| フジモリの脳内ラビリンス
〜a labyrinth in fujimori's brain〜 Onehundred-Sixteenth bookshelf 西尾維新『ネコソギラジカル(上)』(ネタバレ感想) |
さあ。 それじゃあ、最後の物語だ。 これでおしまい、完結編。 どこをとってもお祭り騒ぎ、 隅から隅まであますところなく、 根こそぎにラジカルな物語。 いつものように、 いつもよりなお、 気楽にくだけて、 気負わず背負わず、話してみよう。 語るべき世界は既になくても、 それでも、物語は存在するのだから。 舞奈 「フジモリの次回作にご期待下さい!」 フジモリ 「のっけからわけわからんこと言うなぁっ!別に打ち切られたわけでもないし、次回の前に今回期待しろよ!」 舞奈 「おうおう意味不明の言語ばかり吐きおって。意味不明の言語ばかり吐きおって」 フジモリ 「意味不明なのは舞奈だろうが!しかも繰り返さなくっていいって!」 舞奈 「戯言シリーズ書評にちなんでそれっぽい発言をしてみました」 フジモリ 「心の底からわけわかんないよ。というわけで、今回書評するのは西尾維新「ネコソギラジカル」だ」 舞奈 「今回は上中下の3巻なのよね。上中下の三冠なのよね」 フジモリ 「繰り返しているようで微妙に違ってるぞ。とはいえ、舞奈の言うとおり、今回は3巻に分かれている、戯言シリーズクライマックスに相応しいボリュームだ。語りたいテーマもたっぷりあるので、書評も3回に分けて行なうことにする。ただし、内容は上中下巻全ての内容に渡ることもあるので、上巻だけ読んで残り読んでいない、という方などは覚悟の上お進み下さい」 舞奈 「覚悟とは!!暗闇の荒野に!!進むべき道を切り開くことだッ!」 フジモリ 「いきなりジョジョネタ飛ばさなくてもいいって。では、まずあらすじをお願い」 舞奈 「了解。 「よう、俺の敵」 “世界”を、そして“物語”を終わらせるため、「ぼく」こと“戯言遣い・いーちゃん”に「狐面の男」はささやく。キーワードは、加速。そして、世界の終わり。何より、物語の終わり。待ち受ける刺客、“十三階段”の向こう側にある“終わり”の果てにあるものは!? 上巻はこういう話です」 <物語は変わる> フジモリ 「戯言シリーズを語るに際し、まず言及しなくてはならないのが「物語」についてだ。前作「ヒトクイマジカル」で登場した「狐面の男」こと「史上最悪の遊び人」ことラスボスの西東天。彼は「物語の終わり=世界の終わり」を求める為にいーちゃんを「敵」とみなす。今作では西東天がいーちゃんに対抗する為に「十三階段」を集め、宣戦布告するところから物語が始まる」 舞奈 「火時計が一周する前にアテナに刺さった黄金の矢を抜かなきゃいけないのよね!」 フジモリ 「ま、まあ、それは他の漫画だが、そんな感じだ」 舞奈 「だけど、今までの話ってぎりぎりミステリィとしての体裁は保ってたけど、今作「ネコソギラジカル」はそれすら放棄しちゃったわよね。RPGかと思ってたら突然シューティングゲームになった感じ」 フジモリ 「そう。デビュー作「クビキリサイクル」では結構本格的なミステリィだったけど、巻を重ねるにつれミステリィ色は影をひそめていく。いわば、物語の「ジャンル」の変化だ」 舞奈 「これって、漫画ではよくあるけど小説では珍しいわよね。「シャーロックホームズ」がいきなりラブコメになったら、・・・(しばらく考えて)うん、それはそれで面白いかも」 フジモリ 「いやいや、これから「物語の変化とはどういうことか」について語るんだから違和感感じとこうよ」 舞奈 「んー。別に違和感ないわよ。まあ、ミステリィを期待したら期待外れになっちゃうけど、ホームズの恋愛ってのも面白そうだもの」 フジモリ 「確かに」 舞奈 「つまり、これは私たち読み手の意識が変わってきたのかもしれない、ってことかもね。