フジモリの脳内ラビリンス

〜a labyrinth in fujimori's brain〜

Onehundred-Eighteenth bookshelf
西尾維新『ネコソギラジカル(下)』(ネタバレ感想)


註!今回の書評には内容に関するネタバレがあります。未読の方はご注意ください。



探していた幸せはあんなに遠くにあったけれど、
ぼく達は、幸せになった。


フジモリ 「さて、全3回にわたってお送りしている「ネコソギラジカル」の書評、ひいては「戯言シリーズ」の書評も今回で最終回を迎える」

舞奈 「…ついに打ち切りかぁ」

フジモリ 「ぼそっと呟くなよ!大団円なんだって!」

舞奈 「まあ、打ち切りでも終われるだけいいか。終わりたくても終われない漫画に比べたら…」

フジモリ 「漫画っつっちゃったよ!フジモリたちの書評の話じゃなかったのかよ!」

舞奈 「変な終わりかたしちゃったアニメに比べたら…」

フジモリ 「何その爆弾発言!?」

舞奈 「いや、具体名出してないし」

フジモリ 「そういうこと言ってんじゃないって!」

舞奈 「まあ、最終回だから多少のオイタはいいでしょ?」

フジモリ 「戯言シリーズの書評は最終回だけどフジモリの書評はまだ続くんだって!書評ごと最終回にするつもりかよ!」

舞奈 「戯言シリーズという「物語」は終わっても、いーちゃんの物語は続いていくのよね」

フジモリ 「オチ言っちゃったよ!書評に入る前からそんなにテンション上げてどうすんだよ!」

舞奈 「確かに飛ばしすぎたわね」

フジモリ 「ふう。落ち着いたか。じゃあ」

舞奈 「疲れたんで帰ります」

フジモリ 「帰るなぁっ!」

舞奈 「んー。じゃあ、ちゃっちゃと始めて終わりましょ」

フジモリ 「最終回なのに何でそうぐだぐだなんだよ。・・・今回は西尾維新「ネコソギラジカル」下巻の書評、すなわち最終回だ」

舞奈 「前回の書評では「戯言シリーズはいーちゃんの成長物語だ」「戯言シリーズのヒロインは玖渚友、想影真心、哀川潤の3人だ」「ストーリィがキャラクタに従属する以上、ありえたかもしれないエンディングはすべて等価であり、これはゲームの文法だ」っていう話をしたのよね」

フジモリ 「そうだね。それを踏まえて、いかに西尾維新が物語を終わらせたのか。舞奈、下巻のあらすじをお願い」

舞奈 「りょーかい。

「生きている以上、世界の終わりを物語の終わりを、諦めることはできない」“人類最悪の遊び人”たる「狐面の男」は「ぼく」こと“戯言遣い”に断言する。玖渚友との決別。想影真心の暴走。そして、復活する哀川潤。そして…。

という話ね」


<物語は再度加速する>


フジモリ ネコソギラジカル中巻では、旧友想影真心の登場、匂宮出夢と石凪萌太の喪失を経ていーちゃんが「成長すること」を決意した。しかし、想影真心の脱走といーちゃんへの帰属により、「敵」である西東天がいーちゃんから手を引くことを宣言した」

舞奈 「今までの話は何だったの?と読者を混乱させ、最後に宴九段こと滋賀井統乃が玖渚友の病状を伝え、「下巻に続く!」となったわけね」

フジモリ 「下巻は玖渚友との別れから始まる。青色サヴァン・玖渚友の状態は生き残る確率がほぼゼロに近いところまで悪化していた。玖渚は、いーちゃんと分かれることでいーちゃんが過去から引きずっている呪縛を解く」

