| 『ニューヨーク三部作』 |
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| ポール・オースター(Paul Auster) ・「シティ・オヴ・グラス」 角川文庫 ・「幽霊たち」 新潮文庫 ・「鍵のかかった部屋」 白水Uブックス (※註:全てネタばれなのでご注意下さい。) |
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◆『ニューヨーク三部作』って何? (三部作全体を概観しました。ネタばれではありませんので、気軽にご覧下さい。) ポール・オースターの『シティ・オヴ・グラス』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』の三作品は、『ニューヨーク三部作』として知られています。とはいえ、各作品は独立した小説です。それに、この三作品はニューヨークを舞台にしていますが、オースターは他にもニューヨークを舞台にした作品を書いています。 そもそも、この三作品は日本ではそれぞれ異なる出版社から出ています。そのため、揃えるのが少々面倒です(笑)。このことからも、各作品巻のつながりの希薄さが証明されていると思います。 ではなぜ『ニューヨーク三部作』なのか?それには、前提として、三作品ともわけの分からない小説であることは間違いありません(笑)が、いくつか理由があります。 ひとつには、作者自身がそう表明しているからです。『鍵のかかった部屋』p182以下にこんな文章があります。 『ガラスの街』(※註)『幽霊たち』、そしてこの本、三つの物語は究極的にはみな同じ物語なのだ。ただ、それぞれが、僕が徐々に状況を把握していく過程におけるそれぞれの段階の産物なのだ。 ※註:『シティ・オヴ・グラス』のこと。本書の訳者の柴田元幸は、『City of Glass』の邦題として『ガラスの街』を一貫して使用しています。 作中の中に全く独立した存在である他の小説の題名がいきなり入り込んでくるあたりはメタ小説ですが、『鍵のかかった部屋』などはまだ良い方です。『シティ・オヴ・グラス』と『幽霊たち』の二作のは読者を煙に巻く、挑戦的(?)な終わり方をしています。 それで、どの辺が究極的に同じ物語なのかと言えば、それが非常に難しいのです。 私が思うには『小説を書くこと』の意義への疑念というテーマの共通性だと思います。これを小説でやろうとすれば、わけの分からない小説になるのは、ある意味当然なのかも知れませんし、意欲的ではありますが危険な試みだと思います。しかし、読み物としては非常に面白いです(笑)。面白いのですが、『書くこと』への疑念の裏返しは当然『読むこと』への疑念につながります。そのことが特に顕著に表れているのが『幽霊たち』です。 で、共通のテーマに対する各作品の態度ですが、一言でまとめてみますと… 『シティ・オヴ・グラス』…玉砕 ↓ 『幽霊たち』…混乱 ↓ 『鍵のかかった部屋』…一筋の光明 という流れで終わっていると思います。もう少し明るい展望が欲しいものですが…。しかし、とにもかくにも前向きな姿勢で終わっているのが救いではあります。 三部作として成立しているもうひとつの理由に、いわゆる探偵小説(推理小説)を意識して書かれていることを挙げることができます。かといって、三作品を推理小説に分類するのはかなり苦しいです。詳しいことは各論で詳述したいと思います。『鍵のかかった部屋』だけは普通小説(これも意味不明なことばですが…)ですが、原題は『The Locked Room』です。 これは、訳す人が訳せば『密室』以外のなにものでもありません。 タイトルだけ見れば間違いなく推理小説です。 それでは、なぜオースターはそのようなことをしたのでしょうか。 『シティ・オヴ・グラス』は、三作品の中で最もミステリ色の強い作品です。主人公である作家のクィンが探偵と間違えられて(?)不思議な仕事を依頼されることから始まります。いかにも探偵小説らしい導入です。 さらに、クィンが自身の小説の主人公にしているのはウィリアム・ウィルソン(いわずと知れたポーの有名作品)で、しかもクィンが間違えられた探偵の名前がポール・オースターといった凝りようです。 そんな本書の中で作者のオースターはクィンに次のようなことを語らせています。 こうした本について彼が気に入っているのは、その完全性と経済性だった。良質なミステリーには無駄がなく、意味のない文章や言葉がない。たとえ意味がなくとも、いずれ意味を持つ可能性がある―つまりそれは同じことだ。本の世界は命を持ち、可能性と矛盾をあわせ持っている。見られたり語られたりするのもすべてが、どんなにささいなことや、つまらないことでも、ストーリーの結末に関連してくるので、何ひとつ見過ごすわけにはいかない。すべてが不可欠なものになる。つまり、小説の中心が、事件の進行とともに移行する。だから、いたるところに中心があり、結末に至るまで円周は描けないのだ。 (本書p10〜11より引用) 少し長くなりましたが、重要な箇所だと思いましたのでそのまま引用しました。オースターが推理小説の技法を用いて三部作を書いた理由が端的に現れている文章だと思います。 ここまで意識して書いているのなら、その作品は少なくとも広義の意味で推理小説(ミステリー)と呼んでも差し支えないのでは?とも思います。迷うところですが、この三作品は推理小説として紹介したらちょっと違うと思います。なぜなら、謎→伏線→解決という推理小説の読みどころのうち、解決のカタルシスが圧倒的(特に『シティ・オヴ・グラス』と『幽霊たち』)に欠けているからです。 さらには、事件がまったく進行しません(特に『幽霊たち』)。主人公が勝手に進行させているだけです。いつからか事件そのものはどうでも良くなり、心理的迷宮に迷い込み、そのまま出られなくなる、という感じの作品群です。 …つまらなそうな作品、と思う人がいるかも知れませんね(笑)。でも、面白いのです。 一品一品はそんなに長いものではないので、騙されたと思って読んでみて下さい。 |