昔は「物語」を軸に据えて読んでいるため、その物語に「変化」が起こると違和感を覚える。もちろん、筋書き(ストーリィ)が大幅に変化すると、そりゃ読んでて「なんじゃこりゃ」ってなるけど、「ジャンル」が変わるぐらいだったらたいした違和感がない。「源氏物語」がアクションものになろうが、「三銃士」がミステリィになろうが、「それはそれで面白い」と思うもんね」 フジモリ 「そんなこと思うのは舞奈だけじゃないのか?」 舞奈 「いや、たぶん違うと思う。というのも、読み手が「ストーリィ」よりも「キャラクター」に軸を据えて読むようになったのが一つの要因だと思うわ。これは、いわば「漫画の文法」に近いわね。「キャラクター」さえ変わらなければ、「キャラクターを取り巻く環境」に変化があっても違和感がないってこと。「ネコソギラジカル」でミステリィ色が皆無になっても読者が混乱せず読み進められるのは、西尾維新が巧い具合にこの「戯言シリーズ」という物語を進めていく中で「ミステリィ」を「キャラクタ小説」に取り込み、「キャラクタ」色を高めていったから、だと思うわ」 フジモリ 「確かにそうかもね。ただ、読者が「物語の変化」についていけるようになったというのにはもう一つ理由があると思う」 舞奈 「何?」 フジモリ 「「物語は変わる」という認識を、「ぼくたち」は身をもって認識しているからだ。9・11テロ、地下鉄サリン事件、阪神大震災・・・。天災・人災だけではない。昨日まで仲良く喋っていたクラスメイトが突然いなくなることもある。「ぼくたち」の世界は突然変わる。もはや「ぼくたち」は「明日」が「今日」と「地続きでない」可能性を思い知らされているんだ。「ファウスト世代」と呼ばれることもある西尾維新はそれを認識しているのだろう。現実の「物語の変化」も90年代に多発しているよね。西尾維新は物語のジャンルを突然「変化」させた。そして、「物語は変わる」ことを読者に示すことにより、読者に「じゃあ、物語って何なんだ?」という問いを投げかけたんだ」 舞奈 「それが「物語の終わり」=「世界の終わり」につながるわけね」 フジモリ 「そのとおり」 <物語を認識する> 舞奈 「じゃあ、「物語」ってなんなの?私たちの住む「世界」という「物語」は突然変わる。でも、「物語」は続いてくわよね」 フジモリ 「そこまでわかっているなら答えもわかるんじゃない?」 舞奈 「うーん・・・」 フジモリ 「「物語」とは「ぼくたち」の人生そのものだ。もっと範囲を狭めて、「ぼくの人生」と言い切ってしまおう。この場合、「ぼく」とは「フジモリ」ではなく、「読み手個人それぞれの」ってことだね」 舞奈 「せっかく考えてたのに答え言うなー!」 フジモリ 「まあまあ。つまり、「ネコソギラジカル」で「ミステリィ」という「物語のジャンル」を変化させた西尾維新は、「あなたの物語は突然変わることもある。でも、あなたが生きている限り物語は続く」ということを読者に提示しているんだと思う。「物語」、すなわち「人生」だ。「いーちゃん」の「人生」=「物語」自体も西東天の登場で「変化」した。小説の形式、そして作中のキャラクタで二重に「物語の変化」を表現しているってわけだ」 舞奈 「ふぅん。でも、「物語」が「ぼくの(私の)人生」だとすると、西東天が「物語」を「世界」に例え「物語の終わり=世界の終わり」を見たがっているのと矛盾しない?」 フジモリ 「そこがさらに西尾維新の凄いところだ。つまり、「ネコソギラジカル」で西尾維新は「物語」を「世界」とみなす「西東天」をラスボスにし、敗れさせることで、読者の認識を揺さぶろうとしているんだ」 舞奈 「認識を揺さぶる?」 フジモリ 「フジモリが以前語ったことがあるんだけど、「物語」の構成要素は「世界(世界設定)」「ストーリィ」「キャラクタ」の3つに分けられると思っている。