舞奈 「さらに物語は動く。いーちゃんのもとに帰属した旧友である橙なる種・想影真心の暴走」

フジモリ 「本当に「世界の終わり」が見たいという、十三階段・時宮時刻が彼女に暴走(開放)の催眠をしかけたからだ」

舞奈 「呆然とするいーちゃんに声をかけたのは、「手を引く宣言」をした西東天たちだった」

フジモリ 「かつての敵、人類最悪・西東天、その娘である赤き制裁・哀川潤、十三階段の絵本園樹、同じく十三階段の右下るれろ、そして、零崎人識」

舞奈 「急展開というか、今までにないシチュエーションよね。ラスボスと団欒する主人公って」

フジモリ 「この時点で西尾維新は宣言してるわけだ。「ラスボスを倒しても、物語は終わらない」って」

舞奈 「まあ、実際、少年漫画なんてラスボスを倒しても人気があれば更に強い敵が出て、とエンドレスになってくもんね」

フジモリ 「それが「終われない物語」という呪縛だ。「大きな物語」が失われ、「ぼくたち」は「小さな物語」の積み重ねによって生みだされた「物語」にしか接することがなくなってきた。「小さな物語の積み重ね」はそれ自体で完結し、次々に続けられる(=継続性)こと、物語の修正が簡単であること(=流動性)、いつでも終わらせられる(=可止性)ことから、商業的に非常に有用な手段だ。しかしそれは、物語そのものの完結を妨げる枷となってしまったんだ」

舞奈 「でも、「小さな物語の積み重ね」って昔からあるわよね。「源氏物語」だって「三国志演義」だって「西遊記」だって「南総里見八犬伝」だって、エピソードの積み重ねによって物語が進んでいくわ。それは「講話」などの物語の発表形式に因するわけだけど。で、人気によってサブキャラ大活躍の回だってあるし、エピソードの数を増やしたりするし。外伝的な宇治十帖とかあるし」

フジモリ 「でも、それらの物語は「大きな結末」が決まっているだろ?西遊記は三蔵法師たちが天竺に到着したら「終わり」、源氏物語は光源氏が死ねば「終わり」(宇治十帖は外伝)、南総里見八犬伝は八犬士たちが里見家を復興させて「終わり」だ。(実際には滅亡して終わりだけど)」

舞奈 「確かにね。物語のテーマがはっきりしているからかなぁ」

フジモリ 「キャラクタがストーリィに従属している、と言い換えてもいいかもしれない」

舞奈 「そう?ちょっとこじつけてない?」

フジモリ 「まあフジモリの書評は我田引水だということは自覚してるんで、ちょっとのこじつけは許してくれ」

舞奈 「しょうがないわね。とにかく、現代の物語は「小さな物語」の積み重ねによって「終わらない物語」という呪縛を背負っている。「ラスボスを倒しただけでは物語は終わらない」ことを西尾維新は暗に示しているってことかしらね。それが西東天との団欒に収束されたのかも」

フジモリ 「そうかもしれないね」

舞奈 「それにしても、この団欒メンバの中で言うと、零崎人識だけ浮いてるわよね。作者自ら「物語には全く必要のないキャラクター」と言ってるし(宝島社「西尾維新クロニクル」p22)」

フジモリ 「彼には彼の物語があるんだろうが、いーちゃんの物語の中では、物語に直接影響を与えていない。極言すると、彼が不在でも物語には影響がないんだ。だからこその「零」なんだろうね」

舞奈 「そうね。で、暴走した想影真心を救うことを決意したいーちゃん。想影真心と哀川潤を戦わせ、その勝敗で西東天とお互いの命をかけた「賭け」をする」

フジモリ 「そうして物語は収束に向けて進んで行く」


<物語は決着する>


舞奈 「想影真心と哀川潤の対決が決まると、零崎人識は自らの出番が終わったかのように去っていく。

「ばいばい、セリヌンティウス」
「走れ、メロス」
ぱし、ぱし、ぱし、と。
二回、手の甲で打ち合わせて、
薄暗い中、殺人鬼は去っていった。(p242〜243)

