第八の日
原題:AND ON THE EIGHTH DAY
作者:エラリイ・クイーン(Ellery Queen)
訳者:青田勝(あおた・かつ)
初刊:1964
出版:ハヤカワ文庫
装丁:カバー 北園克衛
定価:560円+税
ISBN4−15−070106−7
絶版本を投票で復刊!
絶版になっちゃいました。復刊へのご協力をお願いします。

[あらすじ]
 ふとしたきっかけで、エラリイはネバダ砂漠のまん中の、文明社会から隔絶した、とある村落に迷いこんでしまった。そこに住んでいるのは、教師と呼ばれる老指導者の下で、聖書さながらの共同生活を営む一団の人々であった。犯罪という概念すらも持ち合わせないこの小世界で、恐るべき殺人事件が起こった! 自分の生活圏とはまったく異なる社会で起きた数奇な犯罪に、エラリイ・クイーンは単身挑んでいく。


〔Caution!! ネタばれ注意〕

「犯罪だって?」と彼は叫んだ。「クイーナンに犯罪ですって? エルロイさん、この半世紀の間、われわれの仲間には犯罪はありませんでしたよ!」
(p80より)


※本書の合作問題についてはこちらに簡単にまとめてあります。

 上記の「あらすじ」は本書の裏に書かれていたものをそのまま引用しました。
 これだけ読むと、森博嗣の『女王の百年密室』を想起される方もいるかもしれませんが、内容はかなり異なります。
 確かに、閉鎖的な小世界での殺人事件という点は同じです。そこにたどり着くまでの過程もよく似ています。ですから、森博嗣が本書から何らかの影響を受けた可能性は考えられます。
 しかし、『女王の百年密室』の場合には、『死』という概念が『永い眠り』という概念に置き換えられています(このあたりがSF)。そのため、人は死ぬことはなく、したがって「殺人」という概念が存在せず、殺人行為が犯罪であるという考え方も存在しないことになります。
 対して、本書の場合には、長い間犯罪が発生しなかったために、誰もがその存在を忘れ、それが発生した場合における解決方法を誰も持たないような状態になってしまいましたが、しかし、「殺人」という行為が犯罪で、それを行なったものは裁かれなければならない、という理念自体は残っています。殺人行為後、すぐに評議会が召集され、その席で管理人が「裁判」という言葉を発していることからも、これは明らかです。
 したがって、本書の小世界内での犯罪という概念の存在を否定してしまっている上記の「あらすじ」は少々疑問です。

 とはいえ、本書の小世界が一般の常識と微妙にずれた世界であることは間違いありません。ですから、何が犯罪で誰が裁かれるべきなのか? ということが、実は大きく異なっています。
 普通のミステリとは視点が大きく異なります。
 ていうか、クイーンは何が言いたいのでしょう?
 クイーナンでは犯罪が全く発生していなかったので、それを解決するノウハウを一番持っているのはエラリイです。
 ですから、エラリイはここぞとばかりに指紋をとって、アリバイを聞き出して、犯人を明らかにします。前作『盤面の敵』では、科学技術の発達によって自らの知性が役立つことがなくなってしまったことを愚痴っていたエラリイですが、ここでは気持ちよく(?)その手腕を発揮しています。
 にもかかわらず、それが仇となって、彼は苦境に立たされてしまいます。彼自身も悔いているとおり、そんなことする前に容疑者の供述をとっておけばよかったのですが……。
 そもそも、一般的な意味からすれば、殺人事件の犯人は跡継ぎでしょう。しかし、登場人物一覧表を見ると、そこには4人の名前しかありませんし、そこに跡継ぎの名前はありません。
 (原書だとどうなっているのかは分かりませんが)ミステリにおけるフェアプレイを標榜しているクイーンにしては、これは異例のことです。
 これを正当化する読み方を試みますと、本書でクイーンが問題としている「犯罪」とは、クイーナンという小世界を破壊する罪である、ということなのでしょう。しかし、それにしても複雑です。

 クイーナンという小世界の社会規範のイメージがつかめません。亜流のキリスト教みたいですが、何だかよく分からずに、エラリイも困惑しっぱなしです。
 すべての物は村の所有物――初期のキリスト教徒のように自由に自発的なもの……『所有せざる人々[→fukkan.com]』(ル・グイン著 ハヤカワ文庫)の世界みたいなものでしょうか?(こっちの例えの方が分からん人の方が多いだろうに……。)
 やっぱりよく分かりません(笑)。
 理想に殉じて死を選ぶ教師はキリストに、跡継ぎはユダに(いや、ユダはストリカイか)、それぞれ例えることもできそうですが、それにしては、その根本にある「ムクーの書」の正体が禍々し過ぎます。
 そもそもの物語の始まり、時代設定が突然第二次世界大戦中になっていて、戦意高揚のため映画の脚本をハリウッドで書かされまくって、疲労困ぱいでクイーナンにくるというのも、何らかの作者の意図を感じますが……。
 タイトルの『第八の日』というのも、神が天地創造の六日目に人間を造り、七日目を安息日とした次の日を意味している(本書の「訳者あとがき」p254)らしいですが、だから何だというのですか?
 それと、クイーナンという地名ですが、ひょっとしたら『Queen non』という意味でしょうか? いや、よく分かりませんが……。

 こんな感じで、よく分からないことばかりですが、宗教だか理想だか思想だか、あるいは本に書かれていただか知りませんが、そんなことのために一人の人間が死ななければならないというのは、やはり歪んでいる気がしますね。では、「真実」とはいったい何なのでしょうか?
 とまあ、よく分からないのでここらで無理やりお開きにします(トホホ)。


『国名シリーズその他』TOPへ