| 災厄の町 | |
| 原題:CALAMITY TOWN 作者:エラリイ・クイーン(Ellery Queen) 訳者:青田勝(あおた・かつ) 初刊:1942 出版:ハヤカワ文庫 装丁:カバー 北園克衛 定価:720円+税 ISBN4−15−070112−1 |
|
[あらすじ] 事件はエラリイの目の前で起こった。彼はジムの一挙手一頭足を見ていたが、彼にはカクテルに毒を入れるようなそぶりはなかった。しかし、そのカクテルによって一人の女性が死に、ジムは殺人の容疑で裁判にかけられることになった。 状況証拠は全てジムを犯人と指名している中で、エラリイは驚愕の真実に到達する。 架空の町ライツヴィルを舞台にした、いわゆる「ライツヴィルもの」の記念すべき第一弾!! 〔Caution!! ネタばれ注意〕 「ぼくが前から気づいていたら。だがわかったはずがない……運命だ――ぼくがあの部屋に五分遅れてはいったのが運命のしわざだ。この何ヶ月も、きみがそのことをぼくに話さなかったのも運命だ。なにより大事なことを隠していたのも運命だ」(p336より) ……何だ。すっごい面白いじゃん。というのが、本書を読み終わった後の率直な感想です。 なにしろ、クイーンはライツヴィルを舞台にした作品を契機に、それまでの論理にこだわった作風から人間性を書くことに重点を移した、というような予備知識だけは持っちゃっていました。 で、この予備知識に付随してくるのは、国名シリーズを偲ぶような声ばかりだったもので、私自身も国名シリーズは概して傑作ぞろいだと思ってるものですから、「これは期待しちゃダメだな……」と覚悟してました。 ところが、意外や意外、とても面白かったので大満足です。 確かに芸風の変化は感じられます。ライツヴィルという架空の町の雰囲気を読者にイメージさせるための描写はそれまでと比べると確かに新鮮です。また、犯罪研究家としてではなく無名の作家、エラリイ・スミスとしてライツヴィルに少しでも溶け込もうとするエラリイもそうですし、他の登場人物についても、その人間性が豊かに語られています。 ただ、そうした芸風の変化も、この作品に限っては、実は最後に明らかになる真相の衝撃度を演出するための一方法だったのではないか、と思えてきます。つまり、私自身の感覚では、この作品は、「やっぱりいつものクイーンだったな」というものでした。 極論してしまえば、ひとつ目の殺人トリック自体は、そりゃもう陳腐なものです。トリックといえるレベルのものではないでしょう。正直なところ、ここまでは早い段階で予測できました。 しかし、もうひとつの殺人トリック(※註)の込み入ってることといったらありません。こうした屈折した犯行に理屈を付けるためにも、本書の場合には人間性についてのある程度の描写が必要不可欠なものだといえるでしょう。 それは綱渡りともいうべき微妙なバランスの上に成り立つものですが、本書の場合は文句のつけようが内容に思います。 本書の魅力を語る上でもうひとつ外せないのが法廷ミステリとしての面白さです。 検事対弁護士という基本的構図もさることながら、ライツヴィルという小さな町に漂うジムを犯人と決め付ける雰囲気と、そうではなく公正に裁判を進めようという司法関係者との緊張関係も、古典的ながらも良く書かれていて(ここでも、ライツヴィルという舞台を創作した意味があると思います)、気が付いたらエラリイの影がありません(笑)。で、やっとでてきたと思ったらチョイ役の証人としてで、ちょっと法廷を混乱させただけでまた消えてしまいます。このままエラリイ抜きで判決までいっても良かったのでは? と思うくらいです(笑)。 これ以前にも『中途の家』でも法廷の場面がありましたが、それとは異なり、本書の場合には特に粗も見当たりませんでしたし、テンポといい、最高だと思います。 (※註) 既読の方でも、もしかしたら何のことを言ってるか分からない方がおられるかも知れませんので少し補足しておきます。 もうひとつの殺人トリックとは、ジムを冤罪で殺そうとしたこと、です。 司法を手段とした殺人を「殺人罪」として挙げている文献を見たことがないので、これはアイヨシの独自説になってしまうかも知れませんが、専門的な言葉を使えば、警察・検察・裁判所を道具として利用した間接正犯と捉えて処罰可能だと思います。 もっとも、この方法には、必ず殺されるとは限らないので計画通りいかないことがある、という難点があります。 ただ、殺意がなかった場合、あるいはそれが立証できなかった場合には、おそらく無罪になるっぽいという、かなり完全犯罪にちかい悪質な行為です。 なぜなら、本書の場合、ノーラは証拠の捏造もしていなければ(もとからあった手紙を利用しただけ)、偽証もしていない(病気でほとんど警察関係者と言葉を交わしていない)のです。さらに、警察に虚偽の告発もしていません(警察が勝手にやってくれた)。考えようによっては見事な行為といえます。 |