第2部…「火車」のサスペンス小説としての側面を読み解く。


 サスペンス小説としても、本作品は一級品です。犯人にしてヒロインでもある新城喬子が作中の最後の最後まで姿を表さないラストは、過去の自分を何もかも捨てて他人の人生を乗っ取って生きようとして「火車」に乗り込んでしまった彼女を象徴するものとしてふさわしいと思います。追いかけて追い詰めて、しかし、最後まで登場人物のみならず私たち読者も彼女にかける言葉を見つけることはできない…。本作品は、まさに彼女が中心の物語なのです。
 「火車」という言葉の意味については、「百鬼解読」(多田克己著 講談社ノベルズより出版)が詳しいです。ちなみに、この本は京極夏彦の妖怪シリーズで紹介されている妖怪についての解説集です。そこから、「火車」の定義を引用しますと、罪人である亡者を乗せて地獄に運ぶ、あるいは罪人を責めるのに用いる、猛火の燃えているという車のことです。亡者が火車で苦しめられていることから、転じて家計が非常に苦しいこと、生計のやりくりに苦しいことを「火の車」といいます。物語を象徴するものとして絶妙なタイトルだと思います。

 また、本作品は登場人物のキャラクターが際立っています。それは、作中において極めて巧妙に配置されている設定・背景における対照の妙のなせる業でしょう。対照は作為的と感じられるものもあれば不作為の産物と思われるものもありますが、幾重にも巧妙になされているために、ある対象と対象が対照されることによって生じる化学反応によって、多弁を要さずとも登場人物に存在感を与えることにもつながりますし、物語自体も味わい深いものになっているものと思います。
 以下、作品中におけるそのような対照について、いくつかピックアップしてみたいと思います。

 あらすじでも述べたように、本作品は関根彰子の戸籍を乗っ取って生活していた新城喬子の消息を探ることが主人公である本間のミッションです。
喬子の行方を探るために、本間はまず素性が明らかである関根彰子の生活状況を調査して、彰子がいつ喬子と入れ替わったのか、その接点を見つけることにします。そこで明らかになるのは、彰子が落ち込んだカード破産という現代社会の抱える問題。彰子はクレジット・カードによって借金苦に陥って自己破産をした過去を持っていたことが明らかとなります。一方、彰子を殺して戸籍を乗っ取った喬子も、過去に父親が住宅ローンによる借金苦に陥った結果、一家離散のあげく借金取りに骨の隋までしゃぶりとられて、自らの過去を捨てることを決意するに至ります。
 いみじくも作中で本間が述べているように、喬子は共食いをしてしまったことになってしまったわけです。が、両者の借金苦は性質が異なります。すなわち、彰子の破産は現代型の、主として若者が陥るカード破産ですが、喬子の場合は自らの借金ではなく、一軒家の幻想に踊らされた父親の住宅ローンによるものです。ここで、借金苦という点を通じて過去と現在の社会問題が交錯し、対照されることになります。つまり彰子と喬子は年齢的に同世代であるにもかかわらず、彼女らの抱える不幸の背景には微妙ではありますが重大な差異があることになるわけです。

 上記のように、喬子とその両親は血のつながった家族であったにもかかわらず借金で一家離散、さらには自らの苦境から逃れるために父親の死を切望するまでに至ります。
 これと対照的なのが本間の家庭です。本間は妻に交通事故で先立たれて小学生の息子の智と二人暮しですが、智は養子であり、本間と智の間に血のつながりはありません。しかし、本間は死んだ妻を悼みつつも、智とは仲の良い親子として過ごしています。

 また、本作品で社会問題として語られるカード破産の問題は、本間の妻の死亡原因である交通事故との対比で語られます。作中の表現を借りれば、交通事故において全てを加害者一人の責任として済ますことのできるケースは少ないのです。加害ドライバーを雇っていた会社の無理なスケジュール管理や自動車行政といったことを無視して問題を棚上げにすることは間違っていて、消費者信用や多重債務の場合もこれと同じなのですと、本作品では語られます。

 他にも、生きていることに一縷の望みをつないで彰子の行方を、また、彰子の戸籍を乗っ取った喬子の行方が明らかになる一方で、智の友人の犬が行方不明になります。この犬の消息は本作品においてはサイド・ストーリーともいうべき位置にあるわけですが、親友をあまり持たすに本間以外に探す者のいない彰子と喬子に対して、何人もの子供たちに探される犬の対照はあまりに皮肉です。
 また、この犬は結局殺されてしまうのですが、その原因は一戸建てに住みながらも親に犬を飼うことを反対されているために、規則違反なのにその友人がマンションで犬を飼っていることが気にくわなくて殺したという動機は、一戸建てでの平穏な暮しに憧れる喬子の想いを儚いものにしてしまいます。

 これらの対照によって本作品は、犯人にしてヒロインの喬子が最後の最後に後ろ姿だけ登場するラストと相俟って、何ともいえない余韻と読後感を残します。物語の運びとしては静かなものかもしれませんがテンポよく、しかし、重々しく明らかになる真相はまさにサスペンスです(ミステリーとする向きもあるでしょうが、ミステリと区別したいのであえてサスペンスにしました。が、本作品について語るときには些細なことですね)。

 以上、長々と色々なことを書き連ねてきましたが、それというのもアイヨシがこの作品にどっぷりと浸かってしまったからです。人気作家の代表作といわれる作品ですし、未読の方には一読を強くオススメします。


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