さらに西東天は十三階段の解散を通告する。登場人物が整理され、想影真心、哀川潤、西東天、いーちゃんの4人にフォーカスが絞られるのよね」

フジモリ 「そう。「人類最終」であり、「生きていることがつまらない」と言う想影真心に、いーちゃんは「全力で戦える相手」と「敗北」を与えるために、「人類最強の請負人」哀川潤をぶつけたわけだ。これは前作「ヒトクイマジカル」で自らが「敗北を知る為」に匂宮出夢と戦ったのと同じ。これまでいーちゃんは、「自分が本気を出すと誰かを傷つけてしまう」と「本気を出すこと」に臆病になっていた。しかし匂宮出夢との戦いで初めて本気を出し、「思い知らされた」。椎名高志の漫画「絶対可憐チルドレン」のテーマの一つでもあるんだけど、「本気を出してぶつかる相手」という役目を担う「親」に対し、自らの能力が突出しすぎて本気を出せないというのは不幸なことだと思う」

舞奈 「人間ってライバルがいてこそ成長する、というのはあるもんね。ゲームだって、本気出したら誰も相手にならないというのは不幸だもん」

フジモリ 「「絶対可憐チルドレン」で言うと皆本がその役目を担っているんだけど、想影真心が本気を出せる相手は哀川潤しかいない。いーちゃんではないんだ。「本気を出してぶつかりたい」と願うのはいーちゃん。いーちゃんはその想いを「人類最強の代理人」哀川潤に託し、哀川潤の勝ちに自身の「命」をベットした」

舞奈 「そして、二人の戦いは哀川潤の勝利、という形で結末を迎えたのよね」

フジモリ 「賭けに勝ち、西東天に銃口を向けるいーちゃん。そして…」


<物語は終わる>


舞奈 「舞台は4年後に移る。請負人家業をするいーちゃんに、依頼人が訪ねてくる」

フジモリ 「依頼人の女子高生、本名朝日、というのは、「本名→非通知→櫃内」「朝日→夜月」だし、リンクスというのは「黒猫」で、西尾維新の別シリーズ「きみとぼくの壊れた世界」からのゲストキャラかと思うけど、舞台設定や事件が違うことからパラレルワールドと考えていいだろう」

舞奈 「メイドインヘブン!世界は一周する!」

フジモリ 「しないよ!スティールボールランかよ!」

舞奈 「まあまあ。で、依頼を受けたいーちゃんと哀川潤との会話で登場人物のその後が語られるわけね」

フジモリ 「結局いーちゃんは西東天を殺さなかった。彼が何か企んでも再び阻止する、という意思を示したわけだ」

舞奈 「物語を終わらせたい西東天の企みを阻止する。物語を終わらせたくても終わらせないわけね」

フジモリ 「「終わりがないのが終わり。それがゴールドエクスペンスレクイエム」ってことだ」

舞奈 「私のセリフをとるなー!」

フジモリ 「いつから舞奈のセリフになったんだよ。ジョジョ第5部をモチーフにしている戯言シリーズ。決着まで5部に忠実なわけだ」

舞奈 「ある意味西東天にとっては残酷よね」

フジモリ 「西東天にとってはそうかもしれない。しかし、当人の「物語が続くこと」自体は残酷ではない。生きている限り物語は続く。いーちゃんの考え、「物語」=「当人の人生」という考えが西東天に勝った状態だね」

舞奈 「そしてアパートに帰るいーちゃん。部屋には、玖渚友がいた」

フジモリ 「手術が成功し、青い目や髪を含めたその超越的な能力を失いながらも生きていた玖渚友。そして、冒頭引用したセリフとともに物語が終わるわけだ」

舞奈 「最後に書いてあるけど「<<Juvenile Talk>>is HAPPY END. Congratulations!!」と「ゲームの文法」でハッピーエンドだ、ってことを表現してるわね」

