| 幼年期の終わり | |
| 原題:CHILDHOOD'S END 作者:アーサー・C・クラーク(Arthur Charles Clarke) 訳者:福島正実 出版:ハヤカワ文庫 装丁:カバー 上原徹 初刊:1953 定価:720円+税 |
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[あらすじ] 20世紀末のある日、人類が宇宙に進出したその日、巨大宇宙船団が世界の空を、地球を覆った。人類が想像できないほど遥かに進んだ知能と技術を有するエイリアンは、人類に姿を見せることなく、最小限の指令のみを伝える形で平和裡に地球の管理を行っていった。 人類は彼らエイリアンを上帝(オーバーロード)と呼び、最初は彼らに反抗する勢力もあったが、やがては彼らの存在を受け入れるようになる。そうして、彼らの統治が始まってから50年。ついに彼らは人類の前に自らの姿を現した。漆黒の皮膚に強靭な翼、短い角にさかとげのある尻尾というその姿は、まさに古来より伝わる悪魔そのものであった…。 アーサー・C・クラークといえば、何と言っても『2001年宇宙の旅』が有名です。アイヨシもその作品でクラークという作家の存在を知りました。にもかかわらず、アイヨシが最初に手にとったクラークの作品は、本書『幼年期の終わり』でした。思えば当時は若かった…。などという個人的な感慨はともかくとして、まだ中学生だったアイヨシが本書を読んだときの感想は、恐怖と不快さと、それでいて安堵の念の入り混じった複雑なものでしたが、不快の念が一番勝っていたように思います。それは、本書の最後のページ、地球を統べるオーバーロードの総督カレルレンが地球を去るときのシーンによるものです。 当時のアイヨシは、一応人類側に肩入れして本書を読んでいたのですが、カレルレンは地球を去るときに地球で知り合った多くの人間達に別れを告げます。その感慨は"別れ"と表現するにはあまりに乾いています。読者が小説の登場人物に覚える共感の念に極めて近いものなのです。人類という種族の価値がその程度のものとして扱われたこと、そのことが全く正常なことであるという考えに戦慄しました。その戦慄は、HP『三軒茶屋』において書評を書くために再読した今回も変わることはありませんでした。実に恐ろしい感覚です。このあたりの読後感こそがSFの凄みだと思います。 本書は3部構成の作品となっています。(とはいっても、本書は総ページ数にして374ページと読みやすいものです。) 第1部は『地球と上帝たち』。人類と宇宙人であるオーバーロードとのファーストコンタクトと、両者の共存までの過程が描かれています。オーバーロードの正体・目的は人類には全く謎のままで、彼らも人類に対して説明しようとはしません。オーバーロードの統治方法は秘密主義ですが理知的で、それに何といっても圧倒的なまでの科学力に裏打ちされたものです。ある大国が彼らにミサイルを打ち込もうとしますが、宇宙船に命中するはずのミサイルは"どうにかなって"(消えた?)しまい、おまけにオーバーロードはミサイル発射の事実など完全無視で黙殺します。そうした統治の結果、地球上からは国家的・人種的・宗教的な対立はなくなります。ただ、"人はパンにみに生きるにあらず"といった人たちがわずかな抵抗を試みますが、そうした抵抗もオーバーロードの、「自分達が損をするだけだという事実に気づくまで放っておく」という政策の前に力を失っていきます。何といってもオーバーロードの知力・科学力は人類の到底及ばないものなのですから…。 ただ、オーバーロードの秘密主義に対する反感は、オーバーロードによって地球の代表として認められた国連事務総長も否定することはできず、オーバーロードの地球総督カレルレンに事務総長がそのことを話した結果、50年後には人類の前に自らの姿を見せることを約束します。 第2部は『黄金時代』です。約束のときから50年。約束とおりカレルレンは人類の前にその姿を現します。その姿は上述したように"悪魔"の姿そのものでした。しかし、オーバーロードによって圧倒的な科学力を見せられ、その統治下で50年も過ごしてきた人類にとって、オーバーロードが悪魔の姿をしていたからといっても、瞬間に反射的な嫌悪感を覚えたとしても、決定的な反感を覚えるまでには至らず、人類とオーバーロードの交流はそれからわずかずつにではありますが、深まっていきます。そうした中、オーバーロードが人類を統治する真の目的が少しずつ明らかになっていきます。 そして第3部『最後の世代』。ここにおいて、ついに地球を統治してきたオーバーロードの真の目的が明かされます。それが何なのかはここではあえて明言しません(笑)。 ただ、そこで語られるのは進化の本質ともいうべきもので、進化とは"進化する"というような能動的なものではなく、その先にあるのは種の断絶・孤独であるということです。 そうして考えると、物語の冒頭において人類の一人がオーバーロードの大船団を見上げて抱いた思い―人類はもう孤独ではないのだ―は、何とも悲しい響きを持ってアイヨシの頭の中でこだまします。(このあたりにクラークの"うまさ"を感じます。) オーバーロードが悪魔の姿をしているのは何故か?本書においてはそれにも理由があります。すなわち、まず先にオーバーロードの存在があり、その存在が人類という"種"に破滅的ともいうべきインパクトをもたらすことからこそ、種族的な記憶としてのオーバーロードの記憶が未来からの予兆として人類の記憶に刻まれたというのです。(ここまでくると屁理屈のような気もしますが…。ただ、SFがサイエンス・フィクションであるということは、科学的に物語を進めながらもどこかで空想に飛躍しなければならないわけで、本書における飛躍のポイントはおそらく"ここ"なのでしょう。) そうした視点の逆転・因果の逆流の果てに見えてくるのは、人類を統治というより管理してきたオーバーロード自身の皮肉な運命です。彼らは人類に対して小説の登場人物に抱くような感想を持ちますが、しかし、彼らは真に人類の心を知ることは決してできないのです。そうした意味で、彼らもやはり物語の登場人物の一員に過ぎないのです。 人類の悲劇とオーバーロードの悲劇の生み出すコントラストとハーモニーが怜悧なビートで奏でる読後感は感動ものです。久方ぶりに読み返した今でも、最上級と断言できるSF作品です。 |