| 靴に棲む老婆 | |
| 原題:There Was an Old Woman(THE QUICK AND THE DEAD) 作者:エラリー・クイーン(Ellery Queen) 訳者:井上勇(いのうえ・いさむ) 初刊:1943 出版:創元推理文庫 装丁:カバーイラスト ひらいたかこ カバーデザイン 磯田和一 定価:680円+税 ISBN4−488−10431−2 |
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[あらすじ] 靴作り巨万の富を築き上げ、「靴」の宮殿に住む老婆と六人の子供たち。その一家の顧問弁護士であるチャーリーに相談を持ちかけられたエラリーは宮殿に招かれるが、そこで時代錯誤な決闘騒ぎに巻き込まれることになる。 悲劇を避けるためにエラリーは対策を講じるが、しかし、そこで予想もつかない事態が勃発する。マザー・グースの童謡に見立てられた殺人――狂気と正常の狭間で揺れる事件を前に、エラリーの論理はいかなる解答を導き出すのか? 〔Caution!! ネタばれ注意〕 「しかし、このポッツ家の気まぐれ連中ときては――なにもしゃべらない。なにをしゃべっているのか、自分でも知らないでしゃべっている。その返事は、まるでエスペラントだ。僕はこんなに捜査の初期段階で、完全に、参ってしまったのは、これが生まれてはじめてだよ」(p171より) 本書についてはいろいろ言いたいことがありますが、読んでて一番気になったのが、「なぜ、とっととサーロウを逮捕しない?」ということです。 サーロウの視点で考えてみますと、決闘という形でバブ(ロバート・ポッツ)を殺そうとして、それで拳銃の引き金を引いたら弾が出て、それでバブが死んだわけです。決闘だから無罪だなんて法理がナンセンスなのは作中でも明らかですし、共犯者とか黒幕とかの存在があり得ることは否定できませんが、しかし、事件が起きた段階でサーロウを即座に逮捕することをなぜ躊躇う必要があるのでしょうか? 全く理解できません。 サーロウが狂人だからでしょうか? しかし、確かに付き合いきれない程の変人ではありますが、(ギリギリ)そうでないことは作中で何度も触れられています。 拳銃を空砲にしていたはずだからでしょうか? そんなの知ったことじゃないでしょう。いや、サーロウが空砲のはずだと認識していたら殺人の故意がなかったことになりますが、サーロウ自身が「決闘だ」と言い張っているわけで、つまり殺す気満々だったことを自白しています。これ以上理想的な犯人がいるでしょうか? とりあえず逮捕して、その後じっくり尋問すれば事件のカラクリは早い段階で明らかになったはずです。これは、エラリイというよりは父親のクイーン警視のミスだと思います。まあ、警視もポッツ家の狂気にあてられてしまい、正常な思考ができなくなってしまったのでしょう。 逮捕しなかった理由としてひとつ考えられるのが、個人の行動について警察という公権力が介入している点です。 リチャード警視はエラリーを通じて、サーロウが決闘騒ぎを起こしたことを知りました。そのときエラリーが警視にした説明は合理的なものですが、しかし、警視の立場としては、それでもやはり決闘はとめるべきだったでしょう。結局はエラリーの説得に納得した警視は、空砲を用意することによって惨劇の回避を目論みはしましたが、決闘行為そのものは容認してしまいました。 公権力の介入によって個人の人格的自律権が侵害された上での個人の行為について、それを罰することは許されません。では、本書の場合はどうでしょう。本書では、決闘という違法な行為が行なわれることを知りながら、警察はそれを止めることをせず(空砲に取り替えはしましたが)監視するという選択をしました。これは講学的にはコントロールド・デリバリーに該当すると思われます。コントロールド・デリバリーとは、主に薬物などの禁制品について、その流通を知りながらすぐには押収せずに追跡して、その不正取引に関与する人物を特定するための捜査手法のことをいいます。 この捜査手法について、法律上(麻薬特例法11条)認められているものもありますし、学説上も、捜査官の行為により犯人に犯意を誘発するものではないので違法ではないという理解が通説的なものとなっています。 ……とまあ、何だか難しいことを書いてしまいましたが、とにかく、サーロウを逮捕・起訴しない理由はないと思います。この点は気になって気になって仕方がありませんでした。 で、そろそろ本書の一番の特徴である「見立て殺人」の観点から少し見ておきたいと思います。 くつのおうちの おばあさん てんやわんやの こだくさん スープいっぱい あげたきり みんなベッドへ おいやった むちでたたいて おいやった (谷川俊太郎・訳 和田誠・絵 「マザー・グース 1」(講談社)p112より) この他にもたくさんの童謡(マザー・グース)が引用されていまして、把握しきれていないのですが、メインの童謡はこれでしょう。 「マザー・グース 1」に収められている平野敬一の解説(「原詩と解説」p47)によりますと、靴は昔から結婚と結びついているのだそうです。本書のラストでエラリイは、結婚式場で真相を明らかにしていますが、もしかしたら作者はそれを意識して舞台を設定したのかも知れません。考え過ぎかも知れませんが(笑)。 本書の他に童謡見立て殺人を扱った作品として『ダブル・ダブル』がありますが、こちらの方は本書以上に特異な雰囲気が漂ってますので、比較して楽しむのも一興でしょう。 ※註 本書は、旧題「生者と死者と」が、新装版の刊行を機に「靴に棲む老婆」に改題されました。 |