火刑法廷
原題:THE BURNING COURT
著者:ジョン・ディクスン・カー(John Dickson Carr)
訳者:小倉多加志
出版:ハヤカワ文庫
装丁:カバー 山田維史
初刊:1937
定価:640円+税

[あらすじ]
 編集者のエドワードは、担当している犯罪研究家の原稿を見て驚愕する。その原稿に添付されていた17世紀の毒殺犯の写真は、妻のマリーそのものだった。その日の夜、先頃亡くなった隣人の甥から、その死が毒殺であるという疑いを聞かされ真偽を確かめるためにコンクリートで封じられた墓を暴くと、そこにあるはずの死体は無かった…。



(※この書評は、消極的にですが『火刑法廷』のメイントリックをばらしています。未読の方はご注意下さい!本格ミステリの誇る大傑作です。)

 ジョン・ディクスン・カー(あるいはカーター・ディクスン)は、クリスティ、クイーンと並ぶミステリ三巨頭にして、ミステリ界におけるその名声・功績は余人の及ぶものではないと、まことに個人的ながら、勝手に、しかし、強固に思い込んでいます。まさに、「通といえば"カー"」(by田中啓文)です。
 怪奇趣味に彩られた不可能犯罪、密室の帝王、軽妙なストーリーテリングの妙、その他ドタバタでラブコメでバカミスなどなど、とにかくいろいろ言われる作家です。(『バカミス』の側面については『バカミスの世界』(小山正とバカミステリーズ編、ビー・エス・ピーより)参照)。もう、問題作から冒険作、傑作まで客観的にみれば玉石混交なのかも知れませんが、ファンにとってはアバタもエクボ、何を読んでも素晴らしいということになります。この辺のファン心理を知りたい方には『夜明けの睡魔』(瀬戸川猛資著・創元ライブラリ)がオススメです。ちなみにアイヨシは、お馬鹿なところも含めてカーが大好きです(笑)。
 カーの作品にはミステリファンなら読まなきゃ損、知ってたら百倍お得といった作品が多数あります。そうした作品は、本来ならばアイヨシがとっても感動した本だけを紹介するのが趣旨である本コーナーにおいてとりあげることはルール違反なのですが、他ならぬカーの作品なので特別に紹介します(笑)。

⇒アイヨシオススメ、読んでお得なカー作品!(注:全てネタばれ!ってオイオイ)

『三つの棺』『緑のカプセルの謎』『連続殺人事件』『ユダの窓』『魔女が笑う夜』

 そして、本書『火刑法廷』は、読んだ方が良いとかいうレベルの作品ではなく、未読の方は必ず読むべし!というレベルの一冊です。とにかく傑作なのです。カーは、好き嫌いのハッキリ分かれる作家ではありますが、本書は全くもって名作中の名作なのです。

 まずは、普通のミステリとしての楽しみ方です。死体消失というのは何となく手品めいてますが、あるはずのないことが実際に起きているという不可能現象はまさにカーの十八番であり、本書でもその技量はいかんなく発揮されています。巧緻にして鮮やかな手法は、それだけをとってみてもカーの作品の中でも1、2を争う出来栄えでしょう。

 しかし、それでは本書の魅力を半分も説明したことにはなりません。死体消失というトリックの鮮やかさもさることながら、この作品の見事さは何と言ってもオカルトとミステリの見事なまでの融合という点にあります。
 そもそもカーという作家はロジカルになりがちなミステリという小説形式にオカルトという味付けをすることによって物語を軽妙に展開していく手腕にたけた作家です。そうした手法を典型化して抽出しますと、まず不可解な現象=謎が提示され、物語の登場人物はその現象を怪奇現象として説明します。そこに名探偵が登場して、それまでに明らかになっている事実から論理的に真相を明確にして解決するというのがパターンです。つまり、こうしたストーリー展開においてはオカルトチックな要素は最後には否定されるべき役割であることが約束されていることになります。すなわち、ミステリがカタルシス=浄化作用の物語であるとときにいわれるように、怪奇現象という不合理なものに論理の光をあてることによって通常の物理現象として説明されることになります。これは、科学万能主義の世の中を生きる人間にとっては何とも頼もしい文学であるといえるでしょう。
 しかし、本書はミステリであるにもかかわらず、そうした"浄化作用"の働かない物語なのです。
 そもそも、本書のタイトル『火刑法廷』ですが、その意味は本書『解説』の孫引きになりますが、『火刑法廷というのは、十七世紀ルイ王朝のあいだ、とくに妖術や毒殺などといった異例に属する裁判を審理し、火刑を宣言した法廷のことで、部屋中に黒い布が張り巡らされ、昼間でも松明の光に照らされた、陰惨きわまる場所だった。そこの拷問の怖ろしさときたら格別で、(略)さては、水槽いっぱいの水を漏斗で口に注ぎ込んだりするといったような、狡智をきわめた、じつにむごたらしい方法もしばしば用いられた』(澁澤龍彦著『毒殺の手帳』〈桃源社〉所収、「ブランヴィリエ侯爵夫人」より)という、何とも恐ろしいものです。
 また、死体の消失が発覚したときにも、登場人物の一人が幽霊の仕業だと言いだせば、次には〈不死の人間〉にまつわる話がでてくるなど、オカルトチックにストーリーが展開していくのですが…何とも説明の仕様がないのですが、とにかく、ミステリとオカルトが融合するのです!すみません、未熟な書評で(笑)。
 本書の解説で松田道弘は、本書の構造をリドル・ストーリー、あるいは『ルービンの壺』(白黒の絵で、人が向かい合ってるようにも、真ん中に壺があるようにも見える絵)に例えています。(リドル・ストーリーとは、複数の結論を導き出すことの出来る物語のことで、『女か虎か』が英語の教科書にも載っていたりして有名です。そうした物語を集めた本として、紀田順一郎編・筑摩書房『謎の物語』があります。)何とも不思議な物語で、まさに"ミステリ"なのです。まさしく、"謎"のあとにさらなる"謎"が。しかし、その謎は作者も、ましてや作中の登場人物も解決してはくれません。読者自身の心の中で解決させなければなりません。そして、そこでは"答え"は大切ではないのだと思います。

 ミステリのくせにそんなあいまいな終わり方は許せん!という方もいらっしゃるかも知れませんが、本書の完成度の高さを考えれば全然問題ないと思います。そもそも、ミステリとは論理の遊戯という側面を多分に有していると思います。つまり、事実と事実の間をつなぐ論理は論理学のような確固たるものではなく、可能性や蓋然性の問題、果ては屁理屈やこじつけだったりするわけですから、謎→伏線→解決といった流れがいくら見事なミステリがあったとしても、その論理は他の異なる全ての可能性を排斥し得るとは限らず、その作中において他の興ざめな真相の存在を否定することのできない場合も十分あり得るわけです。
 以上、とりとめのないことを書いてきましたが、要するに本書は素晴らしい!ということをアイヨシは言いたかったわけです。本書は、ミステリという言葉・ジャンルとともに永遠に語り継がれるべき一品です。


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