魔術はささやく
作者:宮部みゆき
出版:新潮文庫
初刊:1989
装丁:デザイン 新潮社装幀室
定価:590円+税

[あらすじ]

 4人の女性がいた。一人目はマンションの屋上から飛び降り、二人目は地下鉄に飛び込み、3人目はタクシーの前に飛び込んだ。一見すると何の関わりもない事件であったが、逮捕されたタクシー運転手の甥である日下守が被害者の身元を調べていくうちに、それらの事件がつながりだす。そして、残された4人目にも死の影が迫る…。



 うーん、『あらすじ』がいまいちですね。というのも、誤解を恐れずに言えば本書の面白さはストーリーにはないのです(オイオイ)。これは一人の少年、日下守が短い期間に起きる試練の数々を乗り越えることによる心の成長を描いた物語であり、その少年の悩み・葛藤・悲しみ・決断といった心理描写が卓越している作品なのです。そして、矛盾してますが、宮部みゆきのストーリーテラーとしての才能、力量が如何なく発揮された作品だと思います。
 『まだ宮部みゆきの作品を一冊も読んだことがないのですが、どれから読み始めればよいでしょうか?』と聞かれたら、迷うことなく本書をオススメします。とにかく、理屈抜きの面白さがあります。しかし、以下の文章では本書の面白さを理屈で説明しようとしています(笑)。あしからず。

 さて、そろそろ本書の解説(『書評』じゃないのか)にいきましょう。
 『あらすじ』では、日下守が伯父の無実を晴らすために被害者がなぜタクシーに飛び込むようなことをしたのかを調べていくうちに他に2人の女性が不審な自殺を遂げていて、守の伯父もその一連の事件に巻き込まれたことに気付き、それらの事件の犯人である歪んだ殺意の持ち主と対決するという、メインのストーリーを簡潔に説明しましたが、守の周囲には他にもたくさんの事件が起こります。つまり、複合的なストーリー展開であるために、『あらすじ』を書くのが難しいのです(と、自分の文章力のなさを棚に上げて置きましょう)。
 そもそも、守の生立ちからして普通ではありません。守の父は公務員でしたが、守がまだ幼いときに公金横領の事件を起こして失踪し、母も脳血栓で急死したために、伯母の家に引き取られています。学校ではそうした家庭環境に付けこんだ嫌がらせが行われていますが、守は一部の理解者の助けを得ながら乗り越えていきます。
 また、アルバイト先の書店では原因不明の暴力事件が続発します。守がバイト先の上司と協力して突き止めた原因はサブリミナル―人間に認知不可能な音、映像によって人間の潜在意識下に訴える方法―によって潜在意識を刺激された人間が錯乱することによって生じたものだということが分かります。
 他にも、刑事事件の容疑者の家族としての責任・世間の悪意に満ちた仕打ちや失踪した実の父親の行方など、メインストーリー以外にもこの物語ではたくさんの問題が守に降りかかります。
 これだけたくさんの問題があるにもかかわらず、本書はそんなに分厚くもなく『読ませる』本として仕上がっています。なぜでしょう?

 確かに様々な問題が起きるのですが、アイヨシが思うに、それらには共通する部分があって、大きく見ると本書はその共通部分と守との戦いだと考えられるからです。
 守の生立ちに関する嫌がらせ、犯罪者の子は犯罪者という偏見、サブリミナル、刑事事件の容疑者の家族に対する悪意などなど、本書で守が直面する障害は決して守の正面には立ちません。幼稚な自我ゆえの嫌がらせであったり、無意識の行動であったり、個人レベルでは何ということのない一挙手一投足だったりと、守がそれに立ち向かおうとしても、それはどのように立ち向かってよいのか分からないようなものなのです。抽象的には、"無意識対意識"の構図として捉えることが可能だと思います(なんとも無粋な分析…)。
 そうした何とも言いようがない幾多の困難の中で、守は悩みながらも意志の強さを持って立ち向かっていきます。というより、悩むことそのものが強さなのかもしれません。悩むということは、それが問題であるということを理解しているからこそであり、その点で、守は自覚もなく問題を起こしている人間よりも一段上の立場にいるのです。そうした、少年の孤高な生き方を描いた物語なのですが、そんなに悲壮感が漂っていないのは、守の周囲にいる理解者たちの暖かい助力があってこそでしょう。つまり、本書は一人の少年の心の成長を描いた青春ドラマなのです。(笑)
 作中の登場人物の老人の『じいちゃんが思うに、人間ってやつには二種類あってな。一つは、できることでも、そうしたくないと思ったらしない人間。もう一つは、できないことでも、したいと思ったらなんとしてもやり遂げてしまう人間。どっちがよくて、どっちが悪いとは決められない。悪いのは、自分の意思でやったりやらなかったりしたことに言い訳をみつけることだ』というセリフが印象的です。
 様々な問題も、一応それぞれに落着を見ますし、そうした予定調和的なラストも、読後感の良い原因であることは間違いありません。その展開の『流れ』の良さはさすがです。
 
 で、本書のメインストーリーについては今まであえて触れてきませんでしたが、それは真相の意外さというか、ちょっと興ざめな点があるからです。もともと本書は第2回日本推理サスペンス大賞選考作品であり、『リヴィエラを撃て』(応募当時は幸田精、今は高村薫の名で世に広く知られています(笑))などの強敵を押しのけて大賞を受賞したというだけでも本書の素晴らしさが推測できますが、メイントリックについての疑問・問題点は選考委員から指摘されていました。ネタをばらしてしまいますと、メイントリックというのは催眠術なんです。これも上述の無意識対意識という構図で理解することが可能だと思いますが、とにかくこのメイントリックはそんなに重要なものではありません。少年の心の動きを楽しむ物語ですし『サスペンス』作品ですから、寛大に読みましょう(と、過去の自分に呼びかけています)。とにかく、少年を書かせたら宮部みゆきでしょう(ちなみに、少女を書かせたら北村薫(笑))。上質のエンターテイメント作品です。


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