかし、例えば小説家が小説の存在意義に疑問を持ったときに、それを解消する方法として、あえて小説という方法を選ぶことは、小説家自らがその存在意義を確認する最も直接的な方法であると考えれば十分理解できます。逆にいえば、小説以外の方法をとることは、小説の存在意義を否定することになってしまうのではないか? というところまで、一時的とはいえ作者が追い詰められてしまったのではないか? とも言えるでしょう。

 そうした苦悩は、一生を読者として過ごす立場としては無縁のものかも知れません。しかし、仮に一読者であったとしても、小説を読むということは、程度の差こそあれ、文章を読むことで自分の中で物語を作る、 つまり作家と同様の作業を脳内で行なっているはずであり、そのように考えると、この作品の主人公の一人である作家の”私”の問題意識は読者という立場であっても共有することが出来ると思います。少なくとも私はそう読みました。

 本書は三つの物語から成り立っています。
 一つは19世紀に実在した考古学者オーギュスト・マリエットが主人公の物語で、歴史小説の要素がふんだんに盛り込まれていて、三つの物語の中で一番フィクション性の低いものとなっています。
(八月(August)とオーギュストは偶然だと思うのですが、それにしてはでき過ぎですね・笑)
 二つ目は小学6年生の亨が主人公の物語。時間を超えて存在する博物館の博物館を舞台としてSF小説であるとともに、冒険小説であり、青春小説でもあります。三つの物語の中でも、一応メインの物語であるといえます。
 三つ目は作家である”私”が主人公の物語。仕事と恋愛に悩むその姿は、作者である瀬名秀明の私小説として読むことが出来ます。三つの物語の関係では、一番外延的なものとして捉えることができます。もっとも、最初のうちだけですが……。

 これらの、それぞれ独立して一つの物語であり得るものを、あえて一つの作品として構成しているのが本書です。
 それがエンターテイメント小説として成功しているかというと、実は結構微妙なように思います。いや、決してつまらないわけではないのですが、しかし、冒険小説と平行して、物語に白けてしまった小説家の苦悩なんて読ませられてしまったら、とてもじゃないですが物語に没頭できるわけがありません(笑)。
 実際、本書についての書評・感想についてネットサーフィンして調べてみても、「失敗作」、「それぞれ別々に読みたかった」という意見が多数見受けられました。
 しかし、そうした人に敢えて問いたいです。本当にそうか?と。ハッキリ言って、三つの物語を解体して単独で紹介されても、駄作とは思いませんが、イマイチ感が残ると思います(作家の苦悩の物語は単独でも面白そうですが・笑)。
 作者だってそう思ってる(というより、思ってしまった)はずです。にもかかわらず作者がこのような構成を選んだのは、物語の感動というものを”同調”(私見ですが、「面白かった」、「泣けた」、「怖かった」、などの感情を包括する、それらより上位の概念でしょう。)にあるとして、感動の根っこを抽象化して抽出した上で、その同調を意識的に、あるいは露骨に実現しようと狙った結果がこの構成だと思います。つまり、小説の登場人物の実感、”同調”を通して読者にもそれを感得させようと試みた結果が、この三重構成なのだと思います。

 作家である”私”は非常に苦悩しており、その執筆姿勢は真摯でストイックです。しかし、本書で行なおうとした試みは、非常に大胆かつ不遜なもので、読者に対してかなり挑戦的なように思います。しかし、それは不快なものではありません。自分の絶望の先に希望を見出しているというか、作家の視点(と、亨の視点)を通じて自らの弱みをさらけ出していることでフェアさを補おうとしているせいかも知れませんが、作者が投げかけた問題提起について――せめてこの本を読んでいる間だけでも――考えてみても良いかと思いました。

 正直、同調する対象もその仕組みも人それぞれですし、もっとハッキリ言ってしまえば、面白いと思っているときに何が面白いか何て考えたくないわけで、そういう意味でも万人向けの小説とは思えません。わけが分からないと思うのも事実です。
 でも、見方によっては、下手な創作論や内輪ネタもの以上に、小説家の本音が書かれたものとして読むこともできますし、とにかく、私としては、失敗作と切り捨てる読み方に与することだけはできません。
 一言を伝えるために言葉を尽くし、それでも伝えられないけれど、でも、それらの言葉にはきっと価値があると思いたい。誰だってそうじゃない? なんてことを考えました。


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