| 猫の地球儀(焔の章)/猫の地球儀その2(幽の章) |
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| 作者:秋山瑞人 出版:電撃文庫 初刊:2000 装丁:イラスト 椎名優 デザイン 鎌部喜彦 定価:焔の章 510円+税 幽の章 530円+税 (※『焔の章』が“その1”に当たります。2冊で完結です。) |
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[あらすじ] “地球儀”に降り立つことを夢見る“スカイウォーカー”であるというだけで“大集会”に抹殺される時代で、36番目のスカイウォーカー、朧の残したロボットと彼の残した研究の成果の全て詰まったビンを拾った37番目のスカイウォーカー、幽(かすか)は一匹の黒猫だった。 最強のスパイラルダイバー“多爾袞”(ドルゴン)として4年間君臨してきた斑は死の代名詞だった。その斑に挑戦して勝利した2533番のスパイラルダイバー、焔(ほむら)は一匹の白猫だった。 焔と幽。二人の孤独な天才が出会ったことから物語は始まる…。 アイヨシが本書『猫の地球儀』を手にとってみたキッカケは、『SFが読みたい!2001年版』(SFマガジン編集部編・早川書房)で本書が紹介されてて、「ハヤカワ文庫や創元SF文庫でない本で、しかも電撃文庫が紹介されるのは珍しいなあ」と思ったからです。 実際、アイヨシがネットで確認した限りですが、本書の人気はかなりのもので、書評&読書感想で取り上げているHPも多数あります。ですから、アイヨシがこうして書評を書く必要があるのか?という気もしないでもないですが、面白いと思った本を紹介するというのがこのコーナーの建前ですから、マイナー・メジャーを問わずに取り上げないと嘘になってしまうので、書くことにします(笑)。 物語の舞台は、宇宙に浮かぶ巨大な円筒の建造物“トルク”。“天使”によって作られたといわれるその建造物の住人は“猫”。ただし、その猫は現実世界で例えれば人間並みの知能を有していて、“電波ヒゲ”を使った電波による会話によって意思の疎通を行うことができますし、“天使”の遺したロボットも電波によるコマンド送信によって自由に動かすことができます。でも、そうした天使の残した遺産を使えるというだけであって、この世界における一般の猫達の知的レベルは大したものではありません。しかし、とにかく知能はあります。 「しかし、なんで猫なんだ?知能があるなら人間だっていいじゃないか?かわいいキャラを出すことでウケを狙ったんじゃないのか?」と最初は思いました。別にそうだとしても構いませんが、アイヨシが読んだ限りではそうでもないと思います。 確かに、椎名優が描いている表紙の猫はかわいいです。しかし、必ずしも内容にマッチしているとは思いません。 アイヨシは田舎に住んでた頃、猫の死体を見たことがあります。比較的綺麗な死体でしたが、頭の半分がパックリと割れてて、脳みそがはみ出てました。小さかったですけど、テレビで見る人の脳にそっくりでした。あまり思い出したくない記憶ですが、読んでて思い出してしまいました。 上記のような思い出もありますが、それでもアイヨシは動物の中では猫が好きです。 どの辺が好きかといえば、好き勝手なところです。人になついても飽きたらどっかに行ってしまって、お腹がすいたらまた帰ってくる。とくに芸を覚えるでも留守番をするでもなく、そのくせネズミを生け捕りにしては家の中に離して人間にネズミの捕り方を教えようという、はた迷惑な家族意識はあるらしく、それでもって死ぬときは一人で死ぬという、そんな気ままなところが好きです。 作中の猫たちは自由(ここでは、“自由”の定義は不問にします・笑)に生きています。市井の猫もそうですが、主役クラスの猫たちも、自由に生き、もしくは生きようとしています。その最たる猫が楽(かぐら)という牝の子猫です。幽と焔、近づき難い雰囲気と実際に危険な二匹の天才猫に無邪気にまとわりついてじゃれつくその姿は、本書のオアシス的なキャラクターです。 スパイラルダイバー(トルクの中心部にある螺旋階段で行われるロボットを使ったルールなしの決闘を生業とする猫)として最高の地位・多爾袞を手に入れた若き天才猫・焔。 トルクの円周軌道の中心にある“地球儀”(トルクの猫達の常識では、“地球儀”は死んだ猫達の魂が行き着く場所だと信じられています。キリスト教における天動説のようなものです、それを疑うことは死を意味します)に生きて到達することを一生の目標とする(もちろん本書の世界ではそんなことを企んでるとばれたら殺されます)猫・スカイウォーカーである最高の頭脳を持つ若い黒猫・幽。 