| フジモリの脳内ラビリンス
〜a labyrinth in fujimori's brain〜 Onehundred-Twenty-first bookshelf 筒井康隆『時をかける少女』 |
「あなたの思い出が、ぜんぶなくなってしまうなんて、がまんできない。たまらないわ!」 御影 「♪駆け抜けてゆぅ〜くぅ〜」 フジモリ 「待て待て待てぇぃっ!(肩を掴む)」 御影 「なんやねん」 フジモリ 「お前、以前の書評から跳んできた御影じゃないのか?書評をまたいだボケするなよ!」 御影 「んー。それは禁則事項です」 フジモリ 「それ小説が違うだろ!」 御影 「あかんて。過去から来たウチと現在にいるウチが遭遇したらえらいことになるで!」 フジモリ 「それ映画「サマー・タイムマシン・ブルース」だろうが!」 御影 「まあまあ。世の中不思議なことだらけだから。関口君」 フジモリ 「誰だよ関口って!…まあ、捕まえついでにこの本の書評をしてしまおう。今回取り上げるのは、筒井康隆「時をかける少女」だ」 御影 「♪駆け抜けてゆぅ〜くぅ〜」 フジモリ 「駆け抜けて去ろうとすんなよ!書評に入るよ。えーっと、この本は学習研究社の「中学三年コース」1965年11月〜1966年3月号に、そして読者の成長とともに「高校一年コース」1966年4月〜1966年5月号に連載された作品で、ある意味筒井康隆の代表作となっている。小説自体は108ページと薄いものの、過去に多くの人の手でドラマ化、映画化されている。また、2006年夏にはこの小説の20年後を舞台としたアニメ映画も公開された。というわけで、短い作品だけどとりあえずあらすじをお願い」 御影 「はいな。 ある日、中学生三年生の少女、芳山和子は、同級生の深町一夫や浅倉吾朗と一緒に理科室の掃除を行っていた時に、実験室でラベンダーの香りを嗅いで意識を失う。その三日後、和子の周囲にはいくつかの事件が起こる。そして、その翌日に吾朗と共に交通事故に巻き込まれそうになった瞬間に、和子は前日の朝に時間を遡行する。 彼女は時を「翔けて」しまったのだ…。 ちゅう話や」 フジモリ 「今回はこの本を肴として、「時をかけること」について語りたいと思う」 御影 「ん、まあ、真琴ぐらいの年頃の女の子にはよくあることよ」 フジモリ 「そうよね、魔女おばさん。…じゃなくって!」 御影 「せやけど、1972年に初めてドラマ化されて以来、これでもかっちゅうぐらい映像化されとぉもんねぇ。まあ、一番有名なんは1983年の原田知世版やけど」 フジモリ 「そうだね。主題歌も有名だもんね。♪とぉ〜きぃ〜をぉ〜」 御影 「♪駆け抜けてゆぅ〜くぅ〜」 フジモリ 「曲変わっちゃってるって!それ、ときはときでもときメモだから!」 御影 「な、うまいこと言ったつもりかぁ!いい気になるなよ!」 フジモリ 「誰だよお前。とにかく、この小説、ストーリィとしては非常にシンプルだ。アクシデントがきっかけで時をかける能力を身につけてしまった中学生、芳山和子が、同級生の深町一夫や浅倉吾朗、理科担任の福島先生と一緒にその謎を解こうとするが実は…という話。一応未読者の方向けに結末は伏せるけど、まあ、たぶん、大体の人が知っているストーリィだと思う」 御影 「うーん。こうしてみるとほんまシンプルやな。書評するには短すぎる感じもするわぁ」 フジモリ 「しかし、半世紀近く前の作品が未だにリメイクされ映像化され続けている。こんなに長いスパンでリメイクを繰り返される作品ってのもそう無いよね」 御影 「言われてみればそうやんなぁ。何でやろ?」 フジモリ 「思うに、「時間跳躍(タイムリープ)」が普遍的に物語の題材となりえるからじゃないか、と思う。「過去に戻れる」=「過去をやりなおせる」という事象が物語の創造欲を刺激するんだろうね」 御影 「そやな。誰だってやりなおしたい過去の一つや二つあるもんなぁ。フジモリは37個やけど」 フジモリ 「妙にリアリティある具体的な数字出すなよ。(いろいろと思い出す)ひの、ふの、みの…いや、そんなにないから、じゃなくって!