天使の傷痕
作者:西村京太郎
出版:講談社文庫
初刊:1976
装丁:カバー 伊牟田経正
定価:466円+税

[あらすじ]
 新聞記者の田島は彼女と武蔵野の雑木林をデート中に殺人事件に遭遇した。瀕死の被害者は「テン―」とつぶやいて息をひきとった。直接事件を目撃した田島は、警察を出し抜いて特ダネにしようと調査を開始するが…。



 日本のミステリの歴史を要約しますと、江戸川乱歩から始まりそれが松本清張の手によって社会派色を与えられることによって広く一般に浸透していき、その後綾辻行人に代表されるいわゆる新本格を代表する作家達によって社会性よりゲーム性を重視する作風が復権したというのは、今や常識的な見解でしょう(異論の余地はありますし、また、"本格"とは何かという問題はさておき…)。
 そして、ここでは便宜上(アイヨシのミステリ歴史認識ですが)江戸川乱歩〜松本清張を第1期、松本清張〜綾辻行人を第2期、綾辻行人〜を第3期としますと、西村京太郎は時間的には第2期に位置付けられる作家です。
 第2期の作品とは、一般に社会派推理小説などというように、"社会派"という点に特徴があります。つまり、殺人事件は発生し、それがどのように行われたのかを推理するパズル的作業も行われますが、その背景として社会問題を投影するのです。このバランスがパズルの方に偏っている場合には、社会性はペダントリーとしてミステリ作品に色を添えるものになりますが、社会問題の方に比重が傾きますと、それはまさに社会派推理小説となり、いわゆる第3期の作家や現代のミステリ読者からすれば、"ちょっと違う"ということになるわけです。そんなに社会問題に感心があるのならニュースをみればいいだろう、本を読んでいるときくらいゲーム性を大事にしたいんだ!というのはごもっとも、というよりアイヨシ個人の感想であります。それで、本書はアイヨシの評価としては"ミステリ"ではないから"サスペンス"に分類されています(しかし、ここでのサスペンスって意味が広すぎ…)。
 ただ、アイヨシは確かにミステリ、しかもこれは本格だ!と片意地張ってる第3期のミステリが大好きですが、第2期の社会派ミステリーも好きです。そして、本書はアイヨシが社会派推理小説に持つ典型例といいますか、完成作品(相対的評価ですが)だと思うのです。
 そもそも、アイヨシは西村京太郎が結構好きです。十津川シリーズ及び時刻表の出てくるもの以外は、面白いと思います。こう書くと皮肉のように思う人もいるかも知れませんが、そんなことはありません。西村京太郎という作家は一般に思われている以上に懐の深い作家なのです。アイヨシは西村京太郎を、"時間的には第2期の作家に位置付けられる"と前述しましたが、作風的には第3期的なものもあります。『殺しの双曲線』や『名探偵なんか怖くない』などは本格ミステリと呼ぶに相応しいパズル性(社会派から皮肉れば屁理屈性)を持っています(ただし、本書は本格ではありません)。ですから、今一度再評価されてもよい気もしますが、次々と良質なミステリが出版される昨今では難しいでしょうね。というわけで、ここでアイヨシが、一つ社会派推理小説と併せて西村京太郎を再評価してみようと思ったわけです。

 さて、そろそろ本書の内容に具体的に触れることにしましょう。本書は社会派推理小説です。そして、"推理小説"としての面を考察してみますと、正直いまどきの目の肥えた読者にとっては赤子の手をひねるようなものだと思います。だいたい、"あらすじ"を書くのも迷ったんですよー。"あらすじ"だけでネタバレになってしまっている気がしてなりません。まあ、作中に"ABC"などという言葉がでてきたり、ダイイングメッセージがでてきたり(しかし、被害者の性格を考えるとそんな殊勝なダイイングメッセージを残すとは思えませんが…)と、本格風味の味付けはなされていますが、本格ではありません。
 では、"社会性"はどうかと言いますと、当時(昭和40年代)にしては斬新なテーマだったのかも知れませんが、今となってはものすごい薬害問題もありましたし、さほどのインパクトはありません(付言しておきますと、問題を軽視しているわけではありません。現代社会はその問題に対処し得るだけの教訓をすでに得ているはずだ、という意味です。ただ、"歴史は繰り返す"ものですから…)。
 では、この作品の何処にアイヨシは魅力を覚えたのでしょう?アイヨシが本書を読んだのは中学校2年生の時です。で、当時のアイヨシにとっては主人公のみが事件の真相に気付くキッカケとなった事実は衝撃的なものだったということは、10年以上経った今思い起こしてみますと多分あるんだと思います。しかし、それでは個人的過ぎます。
 社会派小説が推理小説と結びついたのは何故でしょう?思うに、それは"思考に酔うこと"にあると思います。殺人事件が発生する。そのとき読者に与えられる"謎"について、いつ?誰が?何処で?どうやって?どうして?と具体的に、緻密に論理を構成していくのが推理小説だとすれば、社会派小説は一つの殺人事件からより広い視野に立たされるのです。つまり、当事者間の事件から社会全体の問題へと問題の抽象化がなされるのです。一つの事件の発生を境にして、思考の具体化が求められるもう一方で思考の抽象化が求められるそのとき、アイヨシは"思考に酔ってる"のだと思います。思考のジェットコースターと言ってしまうと大げさでしょうか?この思考の具体化・抽象化を読者にスムーズに行わせてしまう作品が、優れた社会派推理小説なのだと思います。このように考えると、社会派推理小説とは社会派小説、あるいは推理小説という一側面から見たときに一流の作品であることは必ずしも必要ではないことになります。
 そうした視点でもう一度本書を読み直して見ますと、実にバランスの良い、むしろ良すぎるといっても良いくらいの作品であることに気付きます。
 最初は不可思議な事件の発生。その事件の手段・動機といった5W1Hの解明。そして、事件の解明は一応なされるが、主人公しか知らない事柄によってその解明が不十分であることが分かる。そして、主人公は犯人の生まれ故郷に行く。そこで主人公が知ることになる犯人とその一族の背負う悲しい宿命…。
 きれいですね。完成度は極めて高いと思います。本当に、無理がありません。多分、そうした美しさに惹かれたんだと思います。

 以上、社会派推理小説の価値を"思考の具体化・抽象化"ということに求めてみましたが、そうしたことを学問として日常的に行っているのが法律学なのです(あえて断言)。
 つまり、具体的事例について詳細に検討を加えた上で、抽象的な法律の条文を当てはめるのです。楽しいですよー。つまり、本書はアイヨシが大学で法律学を勉強するキッカケになった本だと言っても過言ではないのです!
 ハハハ。いや、客観的にも面白いと思います、面白いです、面白いからオススメですが…こんなオチで申し訳ありません。(幕)


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