フジモリ 「これが、西尾維新の示した「戯言シリーズ」の終わらせ方だったわけだ」

舞奈 「んー。でも、これって結局玖渚エンドだっただけじゃないの?」

フジモリ 「いや、「戯言シリーズ」を通したときに、このエンディングが来たるべくしてたどり着いたものだとわかる。


「クビキリサイクル」で玖渚友とともに事件に巻き込まれ、赤き制裁・哀川潤と出会い、「クビシメロマンチスト」で自らの「無為式」を発動させ「選択しないこと」によるバッドエンドを味わう。「クビツリハイスクール」で「裏の世界」に深く携わり、「サイコロジカル」で玖渚友との関係を再確認する。

「ヒトクイマジカル」で「敗北」を経験するために戦い「敵」と出会うことで、「ネコソギラジカル」で「成長」を決意し、「成長」した。

そしていーちゃんの意識には常に玖渚友がいた。過去に自分が犯した過ちと枷を含め、自身の「物語」だったわけだ」

舞奈 「つまり、玖渚友とハッピーエンドを迎えること自体が「いーちゃんの物語」のハッピーエンドだったわけね」

フジモリ 「そう。過去に自身が「相手の物語に影響を与えてしまった」想影真心とは「友人」として、成長という「自身の物語に影響を受けた」哀川潤とは「同業」として対等な位置に立つ。そして、玖渚友は「玖渚友を含め自身の物語」とすることで、それまでは「自身独りだった物語」を広げた。それも一つの成長だね。すべての可能性の中からの最善の結末としては、玖渚友とのハッピーエンドしかありえなかったわけだ」

舞奈 「そうか!それが「セカイ系」に繋がるわけね。「きみとぼくとの物語」であれば、きみとぼくとの関係に結末が訪れれば「物語が完結」するわ」

フジモリ 「そう。物語を「終わらせる」ためにあえて枠組みを「セカイ系」に落とし込み、「物語」を読み手に認識させ、「物語」を「人生」と同一視させ、いーちゃんの世界に「玖渚友」を組み込んだ。そして玖渚友とのセカイを「完結」させることで物語を「完結」させたわけだ」

舞奈 「でも、前回の書評でも話したけど、複数のエンディングが等価で存在する手法をとる以上、このエンディングが最善と考えない人もいるかもしれないでしょう?」

フジモリ 「思うに、物語を完全に完結させるためには「世界を完全に破壊する」か、「読者を完全に納得させる」かいずれかだと思う。あとがきで西尾維新が言ってたけど、「というのは嘘でみんな死にました。」(p372)というのは物語を終わらせる一つの方法だと思うよ。それ以上物語を作り出せないわけだから。しかし西尾維新は「読者を完全に納得させる」方法を選んだ。つまり戯言シリーズを通じたテーマである「いーちゃんの成長物語」を完結させるためには、玖渚友との幸せな生活という結末が作者の言う「辿りつくための最後の風景」(宝島社「西尾維新クロニクル」p76)だったわけだ。「戯言シリーズ」すべての伏線を解決するエンディング。読み手によっては想影真心エンドとか哀川潤エンドとか幻の崩子ちゃんみなし成人エンドとかを希望する人がいるかもしれないけど、シリーズを通じた場合玖渚エンドが一番すわりがいいだろう?」

舞奈 「ま、まあ、確かに」

フジモリ 「「キャラクタ」によって「ストーリィ」が進みながらも、「ストーリィ」を辿ったら「キャラクタ」があるべきエンディングに到着する。自然と、道筋ができていたわけだ。いくら物語がキャラクタ主体でありストーリィを従属させていても、物語が物語である以上、「ストーリィ」に逆らうことは出来ない。しかし、「キャラクタの世界」を完結できれば物語は「完結」するということを戯言シリーズは改めて示した。たとえ、他に複数のエンディングの可能性があろうと」

舞奈 「んー。それって、普通じゃない?例えば「セカチュウ」だってそうだし」

フジモリ 「そう。結局、物語の構造っていうのは昔から変わらないんだ。しかし、「漫画の文法」「ゲームの文法」を用い「複数のエンディングが並立する可能性があることを読者が認識してしまっている物語」でも、結局「物語の構造」自体は変わらない、ということを証明した。西尾維新は「戯言シリーズ」で「物語」をくどいぐらい強調したのちに、読者に「物語の本質」を再認識させたわけだ」