とにかく、時間を戻って過去をやり直せるという時間跳躍(タイムリープ)と、「やり直したい過去がある」青春時代とは非常に相性がいい。もっとも、青春時代を題材とした小説やマンガなどは、「やり直したい過去」をイメージしていることが多分にあるけどね」 御影 「?、どぉいうこと?」 フジモリ 「いわゆる「サークルもの」なんかはそうだよね。秋山瑞人「イリヤの空、UFOの夏」の新聞部やゆうきまさみ「究極超人あ〜る」の光画部、新城カズマ「サマー/タイム/トラベラー」のプロジェクトなんかもそうだし、わかりやすいのは木尾士目「げんしけん」の現視研。文科系サークルでの平凡な日常+恋愛を描くことにより、「ああ、俺もこんなふうな生活送りたかったなぁ」と過去をやり直したくなるわけだ」 御影 「フジモリもそうなん?」 フジモリ 「ところが違うんだなぁ。こういった「サークルもの」、読者に3種類の効果を与えると思うんだ。 1.過去をやりなおしたくなる。 2.もう一度過去を繰り返したくなる。 3.戻れない過去を懐かしむ。 例えば、「げんしけん」を読んで「ああ、こういうサークルに入って荻上といちゃいちゃしたいなぁ!時間を戻ってもう一回やり直したいなぁ!ちくしょう!」というのが1の効能。で、「ああ、サークル生活って楽しいよなぁ!俺も時間を戻ってもう一回サークル生活送りたいなぁ!」、と過去をやり直さなくても(=同じ内容でいいから)もう一回サークル生活を送りたくなるのが2の効能。ポイントは「やり直さなくてもいい」ってとこだね。やり直したい過去があっても受け入れている状態。んで最後は「ああ、俺にもこんなサークル生活あったなぁ!懐かしいなぁ!」とノスタルジィに浸るのが3の効能。この場合、すでに「過去には戻れない」ことを自覚している状態」 御影 「う。深いなぁ」 フジモリ 「アニメ版映画「時をかける少女」のテーマのひとつとして、「やり直せるけども、選んだ人生は1本のルートしかない」ってことが挙げられると思う。フジモリが西尾維新「ネコソギラジカル」で語った、「物語の結末は複数ある」というのと若干かぶるんだけど、物語を「自分以外の物語」としてメタに見た場合、複数のルートと複数の結末が存在する。しかし、自分が主人公の場合、例え選択肢をやり直せるとしても、結果的に人生は1回しかないわけだ。思うに、年をとるにつれ効能が1から2へ、2から3へと移っていくんだと思うよ。「サークル生活」を終わったばかりであれば「もう一回やり直したい!」と思うだろうし、社会に出てしばらくすると「同じ内容でもいいからもう一回やりたい!」と思うだろう。そしてその社会での生活にしばらく漬かると、その生活で満足するから「過去にそういうことがあったなぁ」と思うわけだ」 御影 「「過去の過ちも全部ひっくるめて、今の自分になっている」と「悟る」わけやね」 フジモリ 「そのとおり。「時をかける」というテーマが普遍的に、それこそ「消費されずに」使い続けられているわけは、ただ単に「過去をやり直したい」と思う気持ちからだけではないのではないか、と思った」 御影 「無理やり書評に結びつけたな」 フジモリ 「この作品は短く、短いゆえに普遍的な要素を持っている。さらに行間があるぶん(比喩ですよ)「セカチュウ」のように余白を創造で埋めて肉付けしやすい。「時をかける」ことが何故これほどまでに古今東西を問わずネタにされているのか、その回答の一端をこの作品の中に見た気がしたよ。短い話だけど、いや、短いからこそ「過去に戻ること」「過去に戻れないこと」について考えさせられた。それが、今回の感想かな?」 御影 「うーん。戻れない過去に戻れる話かぁ。不可能を可能にしようと考えることがSFの原動力なんかなぁ。いや、めっちゃ勉強になったわぁ」 フジモリ 「まあ、今の御影は過去から来たんだけどね」 御景 「まいどぉ」 フジモリ 「う。御景。ど、どうした?」 御景 「いや、用は特にないねんけどね。…ん?御影姉さんやん。どないしたん?さっきまであっちにおらんかった?」 御影 「え、えーっと、それは禁則事項やねん」 御景 「ああ。ちゅうことは過去か未来から来たんやね」 フジモリ 「うわ、ばれてるし、禁則事項になってねぇ!」 |