二人の天才猫は天才故の孤独を背負い、難しいことを考えながら生きているので、決して自由には生きていないように思えますが、死に方にはこだわっています。スパイラルダイバーとして、スカイウォーカーとして、死ぬ。そんな自由な死に方を追い求める姿は、結局自由に生きていることと同じだと思います。 自由に生きることと自由に死ぬこと、現実の人間たちにはそんなことはまずできませんし、やってはいけません(特に、自由に死んではいけません)。それに、人間と比べると猫は短命なので刹那的な生き方もシックリきます。そうした生き方を描くためには、猫というキャラクターは最適なのではと思いました。 本書のメイン・テーマは、『焔の章』のあとがきにおいて作者が明示しています。以下のようなものです。 ものすごく余裕のない社会に生まれてしまったものすごい天才が、その社会の価値観と真っ向ぶつかるような夢を追いかけようとすれば、その周囲には迷惑を被ったり不幸になったりする人が必ず出てきます。 それでも、その天才は前に進むのか。 この本は、そういうお話です。(『焔の章』p250より引用) 本書に出てくる二人の天才、焔と幽。上記のメイン・テーマになぞらえれば、焔が従来の価値観における天才で幽が夢を追いかける天才です。 幽は夢を追い続ける天才です。しかし、そうした天才は周囲の無理解によって天災となります。しかし、いや、だからこそ、天才はひたすらに夢に向かうことができるのだと思います。天才にとって孤独はエネルギーです。しかし、人、もとい猫の人格はそんなに割り切れるものではありません。幽の天才でない部分が孤独を拒みます。簡単にいえば、友達が欲しいのです。そこに悲劇が生まれます(何を言っているんだ・苦笑)。でも、その天才には最先端にいるという充実感があると思います。 焔は幽の考えを理解できますし、互いにその秀でた能力故の孤独を背負っているために共感できる部分も多々あります。それでも、いくら天才でも、焔はやはり従来の価値観の中に生きているのです。だから、幽にはかなわない気がして、寂しさだけが残って、闘いの中で死を迎えるようなことを考えてしまうのではないでしょうか。だからといって、楽のように楽しく生きることもできそうにはない焔は、アイヨシとしては一番しんどいキャラだと思います。 作中に出てくる猫として、大集会の僧正である老猫“霞”(かすみ)がいます。トルクの秩序を守り、逆らう猫は容赦なく殺す大集会の僧正です。しかし、霞は“地球儀”が魂の行き着く場所などではないことを知っていて、例えれば地動説が真実であることを知っていながら天動説を唱え、それを周囲の猫にも説きます。ですから霞は“地球儀”の真実について異を唱える猫に会ったとしても理解を示してなるべく穏便にすませようとします。 霞は幽に叫びます。 『では聞くがな!ぬしのロケットは夢やロマンを噴射して飛ぶのか!?』(『幽の章』p214より) 科学技術が急速に進歩している現代社会においては非常に意味深に聞こえる警句です。しかし、それでも天才は進むしかないでしょう。その天才が後悔しないためには結局は進むしかありません。もし、突っ走ることで何か世界に大打撃を与えることになってしまっても、それによって得た利益で基金でも設立すれば、世間はきっと多めに見てくれます(問題発言)。 以上、「未読の人がこの書評を読んで本当に本書の魅力が伝わるのか?」という疑問が湧くことを禁じえませんが、小説の魅力というのは結局は読むことによってしか触れることはできませんし、ましてやSFというのは独自の設定が必ずあって、それはときには最後まで読んでもよく分からないことがある(笑)ので仕方がないでしょう…などと開き直るのもみっともないので、少しフォローをしたいと思います。 天才だの科学技術の進歩だの分かったようなことを書いてきましたが、ずばり言ってしまえば、本書の魅力はそんなところにはありません。焔と幽の、おおざっぱに言えば友情です!これに尽きます。(今までは何だったんだ…。) 本書2部作は、メインタイトルが『猫の地球儀』で、サブタイトルが『焔の章』『幽の章』になっています。しかし、個人的にはサブタイトルがメインタイトルです。 とにかく、二匹の猫の心の交流!互いに泣いて笑うことができて、それゆえに闘い合う二匹の猫。二匹の猫の生き方はハーモニーを生み出すことはあっても、決してユニゾンすることはないのです。天才だろうがそうでなかろうが、結局、猫とは孤独なものなのです。でも、錯覚かもしれないけど、分かり合える瞬間があったりするわけで、二匹が一番分かり合えるのが闘いだったりするので、だから、二匹が闘うのは仕方がないけど…でもやっぱり悲しいです。そんな二匹の猫の物語です。 |