心憑かれて
原題:THE FIEND
作者:マーガレット・ミラー(Margaret Millar)
訳者:汀一弘(みぎわ・いっこう)
初刊:1964
出版:創元推理文庫
装丁:カバー写真 中野史子
定価:860円+税
ISBN4−488−24703−2

[あらすじ]
 チャーリーは、見てくれのいい、どちらかといえば困惑したところのある若者で、原因も治療法も発見されていないある病気に苦しんでいます。
 彼は、過去にある問題を起こして、矯正施設による治療を受け、改悛の情を示し、二度と罪を犯さないと誓約して、退院しましたが、彼の病気はいまだに治っていません。
 彼が9歳の少女に恋をしたとき、その改悛と誓約は忘れ去られてしまいました…。



注!
 「ネタばれ」というほどのことは書いてませんが、本書は比類なき心理サスペンスであり、その面白さの大きな要素に緊迫感があります。それを損なわないためにも、できれば本書をお読みになった上で、以下の文書を読まれることをオススメします。

 サイコスリラーというジャンルがあります。トマス・ハリスの『レッド・ドラゴン』(ハヤカワ文庫)を嚆矢とするこのジャンルは、”サイコ”と呼ばれる精神異常者が世にも残虐な犯罪を犯すものです。
 そのパターンは、主に、(1)サイコな犯人を追う刑事たちが、その狂気に触れることで異常者と正常者の境界線があいまいなことが明らかになり、読者に対して自らも異常者になり得ることを示して戦慄させる、(2)サイコさんはどこまでいってもサイコさんで一般人には全く理解できないもので、その犯行はさながらモンスターによって行われるものであり、一般人はただただ怯えるより他はない、の2つに大別できます。
 両者に共通するのは、正常者の立場から異常者を理解しようとする姿勢です。それが成功すれば(1)になり、失敗に終われば(2)になります。最も多いものと思われますが、部分的成功なら両者の複合型ということになるでしょう。

 本書は、上記のようなサイコスリラーものとは随分違います。
 はしがきで、『精神医学のあとは、なに?』という問題提起がなされているとおり、極めて現実的・社会的な視点が作品の基礎になっており、ことさらに恐怖を煽るような描写・視点はありません。
 同じくはしがきに『本書には魔神(アイヨシ註:英語でTHE FIEND、原題に通じます)はひとりも登場しません』とあるとおり、サイコさんは出てきません。
 チャーリーという精神異常者は出てきますが、臆病で優しい性格の彼はその病に悩み苦しんでいますし、そうした性格が過剰であるがゆえの病であるともいえます。過去に少女に対して何かをしたことで矯正施設に入れられたという病歴(この過去が具体的にどのようなものであったかは、結局、作中で語られることはありません)を持っていますが、それも、残虐といえるようなものではなく、ましてや殺人とは程遠いもののようです。彼をサイコと呼ぶのは、用語として不適切でしょう。
 そんな彼と共に暮らそうとするチャーリーの兄と、チャーリーの恋人の、彼を理解しようとする姿には、上述のような戦慄を憶える一方で、希望も垣間見ることができます。
 そもそも、異常者であるチャーリー(ぶっちゃけて言えば、病的ロリコン)ですが、異常性を否定するわけでもなく、しかしながら、かなり一般人に近い存在として描かれています。正常者と異常者の境界線のあいまいさなど、わざわざ筆を割いて指摘する必要はない、と作者が考えているからだと思います。
 サイコスリラー特有の残虐な事件も起きません。起きるのは、チャーリーが恋した少女、ジェシーの失踪(?)事件だけです。(余談ですが、その事件の真相が解明される過程のカタルシスは、良質のミステリのそれに匹敵します。)

 それでも、私は本書を読み終えた後に、凡百のサイコスリラー以上の恐怖を覚えました。

 本書は、二つの軸を持っています。
 一つは、チャーリーという軸。もう一つは、両親と子供が二人(ジェシーとその兄)という家庭、母子家庭、子供のいない夫婦、という三つの異なる、しかしアメリカではどれも珍しくない家庭の問題が軸となっています。
 二つのドラマは、無関係のようでそうではなく、しかし、関係があるようで関係ありません。グレーゾーンです。そもそも、この物語全体がグレーゾーン、様々な灰色に彩られているのです。

 前者の軸であるチャーリー、彼が抱える心の病がこの作品の最も重要な部分であることは間違いありません。作中でおぼろげながら明らかにされますが、彼の病は、一部に子供のままの心が残ったままになっていることに起因するとほのめかされています。
 そんな彼が、いけないことだとは知りつつも、幼い少女に恋をして、悩み苦しみ、その果てに、彼の恋人であるルイーズを子供と見間違えるシーンがありますが、その意味するところは何でしょうか?
 おそらく、彼女の中にも、自分と同じく子供の部分を見出すことによって、対外的には病を克服するきっかけをつかんだことを意味するだと思います。それは、代償的なものに過ぎず、本来的な意味で病を克服したことにはなりませんが、しかし、それと幸せとは別の問題であることが、もう一つの軸を中心とする物語との対比から窺がうことができます。

 後者の軸では、”昼ドラ”のような、鬱屈してドロドロした、それだけに心当たりのある人間関係が描かれています。
 それぞれの家庭の持つ世界も違いますが、子供と親の、それぞれの世界も違います。大人びた視線で子供は大人を見て、子供みたいな心をもった親が子供を理解しようとし、両者の関係は、上手くいっているようですれ違っています。
 正常者対異常者という構図のもとで忘れられがちな、”異常者どころか、人は誰一人として他人を理解できやしないし、されることもない”ということが、こちらの場面では克明に描かれています。

 淡々とした筆致ながら心底恐ろしい物語です。にもかかわらず、そこに一縷ながらも救いの道を提示するあたり、作者の非凡さを感じずにはいられません。タイトル(原題)も絶妙ですし、最高です。(邦題も良いけど。)
 この本がマーガレット・ミラー作品との初めての出会いだったのですが、コンプリートする価値あり、だと思いました。
 巻末の宮部みゆきの解説と、作者ミラーへのインタビューも併せてオススメです。


書評TOPページへ