| オルガニスト |
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| 作者:山之口洋(やまのぐち・よう) 出版:新潮文庫 装丁:カバー装画 建石修志 定価:552円+税 |
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[あらすじ] 2004年、ドイツの音楽大学でバイオリン科の助教授を務めているテオのもとに1枚のディスクが持ち込まれてきた。録音されていた無名のオルガニストの演奏は、完璧な技巧と豊かな感情表現に溢れた驚愕すべきものだった。しかし、テオにとってその音楽は、九年前に失踪した、若き天才オルガニストであった友人ヨーゼフのことを思い出さずにはいられなかった……。 ※ 本書は1998年に新潮社より刊行されていますが、2001年の文庫化にあたって大幅な改稿がなされています。すなわち、初刊の時点では3人称で書かれていたものが、文庫ではテオという主人公の視点による1人称で書かれています。そして、アイヨシは文庫版しか読んでいないということを予めご了承下さい。 (注:今回も少々ネタばれがあります。ネタばれの許容範囲は人それぞれだと思いますが、核心には触れていないつもりです。それでも未読の方は一応ご注意下さい。) 本書は第10回ファンタジーノベル大賞を受賞していますが、ジャンルとしてはファンタジーともいえるしSFともいえるし、ミステリでもあるし……。つまり、ジャンルという枠に閉じ込めて紹介することがマイナスに働く小説だと思います。でも純文学とは言いにくいし……ということで、ここではアイヨシの独断でSFに分類させてもらいました。異論もあるでしょうが許して下さい(笑)。 この物語は、音楽というものの魅力にとりつかれた人々の青春小説です。この辺については瀬名秀明の見事な解説がありまして、これを先に読まれてしまいますと以下のアイヨシの書評には何の価値もないことになってしまいそうですが、めげずにがんばります。 音楽とは不思議なものです。音楽に限らず芸術というものは人間性と作品の質とが全く関係ありません(両立することもありますが・笑)。 例えれば、楽譜とは感情表現というプログラムを圧縮する作業で、演奏とはそれを解凍する作業といえるのではないでしょうか。で、そうしたプログラムを利用するユーザーには最低限のパソコンの知識があればそのプログラムの恩恵にあずかることができますし、更にパソコンに詳しい人間がそのプログラムに触れれば、その短所に嘆き長所に感動することがあるでしょう。このとき、圧縮・解凍作業においてまず要求されるのは技術であって感情ではありません。それを踏まえた上でさらに物語内の言葉を借りれば、《音楽的感情》とでもいうべき正体不明のものを持つごく一部の人間が……って、わけが分からなくなってしまいました。おそらく例えが適切ではなかったのでしょう(笑)。 とにかく、作曲家の感情と弾き手の感情、聞き手の感情があって音楽は成立するわけですが、このとき”感情”という言葉が必ずしも同じ意味で使われているとは限らないということを言いたいわけです。難しい問題です(今回の書評は”逃げの姿勢”というコンセプトでお送りしています・笑)。 人間がロボットに支配された社会という小説は、とくにSFではたくさんあります。代表的なものとして『われはロボット』(アイザック・アシモフ著 ハヤカワ文庫)などを挙げることができます。もっとも、実際にそうした事態が生じる可能性についてアイヨシは否定的ですが(士郎正宗著 講談社『攻殻機動隊[→Amazon]』p341の受け売りです・笑)。 とにかく、そうしたロボットによる政治的支配が行なわれたとしても、それは真にロボットによって人間が支配されたことにはならないと思います。本当にヤバイのは、ロボット(=人工知能)の奏でるオリジナル音楽に人間が感動してしまったときだと思います。 このことは、今では全然普通ですが、電子楽器の存在やテクノミュージックというものの存在を否定するものではありません。アイヨシは「ボーナスでテルミン買おうかな……」と思っているくらいですし(笑)。本書で重要な役割を担うオルガンにしても今ではパイプ・オルガンではなく電子オルガンのことを意味してしまいますよね。 ただ、やはりクラシックなどの伝統が重んじられるジャンルでは、やって良いことと悪いことがあるのでしょう。そうでなくても、テクノロジーの発達した現代社会において科学技術と倫理の衝突はいたるところで生じます。 物語に登場する悲劇の天才ヨーゼフは、自動車事故によって動かなくなった半身を動かすために機械の力を借りますが、そのためにわずかではありますが生身の部分と機械の部分との間の”ズレ”が生じてしまいました。それを解決するために彼は健康な半身をも機械化することを選択しました。まさに「マッド・アーティスト」(SFマガジン548号p28で、巽孝之が「プログレSF史序説」の中で使っている言葉)です。 しかし、そうして得られた音楽は、異常なまでに正確無比な、何度演奏しても変わることのない完璧な音楽となってしまいます。ここまでくると、ちょっと音楽家として認め難くなってきます。う〜ん、難しい。 本書はバッハの作品解釈やパイプ・オルガンの構造・知識が詳細に書かれているので圧倒されますが、音楽という本来耳で聞いて楽しむべきものが上手に小説という文字の集合体によって表現されていることと相俟って、「パイプ・オルガンのCD買おうかな……」と決断する寸前でした(笑)。アイヨシはオルガンについては全くのシロートですが、オルガンの「ストップ」(オルガンはいろいろな形状と音色を持っていますが、同じ音色を発する一群のパイプのことをストップというそうです・笑)の性格を料理に例えたくだりなどは読んでてなんとなくオルガンのことが分かったような気にさせられます。 しかし、本書の魅力は月並みかもしれませんが、やはり天才音楽家ヨーゼフとその友人で凡人、ミステリでいえばワトソン役に当たる主人公テオという2人の友情(?)と音楽の葛藤にあると思います。よくある話と言えばそれまでですが、主人公テオがヨーゼフという天才に接して思い知る才能の限界という現実、それにも拘わらずその才能に惹かれていくテオの姿には”痛い!”と思わずにはいられません。本書はこの2人の他にもマリーアやラインベルガー教授、クロダにカールといった魅力的な人物が多数登場しますが、この2人の関係を抜きに語ることはできません。 音楽やパイプ・オルガンについての緻密な説明から音響学まで登場し、更にはSF的最新医療という風に物語は目まぐるしい展開を見せますが、その骨格にしっかりとしたものがあるので決して読み難くは感じません。天才と凡人の友情の結末はラストに至って音楽的感情と人間的感情の統合などと分かったような表現で終わらせるにはもったいない程すさまじい音楽を奏でます。 そう、ラスト!! これは読んでもらうしかないですが、アイヨシはこういうのは大好きです。そして、タイトルである『オルガニスト』の真の意味……。ネタばれは控えますが、単にオルガン奏者という意味ではありません。壮絶ですが納得するしかないです。”こちらがわ”の人間として……。 |