舞奈 「なるほどねぇ」

フジモリ 「以前「クビキリサイクル」の書評で、「この本はクラシック音楽のメソッド(手法)に基づいて作曲した作品を、最新の手法に基づいて演奏してる」と評したけど、「戯言シリーズ」そのものも「物語」は「物語」なんだ、と終わらせた。終わってみると、新城カズマが「ライトノベル「超」入門」で提唱した

「これまでのジャンルを飛び越えた「ふつーの良質な青春小説」=ゼロジャンル小説」

なんだと思わせる。「戯言シリーズ」というのは奇妙奇天烈なキャラクタと奇妙奇天烈な物語が「漫画の文法」「ゲームの文法」によって語られる話だと認識されがちだけど、その核は「青春小説」だった、ってわけだ」

舞奈 「でもそれって、私たちがこれまでぐだぐだ喋ってた内容が全く意味なくなるわよね」

フジモリ 「しかし、それを読み手が「意識させられた」だけで充分語った価値はあると思うよ。「物語」を「物語」として意識させる小説。そして物語を終わらせることの意味。もちろん、手法としての「小説とイラストの融合」や「繰り返しを多用する、ビジュアルを意識した文言」も画期的だったけど、やはり根底に流れるのは「物語」であり、「物語とは何か」を読者に深く刻み付ける小説だ。キャラクタとともに、作者とともに完結の余韻を味わう小説。読後、「ああ、良いもの読んだ」と純粋に思える小説。それが、戯言シリーズすべてを通して読んだあと抱いた感想だね」

舞奈 「なるほどねぇ。確かに、いい「物語」を経験したわ。ごちそうさまでした」




フジモリ 「はぁ〜、おわったぁ〜」

舞奈 「これで戯言シリーズの書評も終わりだもんねぇ。それにしても、いっぱい語ったわよねぇ」

フジモリ 「確かに。でもまあ、戯言シリーズにはそれだけ読み手を語らせる何かがあった、ってことだろうね」

舞奈 「それは置いといてこの書評もエンディングを迎えるわけだけど」

フジモリ 「自分から振っといて「それは置いといて」は無いだろ!?」

舞奈 「さて、どのエンディングにする?」

フジモリ 「マルチエンディング方式!?」

舞奈 「えーっと、とりあえずバッドエンドで」

フジモリ 「とりあえずの意味がわかんないよ!」

舞奈 「えー。じゃあ、どんなエンディングがいいの?」

フジモリ 「ま、まあ、できればハッピーエンドで」

舞奈 「よし、ハッピーエンドね」

フジモリ 「うんうん」

舞奈 だが断る!この舞奈が最も好きなことのひとつは、自分で強いと思ってるやつに「NO」と断ってやる事だ!」

フジモリ 「わけわかんないって!」

舞奈 「えー。じゃあ、普通にハッピーエンドにしましょうか」

フジモリ 「お願いします」

舞奈 「ガシッ!それじゃあな!!しみったれたじいさん!長生きしろよ!そしてそのケチな孫よ!おれのこと忘れるなよ」

御影 「また会おうっ!わしのことが嫌いじゃあなけりゃあな!…マヌケ面ァ!」

御景 「忘れたくてもそんなキャラクターしてねえぜ…てめーはよ 元気でな…」

舞奈御影御景 「「「花京院!イギー!アブドゥル!フジモリ!終わったよ…(全員で遠くの空を見上げる)」」」

フジモリ 「こらこらぁっ!どこかでやったオチをそのまま使うなぁっ!」

舞奈 「いや、メイドインヘブンで世界が一周してるし。オチも一周って事で」

フジモリ 「最後の最後までジョジョネタで終わらせるなぁっ!」



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