| カーラのゲーム(上/下) | |
| 原題:KARA'S GAME 作者:ゴードン・スティーヴンス(Gordon Stevens) 訳者:藤原秀彦 初刊:1996 出版:創元ノヴェルズ 装丁:イラスト 生ョ範義 カバー 矢島高光 定価:700円+税(上/下共通) |
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[あらすじ] ボスニア内戦において最愛の夫と一人息子を失ったカーラ。彼女を支えるの砲弾飛び交う真冬の戦地で出会った一人のSAS隊員の言葉、"敢然と戦う者が勝つ"。 その言葉を胸に彼女は立ち上がる。運命に翻弄される側から運命を切り開く側に。ゲームの駒ではなくプレイヤーとして、彼女は世界を相手に闘いを挑む…。 「バルカンのゲーム、と彼は心のなかで呟いた。まずセルビア人とクロアチア人とムスリムのゲーム。次がセルビア人と西側諸国のゲーム。三つ目はロンドン、ワシントン、モスクワ、パリのゲーム。国連と安全保障理事会を構成する各国政府のゲームが四つ目。そのうえ国連内部で争われるゲームまである。 このゲームのまっただなかに国連の援助を必要としている人間がいる。が、そう考えたとたんゲームのプレイヤーは敗北を喫する。ゲームがはじまりもしないうちに。」 (本書上巻p141〜142より) 小説を読んでいると、その中のある一節にページをめくる手が止まってしまうことがあると思います。アイヨシは本書を読んでいて上記引用の文章がとても印象に残りました。 戦争は悲惨・陰惨なものであり、人間が行う最も異常な集団行動だと思います。しかし、その中にあって相手を出し抜き、駆け引きを行う役割がいます。そうした人間にとっては、戦争はまぎれもなくゲームなのです。上記の文章は、そのことをシンプルに表現しています。 本書を読んでいて、対人地雷のことを連想しました。みなさんご存知かも知れませんが、対人地雷とは、あえて即死しないように火薬・爆発量を抑えて、膝下だけが吹き飛ぶようにしています。それは、被害者を助けに来る人間が地雷を踏むことを誘発することと、相手陣営に『足手まとい』を生じさせることによって戦力を低下させつつ、相手の進軍速度を低下させて物資を消耗させることを狙ったものです。人間というものは勝つことだけを考えるととんでもないことをしかねないという好例だと思います。 戦争にはこうしたゲームの側面があることは事実です。実際、コンピュータ・ゲームのような最近のものを例に挙げるまでもなく、チェスや将棋、碁(これは領土の奪い合いです。)といった古くからのゲームも戦争のかたちをとっています。そうしたゲーム性のみならず、戦争には魅力的に感じてしまう部分はあります。映画『地獄の黙示録』のコッポラ監督が次のようなことを述べています。 「戦争には、非常に感覚的で、魅惑的で美しいものがある。そうした戦争の美しいシーン、快感をおぼえるものを観客にみせなければウソになってしまう」(平凡パンチ誌でのコッポラ監督と五木寛之との対談より。ただし、ここでは橋本勝著、社会思想社『戦争ってナンダ!?』p238より孫引きしたものを引用しました。) それに、最近の戦争は『ボタン戦争』などといわれるように、戦争の方がゲームに近付いています。そうした科学の進歩が、戦争のゲーム性を際立たせると同時に、その反面として現実の悲惨さ・残酷さをごまかすことにつながりかねません。結局は想像力の問題でしょう。 物語の前半で、カーラは最愛の息子と夫を失います。そこまででも、この物語は戦争・内戦の悲惨さを伝える物語として十分に成立しています。感動的です(ここで物語が終わってしまっても良いと思うくらいです)。 しかし、この物語は、そこから息をもつかせぬ展開を見せます。戦地で出会ったSAS隊員のフィンの言葉"敢然と戦う者が勝つ"の言葉を実践に移すのです。ルフトハンザ航空3216便のハイジャックというかたちで…。 後半のジェットコースターのようなストーリー展開、少々ご都合主義的に感じられるハッピー・エンドには正直ひいてしまう部分はありますが、そうしたことが逆に現実における問題解決の難しさを象徴しているように思いました。 本書は主にカーラとフィンの視点から語られつつも、場面場面で視点が激しく切り替わるという独特の手法がとられています。そうした手法によって、戸惑いを感じる部分もありあますが、端役のキャラクターに奥深さが与えられるとともに、物語全体が重層的に仕上がっていると思います(詳細は本書下巻の『解説』参照)。 『戦争』という深刻かつ重大なテーマだけでなくこうした『手法』や、高品質サスペンス物としてのストーリーの流れを楽しむのも一興だと思います。 |