| 鍵のかかった部屋 |
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原題:The Locked Room 作者:ポール・オースター(Paul Auster) 訳者:柴田元幸(しばた・もとゆき) 出版:白水Uブックス 装丁:ブックデザイン 田中一光 カバーイラスト 河内利衣 初刊:1986 定価:920円+税 ISBN4−560−07098−9 |
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[あらすじ] 友人ファンショーが失踪した。妻と子と、そして原稿を残して。彼は原稿の始末を「僕」に委ねていた。発表か破棄か。「僕」はファンショーの「生死」を決定する立場に…。 一応、三部作の最後を締めくくる作品です。もっとも、個々の作品はかなり独立したものなので、別個に読んでも構いませんが、しかし、本書は、『シティ・オヴ・グラス』や『幽霊たち』を思い起こさせるような記述が多く見られるので、「三部作の最後の作品」として読んだ方がお得なように思います。 『シティ・オヴ・グラス』と『幽霊たち』が、あまりめでたくない終わり方をしているので、本書も不安な気持ちなまま読まずにはいられませんでした。ただ、物語が最初から「僕」というしっかりした視点から語られ、さらに、「いまにして思えば」という書き出しなどが、一応の未来の存在を暗示してくれているので、少しはマシな気分で読めました(笑)。 「僕」の幼馴染で親友だったファンショー。しかし、高校生の頃の思い出を最後に、彼は「僕」の中から姿を消してしまった。その彼の妻からの突然の手紙…。 「僕」は、ファンショーの作品の発表か破棄かの決定権を付与されます。彼はそのことを考えるにつれて、ファンショーの生死を決定するに等しい、と考えるようになります。それは、作者オースターの批評家への悲鳴である、と言ったら考えすぎでしょうか?(爆) 原題の"The Locked Room"は、普通に訳せば"密室"です。そんな推理小説風なタイトルが暗示するところは、何でしょうか?多分、「本書には謎があるんだぞ!」という宣言だと思います。しかし、本書の訳としては「鍵のかかった部屋」で良かったんだと思います。そうでなかったら、アイヨシもきっと本書を推理小説だと思ったでしょう(笑)。 作中に出てくる「鍵のかかった部屋」は、子供の頃、何でも共有していた「僕」とファンショーが4歳くらいだった頃に、ファンショーがどうしても「僕」を入れてくれなかった段ボール箱が象徴として用意されています。 その箱に入ってふたを閉じると、どこへでも自由自在に行くことができる。しかし、ほかの人間が一回でもその中に入るとその魔法は永久に失われてしまうという箱…。 ファンショーの作品を発表することを決断して、それによって利益を得て、彼の妻だったソフィーと結婚して成功を収めた「僕」は、ファンショーの伝記を書くという仕事を依頼されます。そのために、彼はファンショーについて詳しく知ることを止む無くされます。そして、何も確信できないことを思い知らされます。 「僕」は箱の中に入ろうとしてもがいていたのか、それとも、箱の中から出られずにもがいていたのか…?後者だったら、ファンショーを"殺す"ことによって自らを救うことができます。しかし、前者だったら、それは取り返しのつかないことになります。果たして「僕」はどちらなのか…ということすら「僕」には分かっていません。 自分のことなんでわかりませんよね、と、履歴書の自己紹介が大の苦手なアイヨシとしては大納得です(泪)。と、関係ない合いの手はともかく、この辺のドロドロしたところが、読みどころといえば読みどころなのでしょうが、他の2作品が2作品だっただけに、また崩壊するのかと、かなり不安になりました。 幼馴染で友人。作品の発表・破棄の決定を通じて彼の生死を決定し、さらには彼の妻と結婚した「僕」。あまりに自らの存在に食い込んでしまったファンショーの伝記を書くという作業に、「僕」の精神は消耗を強いられ、ボロボロになります。自戒しないといけませんね(苦笑)。 「書くこと」と「読むこと」が主題となっているこの三部作ですが、本書の主人公は書評家という職業をしています。いわば、作者と読者の中間的な立場にいます。その彼だけが、三部作の中で唯一わずかながらではありますが、希望のある未来を手にすることができたのは皮肉な気もします。ただし、そのために彼はファンショーが最後にくれた赤いノートを破り捨ててます。仮にも小説家たるもの、そんなラストを書いてしまっていいのでしょうか?(笑) まあ、文学にタブーなし、ということで、良しとしておきましょう。 |