チグリスとユーフラテス(上/下)
著者 新井素子(あらい・もとこ)
出版 集英社文庫
初出 1999
装丁 カバー 花井正子
定価 上巻 686円+税
    下巻 571円+税

[あらすじ]
 遥かな未来、地球からの移民計画によって惑星ナインへ移住した人類は、人口子宮の活用によって人口を爆発的に増やすことによって繁栄し、独立した社会生活を営むことに成功した。しかし、生殖能力を欠如した人類の原因不明な増加によって、惑星ナインの人口は減少の一途をたどり、ついには"最後の子供"ルナを残すのみになってしまう。
 一人残されたルナは、コールド・スリープについていた人々を眠りから起こし始める…。
 第20回日本SF大賞受賞作。



 一人称小説を書かせたら右に出る者はいない新井素子のSF長大作品です。主観的な描写に徹することによって真実を白日のもとに晒す新井素子の作風には、最初の頃は正直かなり抵抗がありましたが、今はむしろ爽快に感じるから不思議です(笑)。非常に重いテーマであるにもかかわらず、ライトな感覚で読めてしまう本書は、"新井素子"節未経験の方に是非ともオススメです。


 生殖能力を欠如した人間の増加によって人口が極度に減少し、ついに破局を迎えた世界。
 時間的にも空間的にも絶対的な閉鎖状態に陥った世界でただ一人生きることを余儀なくされた"最後の子供"ルナちゃん(作中で、ルナは自分のことを「ルナちゃん」と呼びます)。

 もっとも、少女とはいっても肉体年齢は70歳を超えた老人です。子供が生まれなくなってしまった惑星ナインの社会では、ルナちゃんは永遠に子供なので、周囲の人間全てに子供扱いされた結果、肉体年齢と精神年齢とが乖離してしまったのです。

 ただし、精神的には子供であっても歳相応の知識は持ち合わせています。自らが"最後の子供"であるという状況も正確に理解しています。かなり歪んで屈折しています(笑)。


 一人になってしまったルナちゃんは、コールド・スリープに眠っている人間を一人ずつ起こしていきます。この"一人ずつ"というのがポイントです。解説で大沢在昌も述べていますが、アイヨシがルナと同じ立場にあったらやはり全ての人間を起こしてしまうと思います。

 それをしなかった理由についても解説で述べられています。"最後の子供"とは同年代の人間が一人もいないことであり、それは友情の対象となる人間や恋愛の対象となる異性がいないということです。その一方で、最後の子供という逆差別をされ続けたルナちゃんは孤独に慣れ親しんでしまい、孤独を孤独と思わなくなってしまったのです。

 確かに、そんな境遇では3人以上の人間の存在によって必然的に発生する「社会」というものに倦んでしまっても当然だと思います。


 そんなわけで、物語はルナと彼女によって起こされた人間との一対一の対話で進行されていきますが、これがまた問題です。

 コールド・スリープしていた人間にはそれなりの理由があります。そのほとんどが命に関わる難病に冒されたために、将来の医学の進歩に期待して止む無くコールド・スリープについた者ばかりなのです。そのため、コールド・スリープから目覚めた者はルナより肉体年齢が若くても、ルナより長く生きることはできないのです。眠りから覚めた者たちは、絶望的な気分のまま、自らの過去を回顧して死んでいきます。

 そんなことにはお構いなく、ルナはまるで読む本を選ぶかのようにコールド・スリープから人間を目覚めさせ、会話と交流を求めます。


 本書は一体一の対話が秀逸で最高です。一人称で語られるそれぞれの人生・人生観と、それに戦いを挑むルナちゃん。子供を産むこと、仕事、芸術、冒険と、それぞれ異なる目的のために人生を費やしてきた人間達に、何の生甲斐も持たないルナちゃんは噛み付きます。

 ルナちゃんが起こした人間として作中で語られているのは「マリア・D」、「ダイアナ・B・ナイン」、「関口朋美(トモミ・S・ナイン)」、そして、惑星ナインの創始者「レイディ・アカリ」の4人です。もっとも、ルナちゃんを含めて5人とも、明らかに「新井素子」なのですが(笑)。でも、それはよくも悪くも作者の個性の証です。新井素子にしか書けない作品である、とも言えるでしょう。

 この4人の人生は順に惑星ナインの過去を遡っていき、ついには創世記にまでつながります。つまり、惑星ナインの年代記が逆さまに語られていくことになります。巧妙な構成です。


 ルナちゃんはコールド・スリープから目覚めさせた人間に問い続けます。"最後の子供"になると知りながら、なぜ両親は自分を生んだのか?未来のない世界に生まれる子供に、どのような幸せがあるというのか?お前達は"ルナちゃん"のような子供を残すために生きてきたのか?お前達の人生は何だったのか?生きることにどんな意味があるのか?


 他人のために生きることができない状況で、生きる意味を見つけることができるのか?
 世界の絶望が約束されている中で、個人の希望を見出すことができるのか?

 私達が生きる目的として教育されてきた「世のため人のため」という常識・価値観が通用しない世界を小説世界として構築することによって、"生の意味"の本質が無理やり問いただされます。そうした壮絶な思考実験が行われているのが本書です。


 …などと、ここまで長々と書いてきました。
 しかし、白状しますと、正直何を書いてよいのか分からないまま書きました(笑)。にもかかわらず、よくぞ書いたなと、自分に感心しています(コラコラ)。いや、本書はSF的状況設定を簡明な言葉で説明していますし、物語は一人称の自然な言葉で語られているために難しい言葉も使われていません。読みやすい本です。でも、難しい本です。


 特に分からないのがラスト・シーン
(以下、ネタばれですのでご注意下さい)


 ルナちゃんは、レイディ・アカリの後、他の誰かを起こしたのでしょうか?
 もっとも、他に誰か眠っている人間が残っていたのか明らかでありません。しかし、仮にコールド・スリープに眠っている人間がまだ残っていたとして、アイヨシとしては、ルナちゃんは起こすのをやめたのだと思いたいです。

 こんな疑問を持っている時点で、すでに誤読の道を歩んでいるのかも知れませんが…(笑)。でも、誤読だろうがなんだろうが、これだけ考えさせられて、これだけ感動できれば問題ありません。


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