「キャラクタ」は「ストーリィ」に従属し、「ストーリィ」は「世界」に従属する」 舞奈 「確かにそんなこと言ってたわね」 フジモリ 「しかし、「ネコソギラジカル」、ひいては「戯言シリーズ」はその考え方を否定しているんだ。「ぼくの人生」、すなわち「キャラクタの人生」が「世界」そのものである。「キャラクタ」が「ストーリィ」を作り、「ストーリィ」が「世界」を作るのだ、と」 舞奈 「んー?その二つの考えかたって、ベクトルは違うけど、同じことを言ってるんじゃないの?」 フジモリ 「いや、違う。なぜなら、フジモリの観点では「キャラクタ」不在でも物語は進むが、西尾維新の提示している(と思われる)観点だと「キャラクタ」が不在すると物語が存在しなくなるんだ」 舞奈 「?、キャラクタ不在だったら物語は存在しないんじゃない?」 フジモリ 「不在というより、「死」だね。上巻、中巻で、いーちゃんは様々な人に「世界の終わり」について聞く。みな思い思いの答えを返すけれど、多くの人は「自身と自身を取り巻く世界」の終焉と考える。一方、西東天は「自身が死ぬ前に「世界」の終わりを見たい」と考えている。自身のいる世界自体が「世界」なのか、自身を除いても機能するのが「世界」なのか。この考え方は、似ているようで真逆に位置していると思うよ」 舞奈 「なるほど。「自身を除いても存在するのが「世界」」と考える西東天に対して「自身が死ねば「世界」も終わる」といーちゃんは突きつけるわけね」 フジモリ 「そういうこと。 これが、西東天の望む物語か? この程度が世界の終わりならば。 この程度が物語の終わりならば。 そんなものは−−死ぬほど見た。(p333) いーちゃんのこの独白に象徴されるね」 舞奈 「なるほどねぇ」 フジモリ 「「物語の変化」を提示することで「物語とは何か」を再認識させ、また「物語」と「世界」を同一視するラスボスを登場させることで「世界とは何か」を認識させる。そして、「物語の終わりとは何か」を考えさせる。これもまた、ストーリィと表現で読者に二重に畳み掛けている。この構成は、見事としか言いようがないね」 舞奈 「じゃあ、「物語の終わり」って何なの?」 フジモリ 「それを次回以降の書評で語っていこうと思う。物語の変化を意識し、「物語とは何か」という認識を真逆に提示された。「キャラクタ」に従属する「ストーリィ」、「ストーリィ」に従属する「世界」について考えさせられた。それは、「世界」を「自身が認識している世界」と「伝聞によって知っている世界」と「自身が知らないが存在していると思われる世界」の3つに分類する「現象学」の考え方に近いと思ったね。さて、「いーちゃん」にとっての「物語」とは何なのか?そして西尾維新は「世界」、すなわち「物語」をどのように終わらせるのか?いーちゃんを取り巻く「物語」ともども、その結末が楽しみな一冊。それが、今回の感想かな?」 舞奈 「物語の変化かぁ。確かに物語は変わるわよね。昨日までの平穏な日々が一転するってことは良くある話ね」 フジモリ 「それでも「ぼくたち」は生きている。生きている限り物語は続くんだ」 舞奈 「そうね。今日まで人情幽霊ものだったのが明日には霊界格闘ものになる可能性だってあるわけだし」 フジモリ 「それ漫画の世界だから!」 舞奈 「今日まで平穏な日々だったのに明日には皆ゾナハ病にかかってるかもしれないわ」 フジモリ 「それ違う漫画ーっ!」 舞奈 「よし!私の物語は明日からスタンドバトルね!ゴゴゴゴゴゴ・・・」 フジモリ 「子供のごっこ遊びかよ!わけわかんないよ!」 舞奈 「おれが最期にみせるのは代代受け継いだ未来にたくすツェペリ魂だ!人間の魂だ!」 フジモリ 「って、シャボン作って死ぬなぁっ!」 |