ABC殺人事件
原題:THE A.B.C. MURDERS
作者:アガサ・クリスティ(Agatha Christie)
訳者:中村能三
初刊:1936
出版:新潮文庫
装丁:カバー 鈴木邦治+野中昇
定価:514円+税

(本書評は、ネタバレではないのですが、トリックをばらしています。未読の方は注意して下さい。)

[あらすじ]
 「ABC」の署名で、探偵であるポアロのもとに送られた殺人を予告する挑戦状。その予告のとおりに、犯行現場と被害者のイニシャルともアルファベット順に確実に殺人事件が発生する。死体の傍には必ずABC鉄道案内が置かれていた。被害者間の関連性は何一つ認められず、捜査は難航するが…。



 木を隠すなら森。ならば、殺人事件を隠すなら連続殺人の中に。という、人の命を何とも思わない大胆な発想がとっても素敵な作品です(笑)。
 そんな本作品は、いわゆるミッシング・リンクの古典であり、名作です。ミッシング・リンクとは、「失われた環の意味で、連続殺人の相互に関係なさそうな被害者の共通項を指す。童謡殺人のように表向きのストーリーがある場合は、実際にはその中の一人を殺すのが目的で、あとはカモフラージュだったという例が多い。」(早川書房編集部編「ミステリ・ハンドブック」所収、新保博久「シンポ教授のシンポ的ミステリ講座」p239より。)のことです。

 野暮を承知で冷静に考えると、このミッシング・リンクが成立するためには本命である殺人事件に物証がないことが必要条件(そうでなければ、当然のことながらあっさり逮捕される)なのですから、そうである以上、ミッシング・リンクなどというおかしな細工をする必要はないわけです。
 つまり、ミッシング・リンクとは、犯人が探偵や警察の目を逃れるために行うものではなく、ミステリ作家が読者の目を欺くことを直接の目的としてなされるものです。そのような小説では、登場人物に感情移入することは一切できません。それが本格チックで最高です(意味不明)。現に、本作品では捜査において不自然なほど証拠が出てきません。

 しかし、そんなとんでもなく残忍かつ無意味で、登場人物の人間性を疑問視させるミッシング・リンクの作品でありながら、解決は結構説得力があって、「さっすがクリスティ♪」と思ってしまいました。それは真相が、言われてみれば普通な動機・理由だからで、また、それを導き出すポアロの自信たっぷりな解決のなせる業でしょう。

 また、ミッシング・リンクがメイン・トリックであることは間違いありませんが、殺人予告、ダミーの容疑者など豪華なデコレーションも楽しい一冊です。それに、登場人物に感情移入できないと書きましたが、読み返してみるとそんなことはないんですね。書かれていない部分で小説性を味合うことができます。特にソーラ・グレイとレディ・クラークの確執は、再読して納得です。あんまり本編とは関係のない楽しみ方かも知れませんが、クリスティ作品全般におけるシャープさを示すものだと思います。

 矛盾しているようですが、ミステリにおいてゲーム性を味合うのが初読、小説性を楽しむことができるのが再読で、再読を楽しむことのできるミステリというのは本当に最高でぜいたくなものだと